怒りを凍らせると、悲しみも凍る。……これ、平和って言えるのかな。
◆氷の国 ――泣いちゃいけない葬送
次は、氷の国だね。
ここはね、とにかく寒かった。あたしの毛皮でも震えるくらい。
村の外れに、小さな丘があった。
そこに、雪をならして作った白い床がある。
年寄りは、冬のある日に、そこに寝かされて、朝まで星を見るんだって。
「それが一番の敬い方だ。」って、村の人たちは言ってた。
あたしは、ぜんぜん納得できなかったけど。
ある晩、ひとりのじいさんが、その床に寝かされた。
家族が周りを囲んで、じっと立っている。
真ん中に立っていたのは、まだ十歳くらいの子どもだった。
じいさんの一番上の孫らしい。
その子は、泣きたそうな顔をしてた。
でも、歯をぎゅっと食いしばって、顔を上げてた。
「泣かないのが、立派なんだ。」
「笑って見送りなさい。」
大人たちが、そう言って肩を叩く。
子どもは、ゆっくりと笑った。……笑おうとした。
あたし、その顔を見て、また胸の奥がもんもんしてきた。
泣いてる子を笑わせたいって、思って旅に出たくせにさ。
笑わされてる子を、黙って見ているなんて、何してるんだろう、って。
気づいたら、あたしは輪の中に突っ込んでた。
「ねえ。」
じいさんの枕元に片膝ついて、あたしは孫の顔を覗き込んだ。
「悲しいなら、悲しいって言っていいでしょ。」
孫の目が、びくっと揺れた。
じいさんの指先が、かすかにぴくっと動いた気がした。
「よそ者が何を言う。」
背中から、大人の声が飛んできた。
あたしは振り向かずに言い返した。
「寒いところで頑張ってるのは分かるよ。でもさ、悲しいのを隠すのが敬いなの?」
空気が、一瞬で張り詰めた。
「冬を越すには、口が多すぎる。」
「誰かが退かなきゃ、みんな死ぬ。」
誰かが低く言った。
その言葉だけで、あたしの足が止まった。
そういう事情なんだ。
そういう計算の上で成り立ってる優しさなんだ。
頭では分かっても、胸の中は納得してくれない。
あたしは、じいさんの冷えかけた手をぎゅっと握った。
「……ごめん。あたし、何も分かってないのに怒ってる。」
じいさんは目を閉じたまま、でも、かすかに口元が緩んだ気がした。
あの夜、式の後に、あたしは村の天幕から半分追い出される形になった。
「外のやり方を持ち込むな。」って、何度も言われた。
でもね。
夜更けに、丘の方から、小さな足音が聞こえた。
こっそり覗いたら、あの孫がひとりで雪の上にしゃがみ込んでいた。
じいさんが寝かされた場所は、もう雪に覆われてて、どこがどこだか分からない。
孫は、そこらじゅうに手をついて、声を殺して泣いてた。
「……ごめんね。」
「行かないでほしかった。」
あたしは、離れたところから見てるだけだった。
近づいたら、また大人たちに怒鳴られると思ったから。
でも、心のどこかで、思ったんだ。
あの涙は、たぶん、あたしが一回怒鳴ったせいで、やっと表に出てきたんじゃないかな、って。
氷の国を出るとき、孫がそっと袖を引いた。
「兎のお姉ちゃん。」
「ん?」
「あの時、怒ってくれて、ありがとう。」
そう言って、ちょっとだけ笑った。
あの笑いは、あたしのためじゃなくて、じいさんのための笑いだと思う。
だから、あたしも泣きたくなったけど、そこはぐっと堪えたんだ。
◆
「……あれ?大活躍は?」
ふと、口が勝手に動いていた。さっきまでの話には、確かに「英雄譚」が見当たらなかったのだ。
「確かに。村を出て氷の丘の亀裂にはまったくらいかな。」
ラヴィはあっさりと白状した。
「そうなんだ。」
期待していた分だけ、拍子抜けする。
「遭難だ。」
胸を張って言うことではない。
「言うと思ったわ。」
思わずため息が混ざる。ラヴィはへらへらと笑った。
「あ、でも温泉を見つけたかな。」
「あら、素敵。」
そこだけ聞けば、少し羨ましい。
「上から出るの諦めたらさ、中は結構でっかい空洞でさ。」
「洞窟探検ね!」
雪の下にそんな空間があるところを想像する。冷たくて、静かで、息が白く揺れる場所。
「そう。静かだったね。色々考えたよ。怒りを凍らせると、悲しみも凍る。……これ、平和って言えるのかな、とかね。ガン・イシュでは怒りを知らなかったじゃん?」
「そうね、私たち以外は。」
答えながら、胸のどこかがちくりとした。
ガン・イシュの穏やかさと、自分たちだけが抱えた怒りとを、同時に思い出す。
「似てるようで、全く違うなって思ってさ。んで、気付いたら温泉があった。」
「いや、飛躍しすぎでしょう。」
つい、冷静なツッコミが口をつく。
「兎だけに。」
ラヴィが得意げに耳を揺らした。
「はっはっは。」
私は乾いた笑いを漏らし、包帯の上からぐりぐりと指を押しつけた。
「痛い痛い。でもホントに分かんないんだ。洞窟の底は岩盤でさ。ところどころ岩をどかしたりしながら進んで。」
「それで噴出したと?」
どこまでが誇張で、どこからが事実なのか、判断に迷う。
「いや、そんなことない。まあでも、岩と氷の間の隙間は地面の熱でできたんだってのは分かったよ。」
「洞窟の最奥には魔物が!」
つい調子に乗って、物語口調で煽ってみる。
「おお、どうした、急に。んー、まあそうだったのかなぁ。」
ラヴィは歯切れ悪く視線を逸らした。耳が、少しだけ情けなく寝る。
「煮え切らないわね。」
からかい半分、本音半分で言う。
「動く岩に助けてもらって、火山の国の方へ脱出できたんだよね。」
「そんなの誰が信じるのよ。」
思わず眉をひそめる私に、ラヴィはにやりと笑いかけてきた。
「んー、リオナとか?だってほら、こうしてここにいるし、あたし。」
「それだけじゃ証明にはならないわ。」
論理としては、まったく足りない。
「まあね。でも温泉では氷の国で考えたもやもやは溶けていったよね。」
「氷だけに。」
今度は、こちらから返してみせる。
「何それ。」
ラヴィの眉がぴくりと動く。
私はもう一度、包帯の上からぐりぐりと押した。
「痛い痛い。まあ出るとき、決めたよね。氷の国ではどうにもできなかったけど、怒りを凍らせるんじゃなくて、溶かして生きるって。」
ラヴィの声が、少しだけ真面目になる。
風の中で、その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残った。
「おあとがよろしいようで。」
「ぺけぺん。」
最後だけ、くだらない締めで誤魔化す。
けれど、その横顔は、雪の綿の下で空を見上げていた誰かの横顔と、どこか重なって見えた。




