第三話『咳をしても──』
スマホのブルーライトが、薄暗い路地裏で青白く光っている。
画面に表示されているのは、黒い背景に『X(旧Twitter)』のタイムライン。
アイコンは初期設定の人型のまま。フォロワー数は「0」。
その虚無の裏垢に、大正の自由律俳人・尾崎放哉は、親指の超速フリックで己の魂を連投していた。
@housai_yami(尾崎放哉@裏垢)
咳をしても一人
♡0
@housai_yami(尾崎放哉@裏垢)
墓地から戻って来ても一人
♡0
@housai_yami(尾崎放哉@裏垢)
月夜風ある一人咳して
♡0
@housai_yami(尾崎放哉@裏垢)
ワイは東大卒やぞ!
♡0
「……はぁ。今日もワイの魂の自由律には、誰も『いいね』を押してくれん……」
薄汚れた着物姿のまま、放哉はスマホを握りしめて暗い路地裏でうずくまっていた。
転生ゲートから射出され、現世に降り立ってからおよそ15秒。
大通りの方からは、「ウェーイ!!」「イッキ! イッキ!」という猿のような叫び声と、けたたましいホイッスルの音、そして耳をつんざくEDMの重低音が響いてくる。
10月31日、渋谷センター街。
それは「閑けさ」を重んじる俳人にとって、いや、すべての陰キャにとっての『最下層の地獄』であった。
「……あいつら、軽トラひっくり返して喜んでる……狂っとる。脳みそにウジが湧いとる……」
路地の隙間から覗き見た光景に、放哉は震え上がった。
血塗れのナース服を着た女、マ◯オの格好で叫ぶ男たち。まさに百鬼夜行。
あの光の中に出れば、ワイみたいな陰湿な人間は一瞬で消し炭になる。ここで時間が過ぎるのを待とう。そう思って息を潜めた、その時だった。
「うぇーい! お兄さん、そこで何してんの!?」
「ヒッ!?」
放哉の肩が跳ねた。
路地裏を覗き込んできたのは、顔をゾンビ風にペイントしたチャラい大学生の集団と、露出度の高いポリスのコスプレをしたギャルたちだった。
「えっ、ヤバ! お兄さんのコスプレ、ガチじゃん!!」
「着物ボロボロだし、顔色エグいくらい悪いし! メイクすげー!!」
「ち、ちが……メイクちゃう……ワイはただ結核で顔色が悪いだけの、陰の者で……」
「めっちゃウケるんですけどー! 写真撮ろ! ほら、お兄さんもこっち来て!」
「アッ、やめッ、引っ張らないで! 明るいところにワイを引きずり出さんでもろてえええ!」
ズルズルと、無慈悲な陽キャの圧倒的な腕力によって、放哉はネオンがギラつくセンター街のど真ん中へ引きずり出された。
無数のスマホのフラッシュが、引きこもりの網膜を容赦なく焼いていく。
「お兄さんノリ悪ーい! ハロウィンなんだから飲も飲も! はいテキーラ!」
「ウェーイ!!」
ド派手なドクロの仮面を被った男が、放哉に向かって度数40度の酒瓶を突き出してきた。
「ひぃっ!? む、無理っす! ワイ、盃とか持ってないんで!」
「いいからいいから! ほら、いくよー!!」
男が容赦なく、酒瓶をひっくり返してテキーラをドボドボとこぼし始める。
逃げ場を失った放哉は、とっさに酒を受け止めようとして、パニックのあまり両手を前に突き出してしまった。
放哉の脳内に、生前自らが詠んだ有名な一句がフラッシュバックする。
『入れ物がない 両手で受ける』
「あッ……あぁぁぁぁぁっ!! 両手で受けちゃったァァァア! テキーラを!! 度数40度を直で!! 手が! アルコールで焼けるゥゥゥッ!!」
ビチャビチャに濡れた両手を振り回し、放哉はアスファルトの上でのたうち回った。
だが、そんな地獄の苦しみすら、パリピたちにとっては「おもしろいパフォーマンス」でしかない。
「ヤッバ! お兄さんのリアクション芸サイコーじゃん!!www」
「アハハハハハ!!」
(……死ぬ……!! 殺される……ッ!! この陽キャの群れに、ワイの心も体も食い殺される……ッ!!)
放哉は這いつくばりながら、涙とテキーラでぐちゃぐちゃになった顔を伏せた。
もう限界だった。
せめて最期は、自分らしい孤独な一句を詠んで、この狂った世界からログアウトしよう。
放哉は喉の奥から、乾いた咳を一つ絞り出した。
「ゴホッ……ゴホッ……」
(よし……これでいい。これがワイの最期や……『咳をしても一人』……)
誰も自分を理解してくれない。
(この冷たい都会のど真ん中でも、ワイは一人で孤独に死んでいくんや……)
だが、この都会では放哉を一人にする者などいなかった──。
「イェーイ!! お兄さん咳したぁーー!!」
「ヒッ!?」
「そーれ! 咳・して・も・イッキ! 咳・して・も・イッキ!! はいっ、ウェーイ!!」
鼓膜を破るような、数万人のパリピによる無慈悲なコール。
四方八方からメガホンで煽られ、口に直接ストロングゼロの缶をねじ込まれる。
「あ、あ、がッ……!! ゴボォッ!?」
孤独など、微塵もない。
圧倒的なまでの「陽」の暴力。
「ヒイイイイイイイィッ!!やめてくれえええええ! 一人にしてくれええええ」
放哉は最期に、魂の自由律俳句を叫んだ。
ドンキホーテのテーマ曲、EDMの重低音、テキーラの匂い、そして陽キャたちの爆音コール。
許容量を完全に超えた放哉の脳細胞は、ショートしたようにプツンと音を立てて弾け飛んだ。
【記録】
尾崎放哉
転生先での享年:33秒(※歴代最速)
死因:急性アルコールと、極度の陽キャアレルギーによる精神崩壊。
※※※
「……って動画が、さっきスレッドにアップされたんだど、マジウケるw 大口叩いてるからそうなんだよ! 放哉!」
女体化した量産型ファッションの美少女『与謝蕪村』が転生待機所から支給されたスマートフォン片手に腹を抱えて笑う。
「33秒って。カップ麺のお湯入れる前に死んでて草」
正岡子規も与謝蕪村に見せられた「咳してもイッキコール」の動画に腹を抱えて笑う。
その二人の後ろの床で。
たった今、転生先から強制送還されてきたばかりの尾崎放哉が、体育座りでガタガタと震えながら、死後スマホをフリックしている。
@housai_yami
『もう絶対、部屋から出ない』
[♡ 0]
今日も転生待機所は、平和であった。




