主従と敬語
朝の光が差し込む。
窓の外では小鳥の鳴き声がして、昨日よりも少しだけ暖かい空気が流れていた。
けれど、胸の奥の重さは取れないままだった。
パンをちぎりながら、ぼんやりと呟く。
「……やっぱり、家には帰れないのかな」
「……はい?」
リオナの声が近くで跳ねた。
「あ、ううん、独り言。」
リオナが私のカップに紅茶を注ぎ足す。
「……お嬢様、パンのお味はいかがですか?」
「あ、うん。おいしいよ。」
反射的に答えた後、言葉が続かず沈黙が落ちる。
パンの香りがやけに遠くに感じられた。
「ねえ、知ってる?壁の外にわらの村があったんだけど、向こう側って行けないかな?」
外壁の2階と3階から見えた、わらの村。通った経路上には反対側に出る扉は見なかった。
「お嬢様、学校は……大丈夫なのですか?」
「学校?学校なんてあるの?」
「いえ、なんでもありません。外壁の向こうへでしたね。ここからの近さを優先するのであれば、2号風車の辺りから抜けられます。ご案内いたしましょうか?」
「あーうん。嬉しいんだけどもさ、そのご提案は誠に……ってゆーかリオナ、見た感じ私とそんなに変わんないでしょ?変に恭しいのやめて欲しい。もっと気軽にしてくんないかな。」
「……気軽に、でございますか?」
リオナが小首をかしげる。その表情は戸惑い半分、探るような色半分。
「そう。敬語とかさ、なんかその距離感落ち着かないんだよね。」
口にしてから、勝手なことを言っていると思った。
お嬢様に仕える人に、敬語をやめろだなんて。
でも、リオナの返事は思ったより穏やかだった。
「……承知しました。では――できる範囲で。」
リオナは少しの沈黙のあと、首をすこし傾け、微笑んでそう言った。
懐かしさを帯びた、柔らかな笑みだった。
「じゃあ、ちょっとその……風車の方、行ってみよっか。」
「はい。……あ、いえ、うん。」
リオナが言い直した。
その「うん」は、ほんの少しだけぎこちなく、どこか優しさを感じた。
◆
外に出ると、風の匂いがした。石畳の上に朝日が広がり、世界は私という異物を意にも介さず明るい。
だからといって、足取りは軽くならない。
この場所はお嬢様の屋敷で、リオナはその侍女で――全部が他人の人生だ。
くよくよしたって仕方ない。強引に気分を振り切る。お腹いっぱい食べたんだから、せめて足取りくらいは自分のものにしよう。
「ねえリオナ。壁の外って、どんなとこなの?」
「うーん……村とか畑とか。あんまりきれいじゃないけど。」
「きれいじゃない?」
「うん。中のヒト達みたいに壁もないしね。だから、住んでる人たちも、いろいろ。そう、いろいろ大変なんです。」
言いながらリオナは、少しだけ視線を落とした。
「いろいろ?」
「……あ、別に。気にしないでください。あの、気にしないで。」
「ふうん。」
そう言いながら私は歩を進めた。
行けば分かるよ、といった風でもなく、リオナは言い淀む。
まあ、日本から来た私なんかにわかるわけないんだし。
風が頬を撫でる。遠くで風車が回る音がした。
リオナは少し後ろを歩きながら、私をじっと見ていた。
その視線の意味を、私はまだ知らない。




