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旅するうさぎ

 泣いてる子を笑わせたい。

 それが、リオナと別れた日のあたしの言葉だった。

 怒りを知りたいなんて、思ってもいなかった。

 ただ、悲しんでる子を見たくなかっただけ。

 けど、外の世界はガン・イシュみたいに穏やかじゃなかった。

 笑いも涙も、怒りも憎しみも、みんな一緒くたに混ざってて、あたしはどれが正しいのか分からなくなっていった。



 最初に辿り着いたのは、砂漠の国だった。

 地平線まで続く砂の真ん中に、井戸があって、毎朝そこに長い列ができていた。

 小さな子が、喉が渇いているくせに自分の番を譲って笑っているのを見て、黙っていられなくなった。


 思わず列に割り込み、その子に先に水を飲ませたあとで、今度は水の回らなかった誰かの背中を見送ることになった。

 胸の中で、怒りと後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。


 井戸端でうなだれていたあたしに、砂の熱を吸った手を差し出して言った。


「怒りは悪くない。ただし、飲み込むな。燃やして立て。」


 その手は、熱かった。

 あの時初めて、怒りって、生きるための火なんだと思った。

 悪いもんじゃないと、少しだけ分かった。



 次は、氷の国。

 そこじゃみんな、笑顔のまま怒らなかった。

 怒る人は外に出されて、残った人たちは氷みたいに静かだった。


 最初は、なんだかガン・イシュに似てると思った。

 穏やかで、優しくて、声を荒げる人がいない。

 でも、すぐに違うと分かった。


 ガン・イシュのみんなは、怒らないんじゃなくて、怒りを持っていなかった。

 あの穏やかさは、生まれつきの呼吸みたいなものだった。

 自然で、痛くない静けさだった。


 けど、この氷の国の穏やかさは違った。

 ここでは、みんなが怒りを閉じ込めて生きてた。

 怒りが出そうになるたび、深呼吸して飲み込み、やがて本当に、何も感じなくなっていく。


 笑ってるけど、目は笑っていない。

 息をしているけど、心は動かない。

 あたしには、それが死ぬ寸前の穏やかさに見えた。


 夜、宿の窓から白い吐息を見た。

 あたしの息も、すぐに凍って消えた。


「怒りを凍らせると、悲しみも凍る。……これ、平和って言えるのかな。」


 氷の国の人たちは、怒りを抑えて幸せを守っていた。

 ガン・イシュの人たちは、怒りを知らずに幸せを分け合っていた。

 似ているようで、まったく違う。


 あたしは、あの優しい静けさが恋しくなった。

 怒りをなくすんじゃなくて、怒りを知らなくても笑える、あの場所が。

 だから、ここを出るとき、あたしは決めたんだ。

 怒りを凍らせるんじゃなくて、溶かして生きるって。



 そのあとに行った火山の国では、空気が違った。

 怒りを怖がるどころか、みんなそれを芸術にしてたんだ。

 鍛冶場で鉄を打つ音が、まるで怒鳴り声みたいで、でもそれが、なんだか優しかった。


「怒りは熱だ。鍛えれば刃にも灯にもなる。」


 鍛冶師の言葉が火花みたいに胸に刺さった。

 あたしは鉄を打ちながら思った。

 怒りはぶつけるもんじゃない。

 叩いて、打ち直して、形にすればいいんだ。


 手のひらに残る熱が、いつの間にかむんむんじゃなくて、息になってた。



 東の島国では、怒りが海みたいに静かだった。

 老人が海辺で言った。


「波は怒っていない。ただ寄せて、返しているだけだ。」


 あたしはその言葉の意味が、すぐには分からなかった。

 でも波を見ているうちに、胸の奥がゆっくりと温かくなるのを感じた。


 むんむんって、怒りでも憎しみでもなかった。

 動かそうとする力だったんだ。

 誰かを笑わせたいとか、守りたいとか、そういう気持ちの奥で、静かに燃えてる流れ。


「怒りは止められない。でも、向きを変えることはできる。」


 老人がそう言った時、あたしは波と同じ呼吸をしてた。

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