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泣き声


 その日からリックは傘の製作を手伝うようになった。

 数は決して多いわけではなく、日頃は筒を回しグラスを作っていたが、ヤンが傘づくりに取りかかるたびにリックはその側に立ち、工程を学んでいった。


 二日後にジンが工房に来てその話しを聞くと、「そうか」とひと言だけ残し、その日は珍しく日が暮れるまで黙々と筒を回していた。

 何も知らなかった、分からなかったリックを工房に迎え入れ、一から硝子のことを教えてくれたのはジンだった。ランプの傘を作れることは嬉しかったがそんなジンの姿を目にすると、リックはまた違った息苦しさを憶えた。


 年が変わっても雪は休むことなく淡々と降り続き、季節を深めていった。

 

 冬の寒さや毎朝の雪かきにもようやく慣れた頃、冬は一段と厳しさを増した。視界を白く遮るほどの吹雪が町を襲ったが、その数日間が過ぎてしまうと雪はぱたりと止まり、凍えるほどの空気の冷たさも少しずつ和らいでいった。


 上空にはまだ厚い雲が居座っていたけれど、雲の切れ間から射す日射しは冬の間に積もった雪を日に日に溶かし、雪山が低くなるにつれて川の水かさを増していった。外に出ても冬の刺すような鋭い空気はそこにはなく、日射しは柔らかく、息を吸い込むと力強い春の息吹が感じられた。


 冬の間眠っていた草花は雪が溶けて春の空気に触れると、突然目を覚ましたかのように生き生きと活動をはじめた。枝先には新しい莟がつき、凍っていた大地からは小さな芽が殻を破って顔を出した。一度目が覚めると、それらは眠っている間に溜めた力を精一杯出し切るように次々と葉をつけ実を結び、大地にふたたび豊かさをもたらした。


 今までの白い世界が幻だったかのように雪が溶けて茶けた大地が露になると、瞬く間に緑が大地を敷き詰めた。今までどこにいたのだろう。冬の間見ることのなかった鳥たちはいつの間にかこの町に舞い戻ると、枝の間や軒下に巣を作り町中にその歌声を響かせた。


 ある朝、コーザとリックが春の気持ちよさを感じながら眠っていると、今まで聞いたことのない泣き声に目を覚ました。ふたりは飛び起きると暗闇の中、手探りで上着を探し階段を下りた。

 

 まだ朝日が顔を出すまでいくらか時間があるのに、声の聞こえる天秤座の二階には明かりが煌煌とつき、カーテン越しに何人かの影が慌ただしく行き交っていた。普段はカサノとチノが慌ただしくパンを焼いている時間だが、工房のある一階は明かりが灯っておらず、パンの焼ける匂いも漂っていなかった。


 ふたりは裏口から二階に上がると影の見えた部屋に顔を出した。部屋には暖かな光りが広がり、笑い声が響きわたっていた。


「すまない、起こしてしまったようだね」


 入り口に顔だけ出しているふたりに気づき、カサノが振り向いて言った。生地を捏ねている時の精悍な顔つきはそこにはなく、目を真っ赤に何度も鼻をすすっている。


「どっちでした」


 コーザが訊ねる。カサノは顔中に笑みを浮かべ、ふたりに入るように促した。緊張した面持ちでふたりが部屋に入ると、チノが上半身をもたれかけるようにしてベッドに横になっていた。大粒の汗をかき、垂れた前髪が額にはりついている。ふたりが近づくとチノは体を起こし、ふたりに両手を向けた。大切に抱かれている白いタオルの間から、赤い顔と産毛ほどの細い髪、そして落ち葉のような小さな手が見えた。


「男の子だ」


 そう言ったカサノの声には隠しきれない喜びが聞いてとれた。ふたりも嬉しさとどこか怖い気持ちでいっぱいに、タオルの中をのぞき込む。そんな周りの喧騒を少しも気にすることなく、タオルの中でひとり静かに眠っている。チノが胸元に引き寄せ小指をその小さな手に滑り込ませると、男の子は眠ったままその指を小さな手のひらでそっと握った。


 暖かな日が射し、柔らかな風が吹き抜ける。

 芽を出し、葉をつけ、莟を膨らませる。


 朝日が昇るとまるでこの日に合わせるかのように、この部屋の前の街路樹はいっせいに桃色の花を咲かせた。軒下の巣では三つの卵が孵り、男の子の泣き声と競うようにさかんに声を上げている。甘くくすぐったい匂いが風に乗り、路を流れていく。

 

 春だ。



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