第十六話『秋の朝、脱出したい、やばい街』
「ど、どうなっとるんや! ここは密室のラブホやぞ!?」
放哉が扉の向こうにあるゴジラヘッドに戦慄し後ずさる。
「わからねえ! でもあの扉はヤバい! 窓だ! 窓から非常階段で外に逃げるぞ!」
子規の指示で、一行は這々の体で窓から非常階段へと転がり出た。
──十分後。
夜明け前の冷たい風が吹く歌舞伎町のストリート。
五人は肩で息をしながら、新宿の巨大な交差点(靖国通り)の前に立っていた。
「うわぁあああん……結局シャワー浴びれなかったーー!」
意図しない風呂キャンに絶望して、蕪村が乱れた髪を押さえる。
「今は風呂なんて言ってる場合じゃない! とにかくこんな狂った街、一秒でも早くおさらばじゃ! 見ろ、あそこの鈍器布袋の蔵を曲がれば、すぐに新宿駅の東口じゃぞ!」
芭蕉が杖で駅の方向を指し示す。
ゴジラヘッドのある歌舞伎町の中心からは、もう十分に離れていた。
「よし! 今度こそ始発でみちのくへ出発だ! 事態が事態だ! 借金してでも、出るぞ!」
「俺はもう嫌だ! 早くこんな街出てやる!」
子規が希望を見出し、啄木は嘆きのようにこの街から脱出することを宣言する。
一行が意気揚々と歩き出した、その時だった。
疲れ果てた啄木が、ふと腹を鳴らしてボヤいた。
「あー、でも腹減ったな。牛丼食いてえ……」
自身の欲望に忠実な呟き。
──その瞬間。
『ヴゥンッ』
一行の視界が、テレビのチャンネルを切り替えたように一瞬だけブレた。
「……え?」
一番前を歩いていた子規が、足を止めた。
目の前にあったはずのドンキホーテが、消えている。
代わりに目の前にそびえ立っていたのは──巨大な映画館のビル。
そして頭上には、親の顔より見た『巨大な恐竜顔』。
「…………は?」
五人は、完全にフリーズした。
つい数秒前まで交差点にいたはずなのに、気づけば再び、歌舞伎町のど真ん中(ゴジラヘッドの下)に立たされていたのだ。
「ど、どういうことや……? ワイら、来た道戻ったか?」
「い、いや、まっすぐ歩いてたはずよ!?」
「幻覚じゃ! これは妖狐の仕業じゃ!」
芭蕉がパニックになって杖を振り回す。
「お、落ち着け! 全員で手を繋ぐんだ! はぐれないように走って駅まで行くぞ!!」
子規の号令で、おっさん四人と地雷系女子が手を繋ぎ、夜明けの歌舞伎町を猛ダッシュする。
「ハァッ! ハァッ! 見えた! 駅の看板だ!」
涙目で子規が爆走しながら言う。
「やった! もうすぐゴールじゃ!」
しかし、息が上がった放哉が、限界を迎えて叫んだ。
「あかん! もう足痛い! タクシー乗りたいンゴォ!」
『ヴゥンッ』
またしても、視界がブレる。
足元のタイルの模様が変わる。
見上げれば──『ゴジラヘッド』。
「「「「「あぎゃああああああああっ!!!」」」」」
全員の絶叫が、夜明けの歌舞伎町に響き渡った。
朝のまわりにいる通行人にも白い目で見られる。
おっさん四人と、地雷系女子の絶叫。
「呪いじゃ! 絶対に出られんのじゃ! 永遠にこのゴジラの下を歩かされる無間地獄なんじゃぁぁぁ!」
芭蕉がアスファルトに突っ伏して号泣する。
「もう嫌だ! オレはみちのくなんて行かねえ! ここで一生牛丼食って生きる!」
啄木も完全に心が折れ、大の字で寝転がった。
絶望に包まれる一行。
だが、その中で一人だけ。探偵のように鋭い眼光を放つ男がいた。正岡子規だ。
(……待てよ。おかしい)
子規の脳内で、これまでの不可解な現象がフラッシュバックする。
山頭火と出会ったあと、新宿駅のダンジョンで遭難した時。
さっきのラブホで、扉がゴジラに繋がった時。
そして今、ストリートで強制的にループさせられた時。
(俺たちがゴジラに戻された瞬間。……必ず誰かが『愚痴』や『欲望』を口にしてなかったか?)
「おい……お前ら。ちょっと黙れ」
子規が、低く静かな声で言った。
「今から俺が言うことに、一切文句も『自分の意見』も言うなよ。いいな?」
子規は立ち上がり、近くにあったコカ・コーラの赤い自動販売機を見つめた。
(もし俺の仮説が正しければ。この街は、俺たちの『欲望の自由律』に反応してループを引き起こすシステムだ。ならば、一切の感情を捨て、事実をありのままに捉える『客観的写生──五・七・五』をぶつければ──)
子規は、自販機を指差し、極限まで無駄を削ぎ落とした一句を放った。
『秋の朝 赤い自販機 光りけり』
──その瞬間。
『ピキィィィンッ!!』
自動販売機の横にあった、行き止まりの薄暗い路地。
その空間がノイズのように歪み、ガラスが割れるような音と共に『スッ』と開けた。
路地の奥には、朝焼けに照らされた真っ直ぐな道と、『JR新宿駅・東口改札』がはっきりと見えていた。
「……ッ!!」
子規の顔に、戦慄と歓喜が走る。
「見ろ……! やっぱりそうだ。俺の仮説は正しかった!」
「し、子規!? お前、魔法使いか何かなのか!?」
啄木が目を丸くする。
「違う。この街自体が『バグ空間』なんだ! 俺たちの欲望やエゴ……【自由律の言葉】に反応して、強制的にこのゴジラの下にループさせる檻だ!」
「な、なんじゃと!?」
「そして、そのバグをハッキングして突破する唯一のコマンドが……一切の感情を排した事実の描写、【五七五の写生】なんだよ!!」
──沈黙。
子規の完璧な謎解きに、偉人たちは息を呑んだ。
「なるほど……。それで俺が『タクシー乗りたい』とか欲を出した瞬間に、ループさせられとったんか……!」
放哉が震える声で言う。
「そういうことだ! よし、出口へのルートは開いた! 今度こそ、余計なことは一切喋らずにこの改札へ駆け込むぞ!」
子規が先頭に立ち、開かれた『真の出口』へと足を踏み出そうとした。
だが、その時。
「……あれ? ちょっと待って」
啄木が、後ろを振り返って言った。
「蕪村ちゃんが、いねえぞ」
振り返ると、そこに地雷系女子の姿はなかった。
ただ、アスファルトの上に『死後パッド(スマホ)』だけが落ちている。
画面には、ホストクラブ『花鳥風月』のNo.2ホスト・チューヤ(中原中也)からのDMが光っていた。
『君だけが俺の理解者だ……。今夜、花鳥風月で待ってる。俺の虚無を埋めてくれ……』
そのポエム(致命的なバグ)に操られるように、蕪村は自ら、欲望の渦巻くホストクラブへと引き返してしまっていたのだ。




