祈り
「私ね、イシュの民なんだ。」
唐突にそう言われて、私は目を瞬いた。部屋の空気が、わずかに揺らいだ気がした。
夕暮れの光が差し込む窓辺で、リオナは背を向けたまま、掃きかけた箒の先を止めている。
どんな返事をすればいいのか分からなかった。
講義で聞いたイシュという言葉が、頭の奥をかすめる。
確か、古代の魔物と人との間に生まれたどこか幻想的な存在。
私は、ぼくのかんがえるさいきょーの魔族のようなものを想像し、うとうとしていた。
けれど、目の前にいるリオナは、どこから見ても普通の人間にしか見えない。
だからこそ、言葉の意味がすぐには掴めなかった。
リオナは、窓の外を見たまま、少しだけ息を吸い込んだ。
そして静かに歌い出した。
二人で先ほどまで口ずさんでいた、あの祈りの歌を。
「イシュ」それは原初の魔物
愛を育み願いを唱える
「イシュの民」よ「人であれ」
彼の地に向けて夜明けを祈ろう
その旋律は、まるで夕暮れの空気を溶かすように静かで、けれど確かな熱を帯びていた。
彼女はどんな気持ちだったのだろうか。あの、講義の中で語られた「人ならざる」という言葉。
その冷たさに、胸の奥を締めつけられたのだろうか。
リオナの瞳は、何かを押し殺すように遠くを見つめていた。
彼女にとって「夜明け」とは、差別が終わり、異なる種がふたたび人として受け入れられる日のことなのだろう。
その祈りは静かで、けれど痛いほど真っ直ぐだった。
私はただ息を呑んで聴いていた。差別か。リオナはどうして私に打ち明けたのだろう。
知った風にしてみても、リオナが歌に込めた祈りなど、ちっとも理解していないのではないか。
イシュという言葉も、どこかまだ、遠い昔話のよう。
けれど、彼女の声には確かに「人」の温もりがあった。
イシュの民というのは人間の血が半分。でも人ならざるどころか、むしろイシュの民こそ人らしさを持っているじゃないか。目の前のリオナを見ながら、そう思った。
全部人間のくせに、平気で傷つけ、笑っていられる人でなしども。
そんなもの、さっさと卒業してしまえばいい。
――人であれ。
胸の奥で、その言葉が静かに響く。
私は、自分なりの祈りを抱いた。
人間が「人」になれるように。
むやみに傷つけることのない世界を願って。




