むかしむかし、あるところに
「イシュ」それは原初の魔物
愛を育み願いを唱える
「イシュの民」よ「人であれ」
彼の地に向けて夜明けを祈ろう
自室に戻ると、リオナが部屋の掃除をしてくれていた。窓から差し込む夕暮れの光が、床の木目に淡く揺れながら落ちる。私はその光に反射するほこりを眺めつつ、ふと消え入りそうな声に耳を傾けた。リオナが歌っている。
連なる音がゆっくりとした旋律を描き、循環する。何度も繰り返される歌詞を聞きながら、ようやくその全貌が掴めた。
「イシュ」それは原初の魔物
愛を育み願いを唱える
「イシュの民」よ「人であれ」
彼の地に向けて夜明けを祈ろう
私はリオナのそばに近寄り、彼女の音程に合わせるように音を重ねた。
「へへっ、カラオケでハモるの、私の特技なの。」
明るい音が、そっと調和し合うように。
「今日の講義、イミフだった~。私ちょーヒマでさ、周りの人の観察とかしてたもん。」
歌を重ね終え、リオナは軽く息を吐いた。わずかに湿った瞳が、私を見据える。
「……あの講義、全部嘘だからね。」
淡々とした口調で、リオナはそう告げる。
「え、あ、うん……」
講義を全く聞いていなかった私はすぐに反応できず、口ごもる。リオナは少し微笑むように視線を向け、待つ。そしてゆっくりと、語り始めた。
「むかしむかし、世界には魔物と呼ばれる存在がいました。でも、彼らは人を害する存在ばかりではありませんでした。人々は、力の差に戸惑い、対処するために冒険者によるハンターギルドを作りました。」
ベッドにうつぶせに寝転び、頬杖をつく。昔話のように紡がれる言葉のひとつひとつが静かに胸に沁みる。老講師のような押し付けはない。リオナの語りには、私の反応を待つ余白がある。
「あるところに、魔物を家族のように思う者たちがいました。それは戦うためではなく、共に生きるためでした。」
彼女は間を置く。私を待つように目を合わせ、そして続ける。
「その中で、魔物と特に心を通わせた人がいて……その祈りから願いの魔法が生まれました。その魔法は愛の魔法と呼ばれ、人と原初の魔物は子を成すことができました。」
老講師の黒板には無数のチョークの線が踊っていた。リオナの声から聞くそれは、優しさを伴って胸に届く。
「彼らは力においてヒトに勝っていました。でも、心は穏やか。争いを好まず、森や風と語らいながら生きていました。」
(いいね。)思わず唇を動かして頷く。リオナはその反応をじっと見つめ、待っている。老講師のように一方的ではなかった。
「でもね、追われたのは力が弱かったからじゃない。誤解され、恐れられ、棲み処を追われてしまいました。」
声に少し影が混じる。それでもリオナは私をじっと見ているだけで、怒りや悲しみを押し付けない。私がどう受け止めるか、待ってくれているのだ。
「誰かが異種と迫害された名前を、人という意味のイシュに置き換え、誇りを持とうと言いました。」
言葉のひとつひとつが、ゆっくりと胸に届く。私はしばらく黙って聞き、最後に小さく息を吐いた。
「……そっかぁ、それが人であれっていう祈りなんだね。」
思わず口にした言葉に、リオナは静かに微笑む。その微笑みは、老講師が作った熱狂とは違い、静かで柔らかく、二人だけの世界を包むようだった。
「イシュ」それは原初の魔物
愛を育み願いを唱える
「イシュの民」よ「人であれ」
彼の地に向けて夜明けを祈ろう




