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51話 カタリナの闇

「なんだか久しぶりだな」


 私はリフェイラのお屋敷、玄関扉の前で呟く。


 王宮に仕官してから約二週間。実に久しぶりにリフェイラのお屋敷に帰ってきたのである。


 リアンナ長官にお願いし、二日間だけお暇をいただいたのだ。


 その目的はもちろん貴族学院の図書館にいくつかある法典を読む為だ。王宮の蔵書室にも法典の複写本はもちろんあるのだが、生憎(あいにく)第三蔵書室ではない別の蔵書室にあるのだ。


 自分が担当していない蔵書室となると他の尚書官に遠慮しなくてはならないので面倒なのである。


「おかえりなさいませ、デレアお嬢様」


「わざわざ出迎えてくれたのか、フラン」


「当然です。デレアお嬢様がお帰りになると聞いて専属の私がお出迎え致さなくてどうするのですか」


「はは、相変わらずの減らず口だ」


「それはお嬢様もです」


 そう言って私たちは互いに笑い合う。


「さあ、お嬢様。どうぞ」


 私は私専属の侍女フランに連れられ屋敷の中へと入って行った。


 玄関ホールでは幾人かの侍女たちと侍女頭のマーサも私を笑顔で出迎えてくれた。


「デレアお姉様ぁーーーッ!」


 そんな中、ホール中央の湾曲した階段の上から私の名を叫び、走ってくる人影が見える。


「はあ! はあ! おかえりなさいませ、お姉様!」


「う、うん。ただいまドリゼラ」


 ドリゼラは目を輝かせながら私の両手を握ってきた。


「私は一日千秋の想いでお姉様のお帰りをお待ちしておりましたわ!」


 いやいや、お前は私の恋人か。


「そんな事より、あまり私にくっついてくるな。カタリナお母様に見つかったら面倒だろう?」


「大丈夫ですわ。お母様は昨日から小旅行に行っていてしばらく帰ってきませんもの」


「そうだったのか。それじゃあ今日は娯楽室の本を娯楽室でのんびり読みたい放題だな。もう時間も夕暮れだし、学院図書館には明日行くとしよう」


 王宮からリフェイラのお屋敷までは馬車でも結構な距離がある。お昼過ぎに王宮を出た為、今日はもう時間があまりないのだ。


「駄目ですわ!」


「は? おいドリゼラ、話が違うだろう。お前、以前私に好きに読んで良いって言ったよな?」


「違いますの。今日はお姉様にどうしてもお話したい事がありますの。だから本は後回しにしてください!」


「なに?」


 ドリゼラは私の耳元に近づき、


「……お母様の黒い噂についてお話しておきたい事が。詳しくはお姉様のお部屋で」


 そう囁いた。




        ●○●○● 




 カタリナ・リフェイラ三十五歳。


 彼女は元々ゾルフォンス家という伯爵家の令嬢で、二十歳の頃ギランと婚約し、二十二歳で結婚した。


 カタリナの生家であるゾルフォンス家は代々強力な魔力を持つ家系で、その魔力に魅入られたギラン・リフェイラの父が半ば強引にギランと婚約関係にしたそうだ。


 なんでもその時にはすでに私の母であるローザ・メモリアと深い愛を築いていたらしく、おまけにギランはカタリナという婚約者ができたというのにローザと密会を繰り返し、結果、ローザは私を身籠ってしまった。


「デレアお姉様がリフェイラのお屋敷にやってきてからというもの、毎日のようにお母様からその話を聞かされていましたの」


 ドリゼラ曰く、カタリナはギランの不貞行為を途中から知っていたらしい。しかしカタリナはゾルフォンス家の意向により黙認したままで婚約者を貫き、そして結婚まで進めたのだとか。


「というのも当時、お母様のご実家であるゾルフォンス家はとある事案のせいで非常にお金に困っていたそうなのです。リフェイラ家は莫大な資産を持っていたのでそれが狙いだったそうです」


 金の為にカタリナお母様はギランお父様と結婚させられたというわけだ。


「なるほどな。まあそれはいいとして、それとカタリナお母様に関する黒い噂っていうのはどういう関係があるんだ?」


「……カタリナお母様は当時、デレアお姉様の本当のお母様、ローザ様に対して恐ろしいほどの怨恨を抱いていたそうですわ。けれどカタリナお母様は必ずギランお父様が自分しか見なくなる事をわかっていたのだと言いました」


「それは私のお母さ……いや、ローザが平民だから身分違いの恋だという意味ではなくて、か?」


「はい。カタリナお母様はこう仰っていました。ルールが人を縛るものならば、ルールを生み出す者こそが正義。正義の名のもとに必ず私が勝つとわかっていた、と」


「ルールを……? どういう意味だ……?」


「詳しくはお母様も教えてくれませんでしたわ。けれど、ルールの意味はすぐにわかりましたの。法案ですわ」


「法案……?」


「はい。私もお母様の言葉が気になって、当時の事を昔からいる侍女頭のマーサや家令のドルバトスに聞いてみてわかったんですの。そうしたら、法令に詳しいドルバトスがこんな事を教えてくれましたわ」


 今から約十五年ほど前。私が生まれる少し前だ。


 その頃くらいからヴィクトリア王国では様々な法改正が始まっていて、その時新しく制定された法案のうち、次のようなものがある。


『ヴィクトリア王国民法令、第二百三十八条。故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者、一族は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。金銭によってこれを賄い切れない場合、死をもって贖わせる場合もある』


『ヴィクトリア王国民法令、第二百三十九条。夫婦となった者らは国王を除き、互いが性的に純潔を保ち、配偶者以外と性的行為を行ってはならない』


 要は王様以外が不貞行為をしたら相手側に対して多額の賠償請求していいよ、金が払えなければ法的に殺すよ、と国が認めたのだ。


 婚約者として正式な書面があるのはカタリナの方であり、先に恋人関係であったとしてもローザとは不貞行為関係と認められてしまうのだ。


「……なるほど。それでギランお父様はお母さんを捨てざるを得なかったのか」


「おそらくそうですわ。ギランお父様はローザ様の事を強く想っていたようですし、おそらくローザ様の為を想って彼女と別れたのだと」


 ヴィクトリア王国ではこれまでも『不貞行為はいけない』という認識、風潮は当たり前にあったが、それが正式に法律として定められてはいなかった。


 それがこのように定められてしまえば、もはや言い逃れはできない。


「……お母さん」


 私は当時のお母さんの事を思い返す。


 私はお母さんを捨てた父に激しく憤っていたが、それでもローザお母さんはいつも「お父さんはとても素晴らしい人だから決して恨んではいけない」と言っていた。


 お母さんはわかっていたんだ。自分たちの為に自分たちを捨てざるを得ない事を。


「デレアお姉様のお母様……ローザ様には大変気の毒な結果だとは思いますわ……。デレアお姉様が私たちを恨んで、ああいう態度を取っていた事も今なら理解できますもの」


 ドリゼラも悲しそうな顔をしてくれている。


 こいつ、本当に変わったな……。


「……もういいよ、忘れよう。どうせ私のお母さんは生き返らないのだからな」


「ごめんなさい、お姉様……」


「でも、ありがとうなドリゼラ。お前が教えてくれたおかげで私も多少、ギランお父様を許してあげられる気持ちが生まれたよ」


 私は寂しく笑った。


「……話が逸れましたわお姉様。問題はそこではなくて、お母様の仰っていた言葉なんですの」


「ルールが、ってやつか。なるほど、わかったぞ。カタリナお母様はその法案が打ち出され、制定される事が予めわかっていたという事だな?」


「ええ、そうなんですわ。それで最近わかった事があって、実はお母様は……」


 ドリゼラは一際神妙な表情をして、



「お母様は……諸外国のスパイなのかもしれませんの」



 そう、告げた。



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