風雲急を告げる
あたしは単身外壁の街へと迫っていた。調査部隊を置き去りにして。
奴隷兵であるイシュの民を含む、人間との混成部隊。飛び地であるエレガン辺境伯領の国境は、新しい森と綺麗に拓かれた土地が接しており一目瞭然であった。
柵などなく、イシュの民であれば問題なく潜入できるのだが、人間にとってはいくら武装していても無事では済まないような危険領域となっていることだろう。
異国であるため、当然部隊など引き連れていては堂々と入れるはずもなく、国境付近の街に宿営していた。
その状況で斥候として名乗り出たのだ。
南へ進めば海に出る。外壁の街は海沿いであるため、街道など通らずに真っ直ぐ海を目指した。
拓けた土地に出ると、偶然軍備を完璧に整えた一団を発見する。
これが噂の人間の軍か。高台から見下ろすと、牧草地のようで家畜のいない高原に、いくつもの長方形を並べていた。
恐ろしく統制が取れている。
大型の肉食獣の群れが行軍だけで退き、距離を置く。
わりと近年できた急造の軍だと聞いているが、そのような影はどこにもなく、戦慄する。
少しだけ森の中に戻って大きく西へ迂回することにした。
アスリケファルスやホプロケファルスが牽く馬車が、切れ目なく流れる広く白い街道にぶつかる。これが全て食料なのだろうか。
とにかく、こんなのに轢かれたらあたしなんかひとたまりもない。
拓けた場所を通らずに外壁へ近づくには、街道の向こうに広がる、急な勾配の麓を覆い外壁際まで続く森の中を行くしかない。
木の幹を駆け上がる。揺れる幹の反動を利用して、溜めた脚を解き放つ。大きく弧を描いて一段低い森の中へと着地する。
森を進むと海の方へと流れる小川と出会う。拓かれた土地に川の上流部分が見えないということは、外壁の中から流れ出ているということになるだろう。
考えられるのは、あの有名な水結晶の恩恵だろう。外壁の内側のため池から地下を通って湧き出しているという予想だ。
特筆すべき点があるとすれば、川の規模に対して不釣り合いなまでの護岸工事か。
作業用の道には真新しい轍が残っている。
これも一応報告事項として挙げておこう。
小川を辿れば街のはずだ。それは木々の隙間から見え隠れする外壁からも明らかだ。
近付くにつれ、あたしの跳躍では越えられない、と確信に変わる。
補修のためだと思われる梯子が掛けられている箇所も見えた。長さは中腹までで、人もいるようだが、何とか使えないだろうか。
建物だ。ずいぶんと規模が大きい。
半分を森に埋めるようにして陣取られているそれは、『リルの孤児院』と書かれた札を掲げていた。
表には街道に接続する石畳の坂道。ここにもそれなりの数の馬車が行き交っていた。
この規模で孤児を抱えているというのはどういうことか。
ここは帝国連邦間の戦禍とも遠く、道中で難民の列を見ることもなかった。
「お前、何者だ?」
突然声が掛かる。
あたしと同じく軽鎧で身を包み、いや、鎧と言えるかも怪しいくらい金具の少ない軽装の女だった。
背に小さな盾を背負い、二本帯剣している。
屈強。そんな言葉がぴったりの鍛え上げられた肉体をしていた。
適応保護法だなんだと宣言じみた言葉が続く。
何だそりゃ。
奴隷供給源。この領地にはそんな異名がある。
まさかこの孤児院は、こうやってイシュの民を集めているのか?
——むんむん
「怒りは熱だ。鍛えれば刃にも灯にもなる。」
あたしは自分が不敵に笑っているのを感じた。
一気に臨戦態勢。そのままぶちかます。
ひらり。
何が起こった?
ひらり。
攻撃が全く当たらない。当たらなきゃあたしの力は無駄になる。
次の一打で世界が回った。
何が起こったか分からないまま、あたしは女を見上げていた。
「気に入った。」
女はそう言って、ニヤリと笑った。
◆
どういうことだ。
右を見ても、左を見ても、イシュの民。
外の集落で見た人間よりも、格段に上質な衣服を身に纏っている。
首輪や枷、鞭の痕なんか当たり前の帝国とはまるで違う。
そうだ、皆、ガン・イシュでのように幸せそうなのだ。
「驚いてるね。まさか、帝国の怒れる兎だとは思わなかったが、これでお相子だな。」
あたしが攻撃に転じた時、この女、ドーラは驚いた顔をしていた。
イシュの民からの先制攻撃など、初めての経験だったのかもしれない。
「付いて来りゃわかる。ま、枷など着けんから、逃げたきゃ好きにしな。ここではそれも自由だ。」
◆
「面白いヤツを見つけたよ。」
案内された部屋にいたのは、リオナだった。
隣にもう一人、少女が佇む。
ドーラが話しかけた相手だ。
一度視線を落とし、ゆっくりと全身を見た。
耳が微かに震えた。
「……あら、例外。」
「よう、例外。」
部屋が沈黙に支配され、少女は戸惑いを見せてドーラを見る。
少女が生唾を飲む音だけがやけに大きく、金属が軋むほどの静寂が続く。
――次の瞬間、互いに動いた。
リオナが駆け寄り、あたしの手首を掴む。
あたしがそれを引き寄せ、鼻先が触れるほどの距離。
「ははっ、変わらないね、リオナ。あのころのまんまだ。」
「ラヴィもね。口の悪さも、笑い方も。」
そう言って、一気に破顔する。
「……なんだ、知り合いか。意外、いや——例外、か。……まあ面倒が減るか。」
「面倒が減る? 一番面倒なのはあんたでしょ。」
こいつは強いだけじゃなさそうだ。
色々察していそうなもの言いに、背中を冷たいものが伝った。




