表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/51

第一章 《死天使の像》 ~十三~

 国内二番手のファストファッションチェーンで購入したパーカーを着た男が、アスファルトの上を足早に歩く。前方遠くを見たかと思えば、落ち着かない様子で背後を振り向く。四方を一頻り見る様子は、明らかに尾行を警戒していた。


 パーカー男は大通りを歩かない。監視カメラを気にしている。治安の悪い、それでいて人口がある程度集まっている地域はつまり、パーカー男にとっては庭みたいなものだ。逆に人目が多く、治安も良い、このような場所は非常に居心地が悪い。一刻も早く通り抜けて、目的地にたどり着く。


 パーカー男の目的地は常城港だ。常城港は国内でも中規模程度の港でしかなかったが、ここ二十年ほどで急成長、貨物取扱量でアジア圏の上位十位内に食い込んでいた。


 日本人も外国人も入り乱れて活発に活動している港には、数多くの大規模な倉庫がある。物流会社が所有している倉庫、巨大な冷凍設備を兼ね備えている倉庫、毎年のように賃料を値上げしている倉庫も、だ。


 そんな活気と熱量に溢れる港に、国際港の冠からは似つかわしくない場所があった。人が集まる場所というものには、多かれ少なかれ活気があり、活気の内容には陽もあれば陰もある。


 その倉庫は周辺の倉庫と比較しても老朽化していながらも、正面入り口だけが不相応に頑丈そうな金属製のドアだ。加えて入り口にはカメラと見張りも立っている。強化された出入りの場所で見かけるのは、ガラの悪い若者たちが中心だ。


 薬物の密売所であり供給場所でもある倉庫は、不自然なくらいに周囲の注目を集めない。ガラの悪い人間が出入りする倉庫は、アジア有数の港にあるというのに。密売所は人気の少ない場所にあり、それとなく荷物を配置して更にわかりにくくしているとはいえ、数多くいる一般人たちが気にした風もないのだ。


 同時に、売人たちもまた、このことを奇妙に思っていない。神秘薬物の供給元が認識妨害の神秘を用いているなど、想像もつかないだろう。


 パーカー男は港の敷地内に入るまでは周囲を過剰に警戒していたが、敷地内に入ると同時に警戒心を捨て去ったかの早足で一直線に目的の倉庫へ向かう。


 鉄製のドアを比較的、丁寧に叩く。カメラ越しに身元が確認されると、スライド式の覗き窓が開けられる。パーカー男が覗き窓に分厚い封筒を差し入れ、多少の時間の後に覗き窓からビニール袋が差し出された。


 封筒が現金で、袋に入っているのは薬物に違いない。ネットの普及により、売人と一般購入者の接触が極めて短時間になっているのとは大違いの、古風で、しかもしっかりとしたやり取りである。


 パーカー男はビニール袋をインドネシア製のバックパックに捻じ込むと、長居することもなくその場を立ち去った。倉庫は供給元としては優秀のようで、パーカー男が立ち去ったすぐ後に、同じような――売人であり常用者である――若者が何人も訪れている。


 鉄製の入り口上部に取り付けられた監視カメラと、スライド式覗き窓から外を確認して物品をやり取りする男が、実は同一の機能を持っているとしたら、いかに非人間的な感性を持つ売人たちも眉をひそめるに違いない。


 違いないが、倉庫内にいるたった一人の人間は、このことへ意識を巡らせることはなかった。国際的なハブ港への道を着々と進んでいる常城港にも、格段に賃料の安い倉庫はある。賃料が安いのには、安いなりの理由がある。


 広大な倉庫にもかかわらず、生きている照明が二割ほどしかないのも、理由の一つだ。何年か前の台風で倉庫が浸水し、金銭的余裕に乏しい所有者がそのままにしている。


 倉庫自体は利益を生み出さず、立地からすると再投資を行えば大きな利益を出すことは確定しているこの物件を、銀行側は早く現金化するようにと売却を急かしていた。


 ただし所有者側は、銀行の意見をまったく聞き入れる様子がない。いや、少なくともここ半年の交渉の末、所有者の考えも売却方向に傾いていたのに、最近になって急に翻したのだ。理由がわからない銀行は首を大きく傾げていた。


 薄暗い闇の中に置かれた三人掛けのソファに座る黒ずくめ――帽子もコートも靴下も手袋も――の男は、翻意の理由を知っている。正確には、翻意するだけの判断力も失ったというだけの話だ。


 神秘薬物の有用性は高い。少量でも依存性が高く、正常な判断力を奪う。過剰摂取では脳のリミッターを外して異常なまでのパワーをすら発揮させる。


 コントロールが利かなくなるのは難点だが、用法用量を守れば、こちらの命令通りに動く人形として――もちろん、短時間だが――活躍してくれる。用が済めば始末をするか、薬物を求めるだけの廃人になるだけ。どちらにせよ後腐れはない。


 売人との接触は最小限だから顔がばれるリスクも小さく、それ以前に鉄製のドア近くで接触を任せているのは神秘薬物の依存者だ。黒ずくめの男が自らの顧客を利用して作った、文字通りの意味での使い捨ての道具。黒ずくめの男の言いなりに動くだけだ。まともな判断力や記憶力はないことから、仮に法執行機関の手に落ちたとしても情報を聞き出すことはできない。


 このことを十分に知っているのは、黒ずくめの男の他には極めて限られた数人だけで、対面に座るスーツ男はその一人だった。


 倉庫内ではまさに取引が行われている最中だ。スーツの男は現在、市内で流通するドラッグの四十パーセントを握っている。かつて緋桜が八割以上を掌握していた時代からの組織であり、緋桜和真亡き後に、徐々に勢力を広げてきたのだ。黒ずくめの男が持ち込んだ薬物の効果とリピート率の高さ、更に原価が安いことから利益率も高いことに感激している。


 興奮して唾を飛ばすように褒めてくる相手に、黒ずくめの男は「それは良かった」と穏やかに応じた。


「少し相談があるんだがね?」


 スーツ男は自然さを装って切り出した。実際にはタイミングを見計らっていたことは見え見えだ。


「どうだろう、ここらでもう少し踏み込んだ取引をしないか?」

「というと?」

「取扱量を今の二倍にする」

「ほう」

「二倍と聞いてビビったか? 安心しろよ。俺の力は知ってるだろ? 二倍の量を仕入れるだけの資金もあるし、それだけの量を捌けるルートも持っている。二倍にすれば、常城市の市場そのものを手に入れることもできるんだ。その先には日本だ。日本だけじゃない。海の向こう側だって視野に入る。そっちにだって悪い話じゃないはずだ。巨万の富が手に入る。今までに見たこともない金だ。俺とお前、二人でのし上がる」


 黒ずくめの男のサングラスの奥にある目がスーツ男を射抜く。スーツ男は内心で若干たじろいだが、口を動かすことは止めなかった。


「だが、そうだな、そのためにもお前に少し協力をしてもらいたい。その辺のスーパーと同じだ。仕入れる量を増やすんだから、仕入れ値を少し下げてほしい。いいか、少しだぞ? 俺もお前を苦しめたいわけじゃない。互いに最大の利益を得るために、少しだけ痛」


 スーツ男の声は後半になるにつれて小さくなっていく。市内最大のドラッグディーラーとの自負心を粉砕してのけるほどに、黒ずくめの男の視線は厳しいものだった。


「あ、ああ、いや、なにも今日いきなりするような話じゃなかったな。この話はまた機会を改めてしようか。まずは支払いといこう」


 取扱量が増えると、動く金額も増える。ここでの取引は現金決済ではなく、暗号資産で行われていた。海外のエスクロー口座への入金を確認した黒ずくめの男が、表情筋を動かさないままに頷く。


「確かに……貴方とは今後も素晴らしい関係を続けたいと思っています」


 黒ずくめの男は手袋越しの右手を差し出して、明らかに気圧されたスーツ男の右手とがっちりと握手を交わす。無駄話が介在する余地はなく、いつも通りに、スーツ男はそそくさという表現そのままに倉庫を出て行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ