ランプ
年が明けて仕事が始まるまでの間、ふたりはコーザが借りてきたゲームで朝から晩まで遊んですごした。そのゲームは盤上の駒を交互に動かし、十五種二十一頭の動物を相手よりも早く相手の陣地へと移動させるものだった。
最初のうちはコーザが勝つことが多かったが、リックがねずみと鷹を偵察に出し、象とキリンでコーザの進路を断つ戦術を考えだすと、一転してリックの連戦連勝となった。
「勝てないなぁ」
頭をくしゃくしゃにかきながら悔しがるコーザを横目に、リックは少しだけ得意げな笑みを浮かべる。
『コーザは先に急ぎすぎなんだよ。いくら足が速いからって犬や馬ばかりを先に進ませて。フクロウが先導しないと夜道で迷うし、羊はこっちの狼に怯えて前に行けなくて遠回りばかりすることになるよ』
そう教えても良かったけれどコーザが勝つまで続けることを知っているリックは、そのことをあえて口に出さなかった。
リックとコーザは休みの二日間をそうやって過ごした。
休みが終わる頃にはリックの体調もすっかり良くなり、三日の仕事始めの日にはリックも寝込んでからはじめて工房へ向かった。
日がたち体調が良くなるにつれて、あの夜に悩んだこともリックの頭から離れていったが、それでも小さな破片がまだ片隅に引っかかっているような、そんな決まりの悪さが心に残り、工房へ向かう足取りは新しい年の空気ほど軽くはなかった。
工房に着くとリックはひょっこりと首を伸ばし、窓から中をうかがった。
まだ誰も来ていないらしく火も落ちたまま、いつもは炉の明かりで橙色をおびている部屋が薄暗く寂しげに感じられた。
それでもリックはまだ誰も来ていないのを目にすると、ほっと胸を撫で下ろした。
「おはよう」
後ろから声をかけられて振り返る。不意をつかれて、リックは必要もないのに緊張した。
「もう体はいいの?」
ヤンが扉を開けながら訊ねる。冷たい空気に工房の煤けた匂いが混じっている。最後に来た日からまだ十日もたっていないのに、中に入ると懐かしい気さえした。
「はい。大丈夫です、もう」
「それは良かった」
「あの、すみませんでした、最後の日も休んでしまって。掃除にもこれなくて」
「気にすることはないよ、風邪をひいていたんだから。誰だって風邪をひくことはあるし、君の場合は麦粉を取りに行く手伝いをしてひいてしまったんだからね」
ふたりが工房に入ると間もなくして、他の人たちも集まり始めた。
工房で最古参のルーベントが黙々と四つすべての炉に火を入れた。指先ほどの大きさでしかなかった小さな火が少しずつ大きくなり、これからの一年、絶えることなく炉の中で燃え続ける。
炉に火が入っても直ぐに作業にとりかかれるわけではなく、落とした時と同じように半日かけてゆっくりと炉に熱を通していく。工房のみんなは他愛のないことを話しながら、のんびりと準備をはじめる。リックはその談笑の輪に入らず、ひとり離れたところで準備をしていた。
日頃使っていた道具も休んでいた間に誰かが磨いてくれていたけれど、リックはあたかもしなければいけない作業のようにもう一度丁寧に磨き、準備なんて終わっているのに目も耳も筒に向け、みんなの会話が耳に入らないよう誰も話しかけてこないよう、ひとり手を動かし続けていた。
今は関係のないことを話していてもすぐに新年を迎えた時、みんなで集まり騒いでいたことを話しはじめるんじゃないか。そう考えるとその話しに入れないリックは少しでもその場から離れていたかった。
「リック、ちょっとこっちに来てごらんよ」
それでも笑い声に交じってリックを呼ぶ声がした。嫌だなと思いつつも、なんでもない様子を繕ってリックは振り返った。しかし声をかけたヤンも会話には入っておらず、となりの部屋からリックを呼んでいた。
ヤンは色のついた硝子板をランプにかざしては見比べ、数枚を並べては入れ替え、様々な組み合わせを試していた。リックが部屋に入るとヤンは作業を中断し、椅子を引いて振り返った。
「立てこんでいたかな」
「いえ、特にはないです」
ヤンがどうしてこの部屋に呼んだのか分からず、リックは正直に答えてしまった。それを聞いて見越していたように、ほんの少しだけヤンは口元に笑みを浮かべた。
「傘の注文が三つ入っているんだ。急ぎの仕事ってわけじゃないんだけど、手が空いている時に手伝ってくれないかな」
色絵硝子は神献品のため年に一度、雪雛おくりの時にのみ作ることになっている。しかし年に一度の製作では腕が錆つくため、日頃はランプの傘や硝子細工の製作を通して腕を磨く。
それでも工房の製作はグラスや瓶や窓硝子といった生活に必要なものがほとんどで、細かな装飾が施された傘や意匠を凝らした硝子細工は作ることも少なかった。
注文が入ってもルーベントとヤンが作ることが多く、色絵硝子を作りたくて工房に入ったのにリックは傘の製作はもちろん、その作業を間近に見る機会すらほとんどなかった。夏から冬にかけて毎日筒を回してはグラスを作り、ランプの傘のことは頭の片隅に置いてあるだけになっていた。思いもしていなかったことにリックは驚き、ヤンに訊ねる。
「ランプの傘って、いいんですか、僕が手伝っても」
「もちろんだよ」
リックの中でむくむくと興奮が湧いてきて、その気持ちが顔にも表れる。けれど気持ちの高まりも一瞬のことで、興奮はすぐに萎んでしまった。以前ジンに言われたことをリックは思い出した。
「けど、ジンさんが傘作りはグラスを一人前に作れるようになってからだって」
ヤンは一瞬、きょとんとした顔を見せたが、すぐにその意味が分かるといつもの落ち着いた印象からは想像もできないほど大きな声で笑いはじめた。あまりに予想もしていなかったことに何がそんなにおかしいのかリックは見当もつかず、今度はリックがヤンの笑い声に驚いた。笑いを堪えるように声を絞り出すようにして、ヤンは話しを続けた。
「ごめん、ごめん。そんなことをジンが言ってたなんて知らなくてさ。けれど、グラスと傘作りの技術は根本的に違うものなんだ。だから別にグラス作りで一人前にならなきゃ傘を作れないなんてことはないんだよ。もちろん同じ硝子を扱うんだから共通点はあるし、出来るに越したことはないんだけどね」
「そうなんですか」
「それにジンは今日休みだからね、手伝ってもバレないさ」
「休みなんですか、ジンさん」
今までひとり離れて準備をしていたからか他のことに気を取られていたからか、リックは今日ジンが来ていないことに気づいていなかった。
「ああ。君が熱を出して休みはじめた次の日かな、子供たちと雪合戦をして遊んでいて汗をかいたまま、一日中雪の中を走り回っていたものだから大掃除の前々日から風邪をひいていてね。その日からずっと寝込んでいるんだ。
それで最後の日の集まりも延期にしたんだ。リックも寝込んでいたし、年が明けてから集まればいいってみんなも賛成してくれて。ジン抜きで集まったってバレたら、結局もう一度集まることになるってみんなも分かっているからね。まあ、掃除は途中で遊びはじめるジンがいなくてずいぶんと捗ったんだけど。ああ、それで一週間後の休みの前日にグエンのところで集まろうって話をしているんだけど、リックもその日で大丈夫かな」
ランプのことに意識がいっていてあれだけ悩んでいたのに、集まりのことはリックの頭からすっぽりと抜け落ちていた。延期になったと聞いてから探してみても、リックの心の隅に引っかかっていた破片は最初からなかったかのように、どこを探しても見つからなかった。一度晴れわたってしまうと今まで何を思っていたのか自分でも分からなくなるほど、この数日の間、頭を巡って離れなかった悩みが本当にちっぽけなものに感じられた。
「そういうわけなんだけどランプの傘、さっそく今日から手伝ってもらっても良いかな」
「あ、はい。お願いします」
悩んでいたことがリックの心から消えてしまうと、ひと呼吸だけ間を空けて傘を作れる喜びが先ほどよりも大きく湧いた。晴れわたって気持ちは高ぶった。
「それにしても」
ヤンはひとり言のように呟いた。
「ジンはそこまで君の腕を見込んでいるんだね」




