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変化するもの

 イシュの民は、両親と子どもだけで暮らす。

 人間のように、数世代が同居するようなことはない。

 なぜなら、外縁の森では、はぐれることが人間に攫われる可能性を高めるからだ。

 数が多ければ、目が届かなくなる。

 水結晶に惹かれて森から人間の生活圏に出てしまった者は、人間にいいように利用されてしまうのさ。

 あの力は群れの分断の要因でもあったのだ。


 それに対して孤児院は、塀の中が一つの家族だった。

 最初期の子どもたちはみんな、リルが歩き回って集めた。

 暖かい部屋と運ばれて来る温かい食べ物、教育ではリルは「リル先生」だったらしい。

 あたしは目が見えるようになってすぐにおばちゃんに買われた。

 だから孤児院でのリルの記憶は、熱と声だけだった。


 鳥獣憐みの令が煮詰まるに従い、孤児ばかりか、軍属をも含む奴隷たちが収容された。

 身体のどこかに入った筋をさする仕草が特徴的だった。

 少数の大人たちは、外に出ることをあまり良いことのように言わず、ほとんど全てが水に流された。


 民衆との関係が変化し、自由に水結晶のある外壁を訪れることができるようになった。

 外壁の中に住むイシュの民も出てくるだろう。

 今後、イシュの民の家族はどのように形を変えるだろうか。


「今のリオナは、リルらしいという楽観的な評価ができる面もある。外壁を人間から取り戻し、戦艦ノアなんていう凶悪そうな兵器を運用し得る政治的な強者さね。誰にとってのどういった立場なのかで意味が変わってくるのさ。」

「イシュの民ってのは、どいつもこいつも優秀なやつばかりで困る。少なくとも俺は、イシュの民には隣人として敬意が足りなかったと思うぜ。」


 敬意。


「愛情がなきゃ、家畜なんざ飼えねぇ」

 そう言った飼い主。


「この肉があるだけで、この村の冬は少し楽になる。」

 年配の女が祈りのような響きでぼそりと言った。


 可哀想、だけじゃ片付かない。

 残酷、だけでも片付かない。


 もう随分と離れてしまった外壁の街では、ネロによる向き合う教育が繰り返されていた。

 アイラお手製の飴玉を使って。

 余談だが、ネロとルイスの意外な関係性を、この飴玉が繋げていた。


「いただきます」「ご馳走様」

 命をいただくことに、生きとし生けるものへ、感謝する。

 それを、きちんと示す。

 リルがかつて、そんな風に語っていた。

 感謝をすれば、敬意が生まれる。


 むやみに生き物を虐げることを禁ず。


 鳥獣憐みの令に残された一文だ。

 リルが伝えようとした願い。

 民衆たちの戒めの言葉となったもの。


 そんな敬意は、森の木々にも向けられた。

 森を育てる下刈りや間伐の話。

「森ごと死なせるのは、むやみってやつに当たるんだとさ。」

 そんな風に言った男たちや、外縁の森のイシュの民の手によって、どこからか持ち込まれた苗木が、ぽつぽつと植えられていた。

 テルマエという、大量の薪を消費する施設を維持するために、森が死んでいく。

 リオナたち為政者は、そんなことまで危惧しているのだ。


 極めつけは、市場では持ち込まれた食べ物が、カールに無償で振る舞われる慣習だった。

 これは、ドーラのみならず、隣人として敬意が足りなかったという戒めからくるものだろうか。

 それとも、そんなところにも為政者の根回しが届いているのだろうか。


 市場の慣習も、苗木も、要塞も、全部誰かの言葉から始まっている。

 密室で下す決断は、あたしたちに届くときにはいつも、既に変えられない変化として目の前に現れるのさ。

 未舗装路から石畳へと変わり、尾から熱が奪われる。

 あたしは前を歩くドーラの背中と、その横で歩調を合わせるカールを見つめていた。


「ドーラ。あんたは特使なんて立派な肩書きで、王都と外壁の街を繋いでいる。中枢の連中が何を考えているのか、一番近くで感じているはずだ。どうだい、連中の目に映るあたしたちの変化は。」


 ドーラは歩みを止めず、背嚢の紐を少し直した。


「さあね、もうすぐその王都だ。イシュの民が外壁を奪還したのも、戦艦ノアも、どんな風に届いているか、俺も確かめるのは着いてからになる。一緒に見てみようじゃないか。」


 カールがふいにつま先立ちになり、道端の草むらを覗き込んだ。


「人間はあたしたちをまだまだ都合のいい道具だと思ってるにゃ。自分の手で上手に使ってやってると思ってるにゃ。」

「まったくだね。ルイスの式だってそうさ。人間一人にイシュの民二人という釣り合いを民衆に見せるために、アイラを連れてきたという見方もできるさね。」

「いろいろと今のうちに考えるといい。メレナが見定めるというのなら、それは為政者の手の上で踊ることじゃない。変化そのものを外側から疑え。戦艦ノアがただの船か、それとも棺桶か。メレナは、鍵なんだろう?」


 元より娘のために生きているからな。

 道中でそう言い切ったドーラの親心は、母性としてあたしたちにも向けられ始めているように感じる旅だった。

 これは、変化だろうか。

 いや、変化には違いないが、根底にある変わらない親心がその対象を拡大しただけな気がしている。


「バカなのにゃ。他の手段を探せばいいにゃ。」

「それをしないのは、橙だ。橙たちがメレナを認めているという見方もできるぜ。」


 ドーラはバカだと言うカールの言葉を、笑顔を浮かべて聞いている。

 そして、あたしの言い回しを真似して、否定も肯定もしない。

 今のうちに考える、という選択肢を、そっと後押しする。


 あたしは手帳を閉じた。

 本当に楽園を取り返したと言えるのか、本当にイシュの民たちの望んだ場所なのか。

 あるいは、戦艦ノアという凶器の先にしか道はないのか。


 あの橙たちに認められている。

 いちいち刻むあの話し方で何かを言われたときのようなイライラした気分が、尻尾の先端を左右に揺らすのが分かった。

 言い回しのみならず、橙そのものを生理的に受け入れたくないのかね、あたしは。


 王都はもうすぐだ。

 道の先にうっすらと高い城壁の影が見え始めていた。

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