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怒りは止められない。でも、向きを変えることはできる。

◆島国 ――海と怒りの向き


 最後は、島の話。

 ここはね、海がきれいすぎて、ちょっと腹立つくらいの場所だったよ。


 あたしが着いたとき、その村では船が一隻、戻ってこなかった。

 誰も、死んだとは言わない。


「海に返した。」

「海の機嫌だから、仕方ない。」


 みんな、そう言って笑ってた。

 口元だけ笑ってて、目はぜんぜん笑ってないのに。


 漁師の家の子が、一人で網を繕っていた。

 父親が乗っていた船らしい。


「さみしくないの。」って聞いたら、その子は少し間をあけてから言った。


「うちは海に選ばれたからね。誰かが行かなきゃいけないんだ。」


 その言い方が、嫌だった。

 選ばれた、なんて言葉で、自分の悲しみを押し込めてる感じがして。


 村の祠で、亡くなった人のための祈りが行われた。

 みんなが頭を下げている中で、あたしはじっと海を見ていた。


 波は、ただ寄せて返しているだけだった。

 何も知らないふりをして、白い泡を残していく。


「ねえ。」


 気がついたら、口が勝手に動いていた。


「怒ってるのは、海じゃないよ。」


 祠の前で、あたしの声だけが浮いて聞こえた。


「怒ってるのは、あの子の中だよ。勝手に海の機嫌なんて言葉で包んで、誰にも触らせないでさ。」


 村の視線が、一斉にあたしに向いた。


「よそ者が、海のことを語るな。」

「海を悪く言うのは、この村じゃ一番の禁忌だ。」


 何人もが怒った。

 あたしは自分でも、何に怒っているのか分からなくなってきていた。


「海が嫌いって言ってもいいでしょ。好きな人を連れてった相手に、なんで腹立てちゃいけないの。」


 祠の前から追い払われたあたしは、その日の夕方、ひとりで浜辺に座っていた。

 潮が引いていく。波打ち際に小さな貝殻が残る。


 しばらくして、後ろから足音がした。

 振り向くと、あの子がいた。裸足で、裾を濡らしながら。


 あたしは声をかけなかった。

 子どもも、何も言わなかった。


 ただ、しばらくして、いきなり海に向かって石を投げ始めた。

 ぱしん、と水面で弾ける音が続く。


「……海なんか、大嫌いだ。」


 小さな声だった。

 でも、その一言は、祠の中のどの祈りよりも本物だった。


 あたしが何か言おうとしたとき、別の声がした。


「ようやく言えたな。」


 古い漁師が、いつの間にかそばに立っていた。

 背中が曲がってて、顔はしわだらけなのに、目だけは冴えていた。


「おじいちゃん。」と子どもが呟く。


 漁師は波打ち際まで歩いていって、足首まで水に浸かった。

 そして、寄せては返す波を見下ろしながら言った。


「波は怒っていない。ただ寄せて、返しているだけだ。」


 胸のあたりを、こん、と自分で叩く。


「怒っているのは、こっちだ。ここで燻っているもんを、海のせいにして押しつけちゃいかん。」


 子どもは、鼻をすすりながら黙って聞いていた。


「怒りは止められない。」


 漁師は、今度はあたしの方を見た。


「でも、向きを変えることはできる。舟を直す方へ向けるか、網を編む方へ向けるか、人を呪う方へ向けるか。」


 あたしは何も言えなかった。

 自分がさっき祠の前でぶちまけた怒りが、どこに向いていたのか、急に恥ずかしくなった。


 でも、子どもがぽつりと言った。


「ぼく、父ちゃんみたいな漁師にはならない。海が嫌いって言えるくらいの仕事を、探す。」


 漁師は、少し驚いた顔をして、それから笑った。


「それでいい。お前の怒りは、もう海には向いてねえ。」


 その横顔を見て、あたしも少しだけ笑えた。

 よく分からないまま怒って、また誰かを困らせたのかもしれない。

 でも、あの子の大嫌いは、きっと必要な一言だったと思う。



 ラヴィは少し遠くの空を見て、ぽつりと口を開いた。


「島国での相手はオルカって呼ばれてた。船を沈められそうなでっかい魚。」

「今回は自分から行くのね。」


 私が苦笑すると、ラヴィは肩をすくめて笑った。


「そう。背中から水しぶきとか上げちゃってさ。」

「なんだか幻想的ね。」


 私は、中央広場の噴水を思い出していた。

 陽の光を受けて、水がばらばらに砕け、きらきらと降り注ぐ光景。


「確かに。虹とか掛かるときもあったからなぁ。」

「綺麗ね。」


 ラヴィの声に、わずかに懐かしさが混ざる。


「船の墓場って呼ばれてるところがあってさ。」

「相手と場所が決まったわ。」


 自然と、話の行き先が見えてくる。


「今回はナフパクトスもいるよ。」

「いるってことは、登場人物かしら。」

「そう。父親を失ったあの漁師の子。」

「ああ、あの子ね。」


 実際にはラヴィの話の中でしか知らないのに、自分の中ではもう知っている子のように感じているのが、少しおかしかった。


「潮の流れがどうとかで、瓦礫が集まる入り江なんだって。」

「霧が立ち込めて薄暗いのね!」


 少し芝居がかった口調で言うと、ラヴィはすぐさま否定した。


「その日は気持ちいいほど晴れ渡っててさ。」

「合わせなさいよ。」

「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。」


 拍子抜けする私と、悪びれないラヴィ。

 この温度差にも、だんだん慣れてきてしまった。


「幽霊船は?」

「舵を取らなくても動く船?そんなの……」


 ラヴィは言い淀み、ちらりとこちらを見る。


「いないとは言わないのね。」

「まぁ、夢の話だからね。」

「ついに白状したわね。」

「何がさ。これから話すんだよ。」

「続けて。」


 促すと、ラヴィは少し真面目な顔に戻った。


「瓦礫の中にオルカがいた。」

「真打ち登場ね。」


 瓦礫と折れたマストの間から、黒と白の巨大な背中がのそりと現れる光景が、目に浮かぶ。


「ナフパクトスが父ちゃんを返せ!って叫んでた。」

「安全圏からチャーチャー言うのね。」


 そう口にした瞬間、その言葉が自分自身にも向かってくるような気がして、胸の奥が少しうずいた。


「それが、安全でもなくてさ。オルカが突進していったんだ。」

「ちなみに大きさは?」

「ホプロケファルス五頭分はあったかな。」

「でも海と陸よね。」


 どう考えても勝ち目のない光景しか浮かばない。


「いや、あいつ頭良いんだ。」

「なんでそこであんたが胸を張るのよ。」

「まあ、昨日の敵は今日の友って言うし。」

「友達が多そうで何よりだわ。」


 ラヴィは、どこか誇らしげに続ける。


「突進してジャンプ!兎のあたしから見ても見事だった!」

「急に元気いっぱいね。」

「いや、あいつすごいんだって!」

「続けて。」


 私が宥めると、ラヴィは両手を使って軌道を描いてみせた。


「ナフパクトスの位置をしっかり見てさ、反対側にちゃんと海があるって分かって跳んだんだ。」

「絶体絶命じゃない。」

「そう。あたしも走り出してた。」

「おお、英雄っぽい!」

「ノッて来たね。」


 自分で自分を煽りながら、ラヴィの声がわずかに高くなる。


「横からジャンプ一閃!間一髪、ナフパクトスを助ける!」


 気付けば、完全にこちらが語り手になっていた。

 自分の言葉に合わせて、ラヴィが跳ぶ姿が、頭の中の海岸でくっきりと弧を描く。


「背中の上すれすれを白い腹が通り過ぎる!」

「オルカは特大の水しぶきを上げて着水すると、標的をラヴィに変更した!」


 波しぶきが視界を白く塗りつぶし、次に見えるのはラヴィの背中だと、当然のように思い込んでいた。


「え?見てたの?!」


 ラヴィが目を丸くする。

 どうやら、私の想像はかなり正解に近かったらしい。


「助走をつけてまたジャンプ!」


 思わず、足が一歩だけ前に出る。

 自分が跳ぶわけでもないのに、膝のあたりがむずむずした。


「進路がわかってりゃこのラヴィ様に避けられないわけがない!そう思っていた時期がありました!」

「空中で身体を捻って進路を変えたのね!?」

「そう、あいつスゲェんだ!」

「死ぬじゃない。」


 会話だけ聞けば茶番じみているのに、情景だけは鮮やかに迫ってくる。


「口が開いたからあたしも覚悟した。」

「あなたも空中で方向転換したの?」

「いや、そっと咥えられて着水した。」

「敵意はなかったのかしら。」

「遊んで貰ってると思ったんじゃないかな。水はしこたま飲んだけどね。」

「海水でしょ。」

「うん、そう。」


 ラヴィは顔をしかめて喉元をさすり、それから、ふっと表情を緩めた。


「あ、それでナフパクトスは船を造って運送業をするんだってさ。オルカに引っ張ってもらってさ。」

「……あえてツッコミは入れないわ。」


 そこまで聞いてしまうと、もはや何を突っ込めばいいのか分からない。

 私は小さくため息をつきながら、それでもどこまでが真実なのか、頭の片隅でもんもんと考え続けていた。

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