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勝利の美酒か

 泥の匂いが、まだ冷たかった。

 濁流が引いたあと、俺たちは無言で長靴の底を確かめながら、壊れた荷車や折れた槍を脇へ寄せた。

 水に浮いた布切れが足にまとわりつくたび、誰かが小さく舌打ちした。

 言葉は続かない。続けば、誰が最初に泣き出すか、分からなかったからだ。



 俺たちは勝った。

 正確に言えば、勝利を設計したのだ。


 水をただ流したわけではない。

 地図を描き、地形を測り、相手の動きを計算した。

 水源を分流させず、力の奔流として襲い掛かるように。

 水は、俺たちの命令に従って動いた。

 まるで、統制の取れた我が軍の一員であるかのように。


 街道を傷つけず、集落を避け、小川を目掛けて。

 ——孤児院と、その外へ逃げるイシュの民だけを押し流した。


「完璧だ。」と上官は言った。

 確かに完璧だった。

 街には一滴の濁りも届かず、兵たちは喝采を送った。

 見よ、我らが力を。と。

 俺たちは笑った。

 戦術が正義に追いついたと思った。

 秩序を作るのは、俺たちだと。


 孤児院の者たちは愚かではなかった。

 異変を察知し、いち早く小川沿いの小径を逃げていた。

 俺たちはそれを読んでいた。

 だからこそ、水攻めを選んだ。

 間違っても街道を通ろうとなど思わせないように、街道には軍用馬車を走らせた。

 安全な退路のはずが、俺たちの手で死路に変わった。


「芸術だ。」と誰かが言った。

 それが合図のように、笑いが広がった。


 確かに、あれは芸術的だったと言えるかもしれない。

 精密で、冷徹で、誰一人無駄死にさせないという意味で、戦術であり芸術だった。

 だがそれは、生命(いのち)を削るためのものだった。

 俺たちはその意味を知らなかった。

 ——知らなかったからこそ、笑ったのだ。


 水を放ったとき、皆、大いに笑ったのだ。

 ざまあみろ、と溜飲を下げたのだ。

 孤児院に保護されたイシュの民たちが、自分たちより豊かに暮らしている。

 畑も、家畜も、仕事も、奪われていった俺たちは、貧困に喘いでいた。

 だからこそ、笑った。

 水が流れ、屋根が崩れるのを見て、勝利だと信じた。


 あのときの自分たちの顔が、まだ頭から離れない。


 軍は統制がとれていた。

 上官が叫び、伝令が走り、号令が響く。

「敵を流せ。」と。

 その言葉がどこから来たのか、誰も問わなかった。


 外壁の内部に存在する三つの水結晶のうち、孤児院側の副結晶を利用する。

 街道へ逃げられないよう、軍用馬車を走らせよ。

 外壁を部分的に破壊し、水源の間に侵入せよ。

 進入路がそのまま放水路となるよう、角度を計算せよ。


 命令というのは便利なものだ。思考を、免除してくれる。

 その言葉が誰の口から発せられたのか、今では誰も覚えていない。

 最後の号令が届いた瞬間、俺たちは一斉に笑った。

 笑わなければ、人間の誇りを、尊厳を失うような気がした。


 俺たちは、人であることの意味を、取り違えた。



 俺たちは勝った。

 俺たちは勝ったはずだった。


 だが、勝利はどこにもなかった。

 笑う者も、命令を出す者も、もういなかった。

 俺たちは濁流の残滓の上に立ち尽くして、沈黙した。


 あの時の笑い声が、勝利の美酒になることはなかった。

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