ツリーとトリート
「次なるお話の舞台は、氷の国だね。」
「あら、冷たそう。」
「そだね、空から氷の綿が降って来るんだ。」
「氷の綿なら辺境伯領でも降ったわ。」
ラヴィの言葉に、私は少しだけ目を細めた。
氷の国のことは知らない。けれど、氷の綿が降った日なら、よく覚えている。
◆
孤児院の運動場に、若い針葉樹が一本だけ生えていた。
外壁の内側に、無理やり残されたような、小さな森の名残りだった。
枝ぶりはまだ頼りなくて、子どもが二人も抱きつけば、幹が見えなくなるくらいの細さ。
それでも、あの冬、そこにだけは、やさしく雪が積もった。
あれはまだ、鳥獣憐みの令が出て間もないころだった。
初めての冬。
外壁の内外を問わず、ぼろぼろの服をまとっていればいい方で、身寄りもなくうろつき、食べ物をあさる子どもたちがいた。
獣も獣人も受け入れられるよう建てられたはずの孤児院には、獣はほとんど集められることはなく、イシュの民の幼体と、成体になったばかりのような若い個体ばかりが並んでいた。
奴隷制度の闇から、こぼれ落ちた子どもたち。
それが、孤児院の最初の住人たちだった。
◆
「リオナ、行こ。」
その冬が来る前、リルは私を連れて、街の中を歩き回った。
どうしてそんなにぽんぽん見つけられるのかと思うほど、街中に潜むイシュの民の孤児たちを、次々と見つけていった。
「ここの冬がどんなか知らないけどさ、ジョーシキ的に考えて、それまでに集めなきゃマジやばいでしょ。」
私にはよく分からない単語も、リルは平然と混ぜて話す。
けれど、言いたいことは伝わった。
寒くなる前に、拾えるだけ拾う。そういうことなのだろう。
「なんでかね、ケモミミやもふもふが隠れそうなところは、だいたい分かるんだよ。」
リルは胸を張ってそう言った。
その言葉どおり、細い路地の隙間、壊れかけの倉庫の影、下水のふたの出っ張り。
人間が目を向けないところほど、彼女はよく覗いた。
「みーつけたっ!」
木箱の後ろで丸くなっていた耳が、びくりと震える。
ふりふり揺れる尻尾が、隠しきれずにはみ出している。
「あったま隠して尻、隠さず、ってね。」
意味の分からない諺を口にしながら、リルは尻尾をそっとつまみ上げた。
驚いた目がこちらを向く。
イシュの民の子どもたちは、最初こそ怯えていたが、二度、三度と繰り返し出掛けるうちに、リルを見つけると自分から尻尾だけ出して隠れるようになった。
まるで、かくれんぼの遊びのように。
◆
「あ、お前、蛇だ蛇。お前もおいで。」
ある日、壊れかけの塀の隙間に、ひんやりとした気配があった。
リルが手を突っ込んだかと思うと、するりと長いものを引きずり出す。
「うひゃあ、ひんやりするねぇ。」
尻尾を掴み上げ、殻をかじる蛇の獣人を、首に巻いてしまった。
細い腕と尻尾をぐるぐると掛けられたその子は、最初、目を丸くしていたが、しばらくすると諦めたように、されるがままになっていた。
「……寒く、ないの。」
「ん?あったかいよ。この子。」
首に巻かれている方は、きっとそうは思っていないだろう。
それでも、リルの腕の中で震えていたその蛇の子は、ずっと前から知っている誰かのように、抱き上げられていた。
やがて冬を迎えるころには、孤児院は子どもたちでいっぱいになっていた。
◆
氷の綿が降ってきたのは、その少し後だ。
外壁の上から見下ろすと、街じゅうが白く煙っていた。
けれど、孤児院の運動場に立つ一本の針葉樹の周りだけ、雪がやわらかく輪を作るように積もっていた。
「わぁ……」
イシュの民の子どもたちが、息を呑んで空を仰ぐ。
耳にも、尻尾にも、雪の綿が乗る。
黒い毛並みに白が映えて、子どもたちはみんな、少しだけ年上に見えた。
「走ってもいい?」
誰かが遠慮がちに私を見る。
それより少し早く、リルが手を叩いた。
「走れー!」
運動場に、足跡の線が増えていく。
真っ白な地面に、軽い足音が次々と刻まれる。
尻尾で雪をはね飛ばし、耳で雪の粉を振り落としながら、子どもたちはぐるぐると輪を描いた。
針葉樹の枝にも、雪がふんわりと積もる。
リルはそれを見上げて、何かを思いついたように目を細めた。
「ねえリオナ。前から思ってたんだけどさ。あの木、いいね。」
「いい……とは、どういう。」
「えっとね、ああいうのに、きらきらしたのをぶら下げたりしてさ。」
リルは身振り手振りで説明し始めた。
外壁の街では見たことのない飾りの話。
遠いどこかの世界で、冬になると木を飾り、ごちそうを囲んで、プレゼントをやりとりする行事があるのだという。
「ここにはクリスマスないけどさ。」
聞き慣れない音の並びを、私は頭の中で復唱する。
くりすます。何かの呪文のように聞こえた。
「でも、似たようなことは、できるでしょ。ね。」
リルはそう言って、運動場を見回した。
壁際には、古い布切れや、割れて拾われたガラス片、捨てられた鈴の残り。
子どもたちがこっそり集めてきた宝物が、隠されている。
「これをね、洗って、磨いて、あの木に掛けるの。それいけ~っ!」
リルがそう言うと、子どもたちは一斉に駆け出した。
引き出しやベッドの下から、自分だけの宝物を持ち寄ってくる。
色のついたガラス、錆びた金具、布でくるまれた石ころ。
「これは、誰かへのプレゼント。」
リルはそう言って、小さな布袋をいくつも用意した。
中には、商人から買い集めた安物のお菓子や、余り布で作った小さな人形が入っている。
「夜になったらね、子供たちをいなくするから、セバスにでも頼んであの木の下に積み上げておくの。朝になったら、誰のだか分からないプレゼントになってるから。」
「どうして、誰のだか分からなくするの。」
「うーん……もらった子が、遠慮しなくていいように、かな。」
リルは曖昧に笑いながら、針葉樹の枝に布を結びつけていく。
飾りというには粗末で、不揃いで、それでも雪の白と一緒になると、ふしぎときれいに見えた。
「というわけで。」
リルは、さらに妙なことを言い出した。
「夜になったら、元気な子たちと街の中を、お菓子を持って回るの。」
「え。」
「出て来なきゃ、イタズラしちゃうぞー、って。」
子どもたちがきょとんとする。
獣の耳と尻尾を持つ彼らが、ただそのまま外を歩くだけで、十分に何かの行列になった。
先頭はリル。
当時はまだまだ人間たちの目は冷ややかだった。
リルはそんなこと気にも止めないで、満足そうに笑って行列を率いた。
「出て来ないと、イタズラしちゃうぞ~!」
リルは、不規則な緩急をつけて行進した。
きっと、そこにいることを、ずっと知っていたのだろう。
孤児院に戻ってくる頃には、毎回人数が増えていた。
警戒心の強い子が、見たことのない大勢の仲間の、楽しそうな行列を見掛けて。
どこかの奴隷である母親が、さっと行列に加えたり。
「獣人ホイホイ作戦、大成功!なんだか、どっちかっていうとハロウィンみたいだねぇ。」
最後にリルが、よく分からない名を口にして笑った。
意味は分からない。
けれど、目の端に薄っすらと涙を浮かべていたその笑顔だけは、今もはっきり思い出せる。
——これが、この笑顔こそが、リルの願いの魔法なのだと思った。
無理して笑うことから、見つかる幸せがあるんだって思った。
今ではあの笑顔の裏で、リルなりに悩んでいたのだとわかる。
笑顔だけで、怖くないよって言っていたんだ。
リルの元にいたら、私にも願いの魔法が宿るかもしれない。
そう思えた冬だった。
◆
話し終えると、しばらくのあいだ、風の音だけが聞こえていた。
「……ねえリオナ。」
包帯の下をそっと押さえながら、ラヴィが前を向いたまま言った。
「何。」
「あんたさ、やっぱりけっこう聖女だよね。」
「はあ。」
思わず、素っ気ない返事が出た。
「だってさ。笑ってるリル見て、願いの魔法だとか思ってたんでしょ。あたし、そんなふうに考えたことなかったもん。」
「あなたは、自分で怒る方が早かっただけでしょう。」
「うん。それはそう。」
あっさり認めて、ラヴィは肩をすくめた。
「あたしは怒る係で、リルは笑う係でしょ。じゃあさ――」
ちらりと、こちらを振り返る。
「リオナは、覚えてる係だね。」
「勝手に係を増やさないでほしいんだけど。」
「だってさ。リオナが覚えててくれなかったら、今の話、誰も知らないままだよ。」
ラヴィは、少しだけ真面目な声になった。
「怒ったことも、笑ったこともさ。どっちも、誰かがちゃんと覚えててくんないと、もったいないじゃん。」
歩きながら、包帯越しに自分の胸をとん、と叩く。
「あたしの怒りも、リルの笑顔も。たぶん、リオナがいちばん、きれいに覚えてる。」
「買いかぶりすぎよ。」
そう言いながらも、胸の奥が、少しだけ熱くなる。
怒る兎と、無理して笑う聖女。
そのどちらにも手が届く場所に、私はずっと立たせてもらっていたのだと思う。
「……まあ、耳と目くらいは、役に立てるようにしておくわ。」
「でしょ。」
ラヴィの耳が、楽しそうに揺れた。
「じゃ、次は氷の国本編ね。こっからがラヴィ様の大活躍パートだからさ。」
「さっきまでの話でも十分暴れていたと思うけど。」
「あれは序章。ここからが本番。」
そう言って笑う横顔を見ながら、私はまたひとつ、覚えておきたい光景が増えたのだと静かに思った。




