第5話 神話世界からの膝枕
多分、今俺は、笑っているんだろう。口の両端が引きつっている。
車に撥ねられて死んだら、戦乙女の同級生に会った。告白されて、覚悟を決めて、黄泉の国の亡者を撃退した。そしたら今度は高天原を奪還するために戦えときた。それでも覚悟を決めた以上、俺は彼女に付き合うことにした。
で、彼女の拠点に着いてみたら、神だと名乗るでかい男から喧嘩を売られた。
俺が何をした。なんでここまで馬鹿にされる? 彼女までがコケにされる意味はなんだ?
俺が人で、彼女が半分神で、あの馬鹿が神だからか?
だとしたら。
「おい神」
「ヘイムダルだ。頭が高いぞ猿」
「てめぇの名前なんざどうでもいいんだよ」
答えによっては。
「てめぇ、これまでにアカネに何かしやがったか?」
「……は?」
ヘイムダルは一瞬呆けた表情になり、次の瞬間吹き出した。
「はぁーっはっはっは!! 何かしたか、だと!? この我が!? ……随分笑わせてくれるな猿」
そして、さらにニヤついた糞神曰く。
「だとしたら?」
「殺す」
俺の前に蒼い粒子が集まる。さっきよりも密度が高く、粒子の動きが速い。
「ハガネ……すごい……」
「……ほう」
「神ってな死んでも生き返るんだってな? そのくらいは俺だって知ってるぜ」
「……だったら?」
不遜な笑みを浮かべるヘイムダル。ゲスい顔しやがって。
人VS.神なんて、勝負は最初から決まってる。
人が神になんて叶うわけがない。
でも、思い出した。
アカネはさっき、初めておれがイージスを出した時にこう言っていた。
――思いの強さが、その武器を無限に強くする。
俺は、アカネを守ると言った。そう決めた。
だから。
「安心しろよ。生き返ってもまた殺してやる。ブチ切れた人間を舐めるんじゃねえぞ、神」
「舐めるな、だと? 猿、このヘイムダルに舐めるなと言ったか?」
「……耳は聞こえてんのに意味がわからねえのか? それは馬鹿っていうんじゃねえか? ……なんだっけ、ヘ、ヘイヘヘイ?」
「ヘイムダルだっ! 猿の分際で愚弄するかっ!」
ほぉん。
随分と頭に血が昇りやすいんだな? 人のことは言えねえけど。
でもあれだな。人間、怒りが頂点までいくと、却って冷静になるっていうけど、ありゃ本当だな。
頭がすげぇ冴えてる。それに、視界の端っこまでよく視える。おれの右目の隅っこでは、アカネが心配そうに俺を見ていた。
「そんな心配すんなよ、アカネ」
「ハガネ、やめて。ヘイムダル様は、ヴァルハラの門番を任される程の実力だよ? 今のキミじゃ、かないっこないよ!」
「……聞き捨てならんな」
ヘイムダルはアカネの方に目をやり、心外だとばかりに口を開いた。
「時間さえあれば、この猿が我に敵うとでも言いたげではないか? この、ただの猿が」
「……そうです。ハガネはいずれ、最強のエインヘリヤルになります」
嬉しいね。そこまで期待してくれてんだ。
だったら精一杯応えてやらねえとな。
――この、イージスで。
ヘイムダルは今、アカネとの会話に夢中だ。……多分、隙を作ってくれたんだろうな。強気な微笑みを浮かべてる。
「笑わせるな、これまで数多のエインヘリヤルを見てきたが、コイツ程弱々しい者は見たことがっ……!」
語っている隙に懐に潜り込む。
相手はでかい。加えて、神だ。
ちっぽけな俺が多少うろちょろしたとこで、気にすることはない。挑発にはチョロッチョロだったけどな。
そろそろと、ヘイムダルの目線から逃れるように視界の外側に回り込む。さすがに気づいたヘイムダルが首をこっちに回す直前、俺は地面に這うように身体を沈ませ、左腕につけたイージスを、ヘイムダルに向けた。その先には太い杭のような棒が鈍く光る。
馬鹿が。
「がら空きだコラァァァァッ!!」
ハンドルについたレバーを思い切り引く。
ヘイムダルの土手っ腹に、杭打機が射出された。
……が。
「入らねえ!?」
「流石にちょろちょろするのは得意だな、猿ゥ!!」
脳天に強烈な痛みがはしる。焦げ臭いにおいが鼻をつき、眼の前にチカチカと星が瞬く。
殴られた、と気づいたのは、俺が無様に地べたにへばりついた後だった。
「おぐぅっ」
背中を踏まれた。ミシミシと背骨が悲鳴を上げる。
「……ほう、悲鳴もあげんか。遠慮することはないぞ、猿? みっともなくヒィヒィ泣き叫べ」
「……ぜぇ」
「んん?」
「……ぅぜぇんだよこのクソ髭がぁっ!! 殺るならさっさと殺」
――――
あれ。
俺はどうなったんだろう。
背中を踏みつけられ、みっともなく喚いている途中に腰に激痛が走った、までは覚えている。
死んだのか? もう死んでるのに?
ぼんやりと、身体の感覚が戻ってくる。少し身体が重い。
後頭部に触れているのは枕だろうか。ふんわりとしつつも芯に弾力がある。
「んっ……」
表面の感触はつるっとしながらも吸い付くような、まるで頭の中で思い描いていた、彼女の膝枕のようだった。
「もう……」
どこか遠くで声がする。この声はつい最近まで聞いてた声だ。
(アカネ……?)
ふいに視界が開けてくる感覚。あ、これ目開けただけか。
「……あ」
アカネの顔が目の前にあった。いつもはちょっと気の強そうな顔立ちの美少女なのに、今は気弱な美少女に見える。よかった、どっちにしろ美少女だ。
「! おはよう、ハガネ」
「あ、ああ……。俺、たしか門番の神に喧嘩売られて……!」
言いながら俺は、少し身体を起こす。
アカネはそれをそっと抑え、自分の太ももに俺の頭を置いた。
……太もも?
「も、もう少し、このままで、いいから。……ね?」
「……わり」
……彼女の膝枕だった。
見上げると、丁度良さげな膨らみの向こう側に、アカネの真っ赤な顔が見える。
いちいち可愛いなおい。
どうやらここは、建物の中のようだ。床には畳が敷かれ、窓の内側には障子が張られている。典型的な一般家庭の和室……のようだが、随分広い感じだ。旅館の一室、という方が近いか。ドアは木製、かな。見た感じ結構な厚みがありそうだ。内側からカンヌキで鍵をかける仕様になっている。
っていうか、なんで俺はここに寝てるんだ?
「大丈夫だったか、あの後」
アカネは一瞬驚いた表情になり、すぐに元の微笑みに戻った。
「うん、大丈夫。……心配、してくれたんだ」
「当たり前だろ。……っていうかこの体勢は」
「……いやだった?」
「なわけねえだろ……ん、アカネ、怪我してんのか?」
少し頭を動かした時、アカネの膝小僧が見えた。そこは少し赤くなり、生々しい傷跡になっている。
「ん、ああ、大丈夫。ちょっと掠っただけだから」
「……ごめんな。俺、負けたんだよな」
なんとなく想像はしてる。あの時、いきなり意識が飛んだ。
あれは、死んだってことなんだろう。
「……うん。ハガネが叫んでる最中に、ヘイムダル様が背骨を踏み抜いて、胴体がちぎれかけてそれはもぅぐっちゃ「あ、もういいもういい」そぉ?」
「……で、そこまでやられて、なんで俺ピンピンしてんだ? 痛いところも別にないし……」
「日が変わったからね」
「え?」
「昨日も言ったけど、エインヘリヤルに選ばれた魂は、どんなにボロボロになっても、次の日には蘇るの。その蘇りの時には、その時の怪我とか痛みとか、全部リセットされてるんだよ」
記憶は引き継がれるけどね、とアカネは再び優しく微笑んだ。
つまり、実質不死ってことか。
あれ、でもアカネは……?
「おまえの怪我は治らないのか?」
「戦乙女は半神だから。魂のハガネはリセットするし、神は自分が守護する場所に戻るだけだけど……」
「だけど?」
「ボクらは、半分人間だから。丈夫だし回復も超早いけど、死んじゃったらおしまいなの」
「な……」
頭を思い切りぶん殴られた気分だった。