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ツリーとトリート

「次なるお話の舞台は、氷の国だね。」

「あら、冷たそう。」

「そだね、空から氷の綿が降って来るんだ。」

「氷の綿なら辺境伯領でも降ったわ。」


 ラヴィの言葉に、私は少しだけ目を細めた。

 氷の国のことは知らない。けれど、氷の綿が降った日なら、よく覚えている。



 孤児院の運動場に、若い針葉樹が一本だけ生えていた。

 外壁の内側に、無理やり残されたような、小さな森の名残りだった。


 枝ぶりはまだ頼りなくて、子どもが二人も抱きつけば、幹が見えなくなるくらいの細さ。

 それでも、あの冬、そこにだけは、やさしく雪が積もった。


 あれはまだ、鳥獣憐みの令が出て間もないころだった。

 初めての冬。


 外壁の内外を問わず、ぼろぼろの服をまとっていればいい方で、身寄りもなくうろつき、食べ物をあさる子どもたちがいた。

 獣も獣人も受け入れられるよう建てられたはずの孤児院には、獣はほとんど集められることはなく、イシュの民の幼体と、成体になったばかりのような若い個体ばかりが並んでいた。


 奴隷制度の闇から、こぼれ落ちた子どもたち。

 それが、孤児院の最初の住人たちだった。



「リオナ、行こ。」


 その冬が来る前、リルは私を連れて、街の中を歩き回った。

 どうしてそんなにぽんぽん見つけられるのかと思うほど、街中に潜むイシュの民の孤児たちを、次々と見つけていった。


「ここの冬がどんなか知らないけどさ、ジョーシキ的に考えて、それまでに集めなきゃマジやばいでしょ。」


 私にはよく分からない単語も、リルは平然と混ぜて話す。

 けれど、言いたいことは伝わった。

 寒くなる前に、拾えるだけ拾う。そういうことなのだろう。


「なんでかね、ケモミミやもふもふが隠れそうなところは、だいたい分かるんだよ。」


 リルは胸を張ってそう言った。

 その言葉どおり、細い路地の隙間、壊れかけの倉庫の影、下水のふたの出っ張り。

 人間が目を向けないところほど、彼女はよく覗いた。


「みーつけたっ!」


 木箱の後ろで丸くなっていた耳が、びくりと震える。

 ふりふり揺れる尻尾が、隠しきれずにはみ出している。


「あったま隠して尻、隠さず、ってね。」


 意味の分からない諺を口にしながら、リルは尻尾をそっとつまみ上げた。

 驚いた目がこちらを向く。

 イシュの民の子どもたちは、最初こそ怯えていたが、二度、三度と繰り返し出掛けるうちに、リルを見つけると自分から尻尾だけ出して隠れるようになった。


 まるで、かくれんぼの遊びのように。



「あ、お前、蛇だ蛇。お前もおいで。」


 ある日、壊れかけの塀の隙間に、ひんやりとした気配があった。

 リルが手を突っ込んだかと思うと、するりと長いものを引きずり出す。


「うひゃあ、ひんやりするねぇ。」


 尻尾を掴み上げ、殻をかじる蛇の獣人を、首に巻いてしまった。

 細い腕と尻尾をぐるぐると掛けられたその子は、最初、目を丸くしていたが、しばらくすると諦めたように、されるがままになっていた。


「……寒く、ないの。」

「ん?あったかいよ。この子。」


 首に巻かれている方は、きっとそうは思っていないだろう。

 それでも、リルの腕の中で震えていたその蛇の子は、ずっと前から知っている誰かのように、抱き上げられていた。


 やがて冬を迎えるころには、孤児院は子どもたちでいっぱいになっていた。



 氷の綿が降ってきたのは、その少し後だ。


 外壁の上から見下ろすと、街じゅうが白く煙っていた。

 けれど、孤児院の運動場に立つ一本の針葉樹の周りだけ、雪がやわらかく輪を作るように積もっていた。


「わぁ……」


 イシュの民の子どもたちが、息を呑んで空を仰ぐ。

 耳にも、尻尾にも、雪の綿が乗る。

 黒い毛並みに白が映えて、子どもたちはみんな、少しだけ年上に見えた。


「走ってもいい?」


 誰かが遠慮がちに私を見る。

 それより少し早く、リルが手を叩いた。


「走れー!」


 運動場に、足跡の線が増えていく。

 真っ白な地面に、軽い足音が次々と刻まれる。

 尻尾で雪をはね飛ばし、耳で雪の粉を振り落としながら、子どもたちはぐるぐると輪を描いた。


 針葉樹の枝にも、雪がふんわりと積もる。

 リルはそれを見上げて、何かを思いついたように目を細めた。


「ねえリオナ。前から思ってたんだけどさ。あの木、いいね。」

「いい……とは、どういう。」

「えっとね、ああいうのに、きらきらしたのをぶら下げたりしてさ。」


 リルは身振り手振りで説明し始めた。

 外壁の街では見たことのない飾りの話。

 遠いどこかの世界で、冬になると木を飾り、ごちそうを囲んで、プレゼントをやりとりする行事があるのだという。


「ここにはクリスマスないけどさ。」


 聞き慣れない音の並びを、私は頭の中で復唱する。

 くりすます。何かの呪文のように聞こえた。


「でも、似たようなことは、できるでしょ。ね。」


 リルはそう言って、運動場を見回した。

 壁際には、古い布切れや、割れて拾われたガラス片、捨てられた鈴の残り。

 子どもたちがこっそり集めてきた宝物が、隠されている。


「これをね、洗って、磨いて、あの木に掛けるの。それいけ~っ!」


 リルがそう言うと、子どもたちは一斉に駆け出した。

 引き出しやベッドの下から、自分だけの宝物を持ち寄ってくる。

 色のついたガラス、錆びた金具、布でくるまれた石ころ。


「これは、誰かへのプレゼント。」


 リルはそう言って、小さな布袋をいくつも用意した。

 中には、商人から買い集めた安物のお菓子や、余り布で作った小さな人形が入っている。


「夜になったらね、子供たちをいなくするから、セバスにでも頼んであの木の下に積み上げておくの。朝になったら、誰のだか分からないプレゼントになってるから。」

「どうして、誰のだか分からなくするの。」

「うーん……もらった子が、遠慮しなくていいように、かな。」


 リルは曖昧に笑いながら、針葉樹の枝に布を結びつけていく。

 飾りというには粗末で、不揃いで、それでも雪の白と一緒になると、ふしぎときれいに見えた。


「というわけで。」


 リルは、さらに妙なことを言い出した。


「夜になったら、元気な子たちと街の中を、お菓子を持って回るの。」

「え。」

「出て来なきゃ、イタズラしちゃうぞー、って。」


 子どもたちがきょとんとする。

 獣の耳と尻尾を持つ彼らが、ただそのまま外を歩くだけで、十分に何かの行列になった。

 先頭はリル。

 当時はまだまだ人間たちの目は冷ややかだった。

 リルはそんなこと気にも止めないで、満足そうに笑って行列を率いた。


「出て来ないと、イタズラしちゃうぞ~!」


 リルは、不規則な緩急をつけて行進した。

 きっと、そこにいることを、ずっと知っていたのだろう。

 孤児院に戻ってくる頃には、毎回人数が増えていた。

 警戒心の強い子が、見たことのない大勢の仲間の、楽しそうな行列を見掛けて。

 どこかの奴隷である母親が、さっと行列に加えたり。


「獣人ホイホイ作戦、大成功!なんだか、どっちかっていうとハロウィンみたいだねぇ。」


 最後にリルが、よく分からない名を口にして笑った。

 意味は分からない。

 けれど、目の端に薄っすらと涙を浮かべていたその笑顔だけは、今もはっきり思い出せる。


 ——これが、この笑顔こそが、リルの願いの魔法なのだと思った。


 無理して笑うことから、見つかる幸せがあるんだって思った。

 今ではあの笑顔の裏で、リルなりに悩んでいたのだとわかる。

 笑顔だけで、怖くないよって言っていたんだ。


 リルの元にいたら、私にも願いの魔法が宿るかもしれない。

 そう思えた冬だった。



 話し終えると、しばらくのあいだ、風の音だけが聞こえていた。


「……ねえリオナ。」


 包帯の下をそっと押さえながら、ラヴィが前を向いたまま言った。


「何。」

「あんたさ、やっぱりけっこう聖女だよね。」

「はあ。」


 思わず、素っ気ない返事が出た。


「だってさ。笑ってるリル見て、願いの魔法だとか思ってたんでしょ。あたし、そんなふうに考えたことなかったもん。」

「あなたは、自分で怒る方が早かっただけでしょう。」

「うん。それはそう。」


 あっさり認めて、ラヴィは肩をすくめた。


「あたしは怒る係で、リルは笑う係でしょ。じゃあさ――」


 ちらりと、こちらを振り返る。


「リオナは、覚えてる係だね。」

「勝手に係を増やさないでほしいんだけど。」

「だってさ。リオナが覚えててくれなかったら、今の話、誰も知らないままだよ。」


 ラヴィは、少しだけ真面目な声になった。


「怒ったことも、笑ったこともさ。どっちも、誰かがちゃんと覚えててくんないと、もったいないじゃん。」


 歩きながら、包帯越しに自分の胸をとん、と叩く。


「あたしの怒りも、リルの笑顔も。たぶん、リオナがいちばん、きれいに覚えてる。」

「買いかぶりすぎよ。」


 そう言いながらも、胸の奥が、少しだけ熱くなる。


 怒る兎と、無理して笑う聖女。

 そのどちらにも手が届く場所に、私はずっと立たせてもらっていたのだと思う。


「……まあ、耳と目くらいは、役に立てるようにしておくわ。」

「でしょ。」


 ラヴィの耳が、楽しそうに揺れた。


「じゃ、次は氷の国本編ね。こっからがラヴィ様の大活躍パートだからさ。」

「さっきまでの話でも十分暴れていたと思うけど。」

「あれは序章。ここからが本番。」


 そう言って笑う横顔を見ながら、私はまたひとつ、覚えておきたい光景が増えたのだと静かに思った。

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