歪み
イシュの民は、外壁の外側の人々を脅かすどころか、生活が困窮していた人々に快く手を差し伸べるが、根深い選民思想から、人々はそんな彼らを奴隷として位置付け、労働力や食料確保の手段として都合よく利用した。
家畜がいなくなると穀物以外の食料を輸入に頼ることとなり、それが財政を圧迫し始めたのもこのころである。
鳥獣憐みの令の最後の適用は、獣人――すなわちイシュの民に対してだった。これが、民衆の恐怖心による「適応保護法」の悪用を招いた。後に最も注目される「獣人期」である。
獣人期はやや複雑であるため、順を追って説明しよう。
かつて孤児院の設立とともに犬猫期に施行された適応保護法は、表向きには、孤児の保護と社会適応を目的とした法である。下層で扱われてきた彼らには職も土地もなく、言葉も風習も異なっていたため、保護の名のもとに収容されることは自然な流れとして受け入れられていた。
奴隷がいなくなっては困るという社会的背景から奴隷の所有には規制を設けず、犬猫期や害獣期同様、対象を害することのみを禁ずる。
「獣人――イシュの民を利用した恫喝」
かつての恐怖が形を変えて鎌首をもたげる。――所有が禁じられないのであれば、イシュの民がいなければいい。
こうして適応保護法を根拠に、奴隷として扱われていた獣人のみならず、自由に暮らしていた者たちまでもが、保護の名のもとに積極的に捕獲されていったのである。
鳥獣憐みの令の公布当初から動物愛護の精神のもとに、領主の娘、リルを聖女と呼ぶような統制が取られていた。寄付金のためである。
外壁の内側では素直に定着していくが、外側では民衆を中心として、鳥獣憐みの令が適応保護法と合わさり、奴隷解放の側面を持つことになった結果、聖女という呼び名には皮肉が込められた。同時に適応保護法による新たな隔離を生む法として機能し、解放と収容が同時に進行するという奇妙な結果をもたらした。
その法が、リルの一声によって施行されたのだ。
法の施行や運用拡大の節々には、民衆に姿を見せることのないリルの名が刻まれ続けた。
孤児院の設立や運営における功績とあわせ、社会的評価は確固たるものとなるが、名前だけが独り歩きし、とりわけ外壁の外側の民衆には脅威として刻まれることとなる。
リルの成長に焦点を向けよう。
彼女は自らの名を冠した孤児院の運営に尽力した。設立と運営は彼女に名声をもたらし、彼女の活動はせいどとして確立されていった。孤児院は成長を続け、表向きには社会的善意の象徴となったが、その裏でイシュの民の隔離による差別と支配の象徴にもなった。
同じ期間、主人公は文字の学習をはじめとして、この世界の仕組みを積極的に学ぶようになった。学校生活には興味を失っていたリルは、国の役人を通じて屋敷に教師を招くことで教育環境を整えたものの、箱入り娘として、外界の事情には疎いまま成長することとなった。その結果、イシュの民が獣人であるという事実を結びつけることなく、法の名に自らの名が並ぶことの意味も理解しないまま、せいどの中で名声を重ねていった。
鳥獣憐みの令の中心に立ちながら、その一つの認識の欠如が、のちにどれほどの影を落とすことになるのか――この時点で知る由はなかった。
元の世界の常識を基盤としていること、リオナの存在や大人たちの思惑がもたらした歪みであった。




