北門
南門と北門をつなぐ大通りは、外壁の街のそれより幅が広い。
石畳はよく整えられ、両側には店と住居がびっしり並んでいた。
果物売りの声。
鍛冶場から漏れる金属音。
教国から来たらしい、装飾過多な聖具屋。
連邦風の衣装を身にまといながら、帝国の貨幣でやりとりをする商人たち。
帝国は、戦争をしながらも、人と物を飲み込んでいる。
それが、通りの色と匂いに現れていた。
「……外壁の街とは、ずいぶん違うわね。」
思わず口から漏れた言葉に、ラヴィがうなずく。
「外壁の街はさ、楽園の真似だからね。こっちは、帝国の胃袋って感じ。」
言い方こそ軽いが、言っていることは冷静だ。
しばらく歩くと、店の並びが少しずつ粗くなっていった。
石畳の隙間には土が目立ち始め、家並みの密度も落ちる。
北門が近いのだろう。
門の上には、南門よりも多くの兵が並び、視線は外ではなく内側へも向けられていた。
「……内と外を、両方見張っているのね。」
「そうそう。逃げ出す奴もいるから。」
ラヴィは門の横を通り、兵士たちに軽く会釈をして見せた。
兵たちは「怒れる兎」として彼女を知っているのか、特に怪しむこともなく道を開けた。
北門の外に一歩出た瞬間、空気が変わった。
湿った土と、煙と、人いきれの混ざった匂い。
城壁の影が長く伸び、日差しを遮っている。
そこには、粗末な小屋が、まるで城壁に貼りつく苔のようにびっしりと並んでいた。
粗末な板を立てかけただけのもの。
破れた布と廃材を組み合わせた、雨風をしのぐだけの箱。
どれも、外壁の街の外側で見た、貧しいが、まだ土地に根付いている家とは違っていた。
ここには居場所がない。
ただ居続けるための隙間が押し込められているだけだ。
「……ひどいわね。」
思わず立ち止まると、ラヴィが顎である方角を指した。
「あそこ。」
視線の先には、長い列ができていた。
鍋と桶と器を抱えた人々が、城壁の北側に沿って並んでいる。
列の先には、大型の釜と、帝都の紋章をつけた帳場。
薄い粥の匂いが、かすかに風に乗ってくる。
「配給。」
ラヴィが短く言う。
「戦場から逃げて来た人たちに、とりあえず生きてていいよって出してる粥。」
私は列を行き交う兵と役人の様子を観察した。
粗末ではあるが、配給は一応、制度として回っている。
帳場では、名簿らしき板が使われており、並ぶたびに石で印を刻まれていた。
「一日限りの施しじゃないのね。」
そう言うと、ラヴィはかすかに笑った。
「一日限りの施しなんて、全くの無駄だった。」
自嘲とも諦めともつかない声だった。
「ここで泣きそうな顔してる子を見つけるたびに、あたし、ポケットの中身ばらまいたんだ。」
「……ああ。」
光景が目に浮かぶ。
コインやパンくず、たまたま持っていた干し肉。
「その日は、ちょっとマシな晩ご飯になったかもしれない。でもね。」
ラヴィは、配給の列をじっと見た。
「次の日も、その次の日も、その子は同じ場所で同じ顔してた。」
私は、胸の奥が少し重くなるのを感じた。
「一日限りの施しってさ。」
ラヴィは、自分の膝を小石でつつきながら続ける。
「怒りの勢いでできちゃうんだよね。泣きそうな顔を見たくないって気持ちだけで。でも、ここで配ってる粥はさ。」
ラヴィは配給所を顎でしゃくった。
「あんなんでも、あたしが気まぐれでばらまくより、よっぽどいいんだ。継続的に助ける仕組みがないと、意味ないって、ここで知った。」
配給所では、兵士が子どもの器に少しだけ多く粥を盛り、親の器には薄く広げていた。
子どもが泣きそうな顔をすると、並んでいる誰かが、残り物の干しパンをちぎって押し込んでやる。
それは決して優しい世界ではない。
帝国は難民を城壁の外に押し込み、そのくせ戦争の人材として名簿を整えている。
けれど、ラヴィの言うとおり、とりあえず生きるための仕組みだけは、外壁の街よりも整っているようにも見えた。
「……帝国は、強欲ね。」
私は、静かに言葉を落とした。
「食べさせる範囲を広げて、そのぶん、戦える手を増やしている。」
「そうそう。」
ラヴィは肩をすくめる。
「連邦と戦争してるからさ。兵も、だいたいここから。」
配給の列から少し離れたところに、志願兵受付と書かれた立て札が見えた。
粥の列より短いが、そこにも人が並んでいる。
「槍を持てば城壁の中に近づけるってわけ。」
私は、さっきの誕生日席と、この北門外の配給所を頭の中で並べてみる。
牧羊犬と子山羊を祝う家族。
列に並ぶ難民の背中。
同じ国の中で、これほどまでに祝える命と並ぶだけの命が分かれている。
「……やっぱり、見に来て良かったわ。」
素直にそう言うと、ラヴィがこちらを見上げた。
「内政に詳しいリオナさん的には、どう?」
「最悪ね。」
私は、はっきりと答えた。
「でも、最悪を維持できるくらいには、よくできているわ。」
ラヴィは、少しだけ笑った。
「それ、褒めてるの。」
「警戒しているの。」
「どんなふうに。」
「外壁の街では、外に畑があって、中はほとんど水と穀倉だけだったでしょう。」
頭の中に、あのすり鉢みたいな街の構造を思い浮かべる。
水路と倉庫と学校と、外壁の内側に押し込められた人の流れ。
「ここは、まるで逆だわ。」
城壁の外に農地と牧草地が広がり、その一部が今日、あの子山羊の誕生日として宿に顔を出していた。
内側には、兵と役人と職人と商人が集まっている。
帝都には、外壁の街の水結晶のような魔法の仕掛けは見掛けない。
だからこそ、外壁の街の異常な構造が、改めて浮かび上がる。
正常だからこそ、警戒する。
特別な仕掛けがなくても用意できるのだ。
「ねえラヴィ。」
「ん。」
「外壁の街が、イシュの民が築いたって話、誰から聞いたの。」
問いかけると、ラヴィは少しだけ目を細めた。
「昔さ。リオナの両親から。」
思いがけない名前に、胸の奥がちくりとした。
「かつてイシュの民が築いたんだって。だから私たちは魅かれたんだって。」
「……よくそんなことを覚えていたわね。」
「帝国じゃ知ってる人いないよ。」
ラヴィは肩をすくめた。
「でもさ。」
配給所の方へ視線を向ける。
「イシュの民が集まりやすいことも、麦がよく穫れることも、数字を見れば気づける。」
調査部隊に志願したラヴィは、ただ走るだけの兎ではない。
報告書と地図と数字の山の向こうに、誰かの暮らしを見ようとする兎だ。
「イシュの民が集まりやすいのに、軍は人間で組織されてる。妙なことに、食料の輸入がやたら多い。」
「黄金の穀倉地なんて名の付いた麦の名産地があるのに、よね。なるほど、帝国ではそんな風に捉えられるわけね。」
私が言葉を継ぐと、ラヴィがこちらを見る。
「そうそう。」
帝都の城壁を見上げる。
「帝国は、農地を外に置いて、城壁を胃袋みたいにして守っている。」
外壁の街は逆だった。
麦と水を内側に抱え込み、人の方を外へ押し出した。
「……やっぱり、あそこはおかしいのよ。」
小さく呟くと、ラヴィがうなずいた。
「かと言って、何のためかまでは、さっぱり分かんないけどね。」
「エレガン辺境伯なら、もう少し知っているのかもしれないけれど。」
「リオナたちは、あとから引き寄せられた側。外縁の森には昔からずーっといた一族だっていたのかな。」
ラヴィは、城壁の影になった空を見上げる。
「なんとなくだけどさ。」
ふっと声を落とした。
「この辺で、その話するのは、もうやめといた方がいいかも。」
私も、反射的に声を潜めた。
帝都には、外壁の街の水結晶のような魔法の仕掛けは見掛けない。
けれど、そういう話題に敏感な耳くらいは、いくらでも生えていそうだ。




