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外壁

 エレガン辺境伯は、かつて外壁の街はイシュの民のものだと言っていた。

 リルが明らかに変わったことに気付いたであろう辺境伯は、それを口にしなくなったようだが。

 その代わりに、『鳥獣憐みの令』は『適応保護法』と相まって、劇的にイシュの民の扱いを変化させることとなった。

 帝国に出向いて世界の動きを知り、戻って来てからは、最悪を想定して動いている。


「そう、あとはメレナ次第なのね。」


 南の海に浮かぶ、戦艦ノア。

 実際は、海中に潜っている外壁の延長上に乗っているのだが。

 橙たちは単純にノアと呼んでいたが、私が戦艦ノアとして広めた。


「まぁ、気長に待つよ。リオナの政治で、伝わるものも、出てくるだろうさ。」


 紫露が抜けて、すっかり橙の代表となったイシス。

 辺境伯領の会議に出席することも多くなった。

 会議室には方形に並べられた長机。

 エレガン辺境伯の座席と対面する位置に、私たちの席は用意されるようになっていた。


「外壁の内側のイシュの民への返還、ですか。ついに、この時が来たのですね。」


 オクパトスが資料をめくり、議案を読み上げた。

 カイが目を丸くしている。

 心の内をさらけ出すような表情は、本来よろしくないのだが。

 場合によっては、重要な議案を予め教えられていない立場を晒す行為だ。


「これについては、私から説明しましょう。特使の皆様はご存知でしょう。ですのでこれは、四大貴族の皆様に向けてのものです。」


 カタリナ、ファルスを見ても、表情の変化はない。

 ルイスは眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。

 変化がないと言えばその通りである。


「我々が外壁だと認識している建造物は、太古の昔、イシュの民によって創られました。イシュの民が集まることや、紫露が使()()()ことが、その証左です。ゆえに、返還なのです。」


 カイ、きょろきょろするのはやめなさい。

 そんな思いを込めて、カイを睨み付ける。

 その視線をどう誤解したのか、カイは発言へと踏み切った。


「街の住人はどうなるんですか!」


 何を言っているのだろうか。

 外壁を返してもらうだけだ。

 そのまま住めばいいと思う。


「これは、私の言い方が悪かったようです。言葉の意味を明確に定義しましょう。私が言いたかったのは、外壁の内部という意味の内側です。」


 オクパトスが手を挙げながら発言する。


「つまり、外壁を建造物としたとき、その内部という意味であり、この会議においてこれ以降、内部、中といった表現を用いることを提案いたします。対して、外壁を円周と見立てたとき、その円周に囲まれた場所については、以降は内側という表現を用いることを提案いたします。いかがでしょうか。」


 面白いくらい、ルイスの眉間の皺が深くなる。


「ほ、ほーん。なるほど、ええと思います。えらいすみませんでした……」

「ほっほっほ。わかりにくいねぇ。子どもたちに説明するように言わないと、みんな混乱しちゃうでしょ。つまり、あの壁をイシュの民に返すのさ。学校とかに使えなくなるってことだね。まあ、あんまり使われてないけどねぇ。」


 ルイスの眉間の皺は、深いままだ。


「内部には、巨大な弩が配備されている。あれの所有権はどうなるのだ。それに、水だ。」


 どうやら、オクパトスの言い回しを理解できなかったわけではなかったようだ。


「水は、好きに利用してくれて構わないということです。」


 イシュの民は、外壁として創ったわけではないという。

 太古のイシュの民が、黄金の穀倉地の豊穣の力を水結晶で囲った。

 水と豊穣の力の源が、イシュの民の願いの魔法に作用して、イシュの民を惹き寄せる。

 水結晶が砕かれたとき、外壁の内側にいたイシュの民から、願いの魔法が消えた。

 逃亡旅団のみんなは、水結晶から温かさを感じなくなったそうだ。


「イシュの民が求めるのは、この温かさなのよね。」

「僕たちは、例外種だから、その温かさを、知らないんだ。」


 私はあのとき、リルと一緒に外壁の外にいた。

 願いの魔法が、消えない位置だ。

 そして私は、今も水結晶から温かさを感じられる。

 怒れるイシュの民で例外種と一括りにしていたけど、例外種にもいろいろありそうだ。


「その例外種ですが、怒れなかったイシュの民を怒れるようにした、と積極的流布していますよね?」


 そう切り出したのは、私から見て左手側にある長机の手前側に座る運輸家のファルス。

 私とイシスの雑談を拾ったようだ。

 発言内容も、これまでの会議で、他ならぬ私が提案したことだ。


「イシュの民の皆さんが防壁だと思っていなくても、人間にとっては防壁なのです。」


 ファルスは、私とイシスが座る方へ向けて、意見した。


「なるほど、そういうことか。怒れるようになったばかりのイシュの民という未知数な存在に、防壁を明け渡すことを懸念しておるのか。」


 ファルスの意見を継いで、ルイスが要約する。


「いやいや、この街においては今こそが、懐に入れてしまう好機だと思うねぇ。ただしこれは、あまりにもイシュの民を含む子どもたちと身近になり過ぎた老人の意見だ。」


 孤児院跡地に足繁く通い、飴玉を配る好々爺。

 飴玉とはいえ、ネロが見返りもなく施すようになるとは、少し前には考えられないことだった。


「ふん、立場が無ければ同意見だ。イシュの民が怒れるようになったから危険だなどという短絡的な意見は、リオナの戦略的な偽情報である。」


 ルイスは新婦の父親として、ガン・イシュに招かれた。

 そしてなんと、ヴィクトリア改め、ロリーナとその娘、ルイーズを連れて帰って来たのだ。

 新婦はルイーズではなく、その姉のアリスという、鹿の獣人だ。

 ルイスと相談のうえ、彼女はリルと共にガン・イシュに残った。

 私が伝書役に会ってその話を聞いたのは、つい最近だ。

 知っていれば色々その時に伝えられたというのに。


 まあ、私やラヴィの無事は伝えられた。

 今はまだ、それだけで十分だ。

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