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英雄は空を飛ぶ

「……お疲れさま。」


 木立の影で手綱を放したラヴィは、肩で息をしていた。

 けれど顔だけは、ひどく晴れやかだった。


「見た?今の!あたし、けっこううまくやったよね?」


 耳をぴんと立てて、子どもみたいに笑う。

 私はその笑顔に、返事を少しだけ遅らせた。


「……ええ。十分すぎるほど。」


 本当は「やりすぎ。」と言いたかった。

 けれど、あの跳ね回る馬の上で笑っていられた彼女に、水を差したくはなかった。



「調査部隊の宿営地、覚えてる?」


 森の縁へ歩き出しながら、私は訊いた。


「ん?ああ、国境の丘のとこ。大丈夫、大丈夫。あたしの足ならあっという間だって。」


 ラヴィは胸を反らしてみせる。

 息はまだ少し荒い。なのに、歩幅だけはいつもより大きかった。


「……あっという間は、せめて一度座ってからにしてはどうかしら。」

「平気平気。ほら、こうして歩いてるだけで、体が軽くてさ。」


 それは、どう見ても軽さではなく、興奮だった。

 私はラヴィの横顔をちらりと見て、話題を変える。


「単独調査の方は、どうだったの。」

「んー……どこから話そっか。」


 ラヴィは耳をくるりと回し、少しだけ真面目な顔になった。


「まず、孤児院。あれ、もう形がない。そのくせ水路はきれいなもんさ。思えば準備の形跡だらけだったんだよね。」


 短く区切られた言葉が、森の中に落ちていく。


「水が全部、あの場所を選んでいるみたいだった。建物も、柵も、ぜんぶ潰れてて……みんな、流されてた。」


 私は無意識に拳を握っていた。


「遺体は?」

「ほとんど、なかった。」


 ラヴィは視線を落とし、少し歩調を緩める。


「ただ、冷たくて、静かで。……あたしさ、あそこで初めて、怒るって感情に追いつかれた気がしたよ。」


 そう言ってから、かすかに苦笑した。


「でも、全部覚えてられるわけじゃないからさ。調査の分は、宿営地でちゃんと報告する。」


 考えないようにしていたけれど、リルと吊るされた場所、やはりあそこは孤児院の跡地だったのだ。



 森を抜けかけたころ、木々の間から、開けた土地がのぞいた。


 街道だった。


 踏み固められた土の上を、アスリケファルスやホプロケファルスが牽く荷車が、一定の間隔で往来している。

 あんなことの後だからか、ずいぶんと数が少ない。

 外壁の内側から見るのとは違う、細く長い道。


「ここは、向こうに渡るの?」


 私がそう言うと、ラヴィの耳がぴん、と立った。


「ねえリオナ。あたしさ、あそこの木から街道、飛び越えられると思う?」


 嫌な予感がした。


「やめておきなさい。」

「いやいや、さっきの殿、見てたでしょ?あの馬の上で踊れたあたしがだよ?このくらい朝飯前だって。来るときもそうやって跨いだんだから!」


 ラヴィは聞いていなかった。

 いや、聞いていたのだろうが、興奮が上書きしていた。


 街道脇に伸びる、根の張った一本の木。

 彼女は、その幹に手を当てた。


「向こう側の枝まで駆け上がって、そのままひと跳び。ね、見たいでしょ?」

「ラヴィ。」


 呼び止めた声は、自分でも驚くほど冷静だった。


「馬をからかうのと、地面を飛び越えるのは違うわ。」

「だいじょーぶだって。ほら、見てて。」


 ラヴィは笑い、幹を蹴った。


 一歩、二歩。

 いつもの跳躍の前の、助走。


 三歩目を踏み込んだ瞬間だった。


 膝から、力が抜けたように見えた。


 幹が、弓のようにしなり、その弾力がそのままラヴィの体を弾き返す。

 空気が一瞬、固まったように思えた。


「ラヴィ!」


 私の声が届くより早く、彼女の体が、街道の上へと投げ出された。


 ちょうどその時、アスリケファルスの牽く荷車が通りかかる。

 逃げる暇も、体勢を立て直す余裕もなかった。


 極太の脚と車輪が、落ちてくる影に目を見開く。

 ラヴィの体は、進行方向と同じ向きに飛んでいた。


 だからこそ、ぶつかった瞬間、全部が砕けずに済んだのだろう。


 鈍い音がして、ラヴィの体が前方へ弾き飛ばされた。

 きれいに踏み固められた白い土の上を転がっていく。


「止まって!」


 私は叫びながら街道へ飛び出し、荷車の御者に手を振った。

 アスリケファルスが前脚を踏ん張り、荷車がぎし、と音を立てて止まる。


 土埃の中で、ラヴィが仰向けに倒れていた。


 耳も、足も、折れてはいない。

 けれど、胸がひきつれて満足に呼吸ができず、毛がない部分の皮膚がじわじわ赤黒くなっていくのが分かった。


「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……。やっちゃった。」


 それでも、しゃっくりのように彼女は笑った。

 こっちの気も知らずに、何がおかしいのか。

 涙混じりの顔に、怒りがこみ上げる。


「万能感って、長くは持たないんだね。」

「喋るのはあとにしなさい。」


 私は地面に膝をつき、手早く状態を確かめる。

 少なくとも骨は折れていない。

 けれど全身に、打撲の色が浮かび上がるのは明らかだった。


「宿営地までは……歩ける?」

「……歩く。歩かないと、あたし、さっきの殿が格好つかない。」


 そう言って起き上がろうとするラヴィの肩を、私は押さえた。


「格好はもう十分ついているわ。あとは、生きて報告するだけ。」


 アスリケファルスの御者が、おそるおそるこちらを見ている。

 私は軽く頭を下げ、荷車の後ろを少しだけ借りた。


「国境の宿営地までこの子を運んでもらえますか。……報酬は、向こうで。」


 御者は報酬を固辞した。

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