表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/77

遅れて

 葬送があってから、なおさらだ。

 紫露と橙の八人に、俺たちは手を見つめられた。

 何も言わず、「見た。」とだけ告げる目で。


 あのときの聖女の目も、今になって思えば、それに似ていた気がする。

 石を浴びながら、こちらをまっすぐ見ていた。

 何が起きているのか分からないという戸惑いと、さっき目に焼き付けた光景を、俺たちにも思い出させようとするような、妙な確かさが混じっていた。


 あの女は、その直前に全部見ていた。

 街道の上から見下ろした濁流も、川べりを逃げる獣人たちの列も、押し流されていく背中も。

 俺たちが図面の上で線にしてしまったものを、そのまま目で受け取らされていた。


 俺たちの中にも、同じ位置からそれを見下ろしていた奴がいた。

 あの「悪くないもん!」は、

 ——私ひとりのせいじゃない、と突っぱねていただけだったのか。

 ——お前たちもあの光景を見ただろう、と足元を指さしていたのか。


 そのどちらにせよ、あのときの俺たちは、前者だけとして聞くことに決めていた。

 自分たちがやったことを、聖女が全部引き受けてくれなければ困ると、どこかで思っていたのだろう。


「犬猫期ってやつ、爺様の教えをわざと捻じ曲げて、犬猫にぶつけてたのは俺たちだろ。」

 焚き火の明かりに照らされた横顔が、苦笑とも自嘲ともつかない歪み方をした。

「殴り合いで覚えろって言われた手加減を、こっそり小さな獣に試して、傷の付け方ばかり上手くなった。」


「害獣期だってそうだ。俺たちは、殺さず追い払うやり方を身につけてた。獣より賢いんだろ、俺たちは。考えれば、畑も家畜も獣も、全部守るやり方だって、もっと色々あったのかもしれない。」

 そこで言葉が途切れた。

 火のはぜる音だけが続く。

 賢さを誇るなら、本当はその「色々」を探す方に使うべきだったのに、と気付くには、あまりにも遅すぎた。

「当たり前だ……俺たちはあんなに効果的に殺せたんだ。」

 誰かが吐き捨てるように言い、言った本人がその物言いに怯えたように口を噤んだ。

 効果的という言葉が、ここまで冷たく響く場所は他になかった。


「家畜期もだ。動物を盾に恫喝するのをやめさせろって、役所に文句を言いに行ったのは村の連中だった。」

 あのときは、自分たちこそ正しいと思っていた。

 誰かを脅すために犬や家畜を使うなど言語道断だと、胸を張って怒鳴り込んだはずだった。


 それなのに、決まった法は全部、聖女の名で飾られた。

 壁の内側で書かれた文に、外側の俺たちの要望が継ぎ接ぎされ、最後に聖女の名が冠された。

 俺たちは、その看板だけを叩いた。


「あいつが悪いんだって、言い張りたかったんだろうな。」

 火の粉がひとつ、はぜて消えた。

「自分たちが言ったことまで、全部押し付けた。」


 しばらく誰も口を開かなかった。

 焚き火のはぜる音だけが、責任の所在をなぶるように耳に残った。


「獣人期は——俺たちにこそ必要な適用だった。」

 ようやく漏れた声は、笑いとも嗚咽ともつかない震えを帯びていた。

 そう口にした仲間の目からは、大粒の涙があふれ出していた。

「……馬鹿野郎。泣いていいのは俺たちじゃないだろう。」

 そう言って制する声も、かすれていた。

 そう言いながら、そこに涙を流さぬ者はいなかった。


 本当は、あの法はイシュの民を傷付けないための線だったのだろう。

 俺たちはそれを、イシュの民を縛る鎖だとしか見ていなかった。

 今になって思えば、本当に縛るべきだったのは、自分たちの手の方だ。

 イシュの民を守るための枠を、自分たちの側にこそ嵌め直さなければならなかったのだと、やっと気付いた。


 手の下の土が、冷たかった。

 さっきまで葬送で拭われた地面と同じ冷たさだった。



 赦されないまま、赦しの形を見てしまった。


 紫露たちは俺たちを赦していない。

 罰することもしなかった。

 ただ、終わらせた。


 終わりを引き受けさせるために、葬送を舞った。

 それは、俺たちのための芸ではなかった。

 流された者たちのための芸であり、その終わりを見届けるための芸だった。


 それでも、そこに立ち会ってしまった以上、俺たちは、見ないふりを続けることはできなくなった。


 俺たちは、人間だ。

 獣より賢く、獣より残虐になれる生き物だ。


 ならば、学び直すしかない。

 力を振るう前に、どこまでが守るためで、どこからが壊すためかを。

 怒りが熱いときにこそ、冷たく見なければならないものを。


 森から届いた供物に、遅れて頭を下げることしかできない。

 水に呑まれた数に、遅れて顔を思い浮かべることはもうできない。

 感謝は遅れても向ける先が残るが、悔いはいつだって遅すぎる。


 届けるはずの相手を、先に自分たちでさらってしまったのだから。


 それでも、やらなければならない。

 忘れることは許されない。


 終わりは命令では来ない。

 終わりは、遅れて訪れる。

 あの葬送の静けさのように、音連れてしまう。


 俺は、この泥の冷たさを、死ぬまで覚えて逝くのだろう。


 人間は残虐である。

 だからこそ、手を止める場所を、自分で決めなければならない。


 ——イシュの民の穏やかさに、遅れて追いつくために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ