第二話 Adventure③
◆◇◆
「カドモス、フラウィオス、お前らの方に情報は入って居ないのか?」
「入って来ません。やはりまだ見つかっていないようです」
「俺も同じくですぜ。あらかた手配書はばら撒きましたが、何処にも引っ掛かりやしねえ。怪しい奴なら結構上がって来るんですがね、結局人違いですよ」
片や冷静に、片やお手上げを示す様に肩を竦めて聞かれた事に答える。
するとそれが納得いかなかったのか、質問をした張本人は苛立ちをぶつけるように机を叩いた。
「……何故だ! 何故一人として見つからん! これだけ手配書までばら撒いたのだぞ! 一人くらいは見つからなくてはおかしいではないか!」
「恐らく都市などには寄っていないのでしょう。だとすればもう外国へ逃げたか、或いは人里離れた場所を通っているか」
東ラウィニウム帝国の皇太子、マルコス。酒臭さは抜けているが、未だにその苛立ちは晴れていないらしい。
その癇癪振りに困ったものだと思いながらも、それをおくびにも出さないカドモス・バルカ・アナスタシオスは、話を続けていた。
「狩猟者組合やその辺の傭兵団にも依頼を出して山狩りなどをさせていますが、如何せん人手が足りませぬ」
「それを何とかするのが指示を受けた部下の仕事であろう!? 如何せん、などと言って新たな手を講じていないだけではないか!」
「講じたいのは山々ですが、現状帝国全体で財政は不足気味です。先立つものが無ければこれ以上はどうしようも……」
あくまでも冷静なカドモスの説明だが、それを遮ってマルコスが再度机を叩く。
その上でやおらに立ち上がると、カドモスの正面に立ち、血走った目で睨み付ける。
「貴様、まさか裏切った訳ではあるまいな? この私を、帝国を敵に回す気か? 今回の件で奴らを逃してみろ、私は貴様を処罰する!」
「でしたら、ダウィド殿は宜しいのですか?」
カドモスを処罰すると言うのならば、同様の任務を与えられた彼もまた処罰されなければおかしい。
故にカドモスはそう訊ねたのだが、それに対する答えは意外なものだった。
「私はカドモス、貴様に言っているのだ。他人の罰則などは貴様が気にする事ではない。黙って働け」
「殿下、私も貴方も立場では同等の総督です。信賞褒罰を沙汰するのは皇帝陛下に御座いますれば、その宣言にさしたる意味などありませぬぞ」
その瞬間、カドモスの胸倉が乱暴に掴まれる。
しかし、マルコスよりも大柄な彼からすれば微動だにせず、迫力自体もさして強くは無かった。
直立不動のまま、カドモスは次の言葉を待っていると、とうとう耐えきれなくなったマルコスの怒りが溢れ出したらしい。
「貴様……その態度が気に食わんと何故分からぬ! 私は皇太子であるぞ! 事あるごとに諫めと称して私の邪魔をしくさって……!」
「私は殿下のお目付け役です。邪魔では無く、諫めるのは当然の事でございましょう。大体、あの良く分からぬ連中は何者なのですか? いつの間にか姿が見えぬようですが」
「答えてやる必要を感じぬな。それを気にしているからあの狼藉者共が捕まらんのではないか!? 仕事に関係の無い事を考えるでない!」
マルコスは、普段からは想像も付かぬほど、あれていた。思い通りに行かない事が連続し、いよいよ癇癪を起しているのである。
なまじ今まで半端に頭が切れたため、ここまで上手く運んで行かない物事に腹を立ててしまって収まらない。
余りの癇癪振りに、給仕を行う者や世話役が怪我を負ってしまう事もあるくらいである。
ビュザンティオンの貴族の中には皇太子が乱心していると噂する者が何人もいるくらいだ。そして実際に乱心している。噂を打ち消そうにも事実ではどうしようもなかった。
その事については、今も横に立っているダウィドですら頭を悩ませている程だ。
故にカドモスは、皇太子の目付け役として皇帝へと連絡と共にある提案をしていた。
その返事はそろそろこのビュザンティオンに届く頃合いと思うのだが――と思っていると。
如何にも恐る恐ると言った様子のノックが為され、縮こまった様な声がした。
「……し、失礼致します」
「何事だ?」
「こ、皇帝陛下から直々のお手紙に御座います。殿下へと直接渡す様に、との事でお届けに参上いたしました」
「ふむ……寄越せ」
突然手紙が届けられた事で一度落ち着きを見せたマルコスは、手紙を持った兵士からそれをひったくり、封を開ける。
その間に、カドモスは所在なさげな兵士に退出するように促し、この場から去らせていた。今の皇太子には他者を気遣う精神的余裕などありはしないのである。
この辺りはまだまだ未熟だなと思いながら、手紙の内容をある程度予想していたカドモスは、マルコスを眺めて居ると。
「カドモス……貴様ッ! 今回の件、父上に何と報告したのだ!? 言え! 事と次第によってはこの場で斬り捨てる!」
「殿下、落ち着いて下さい。私はただ、見聞きした事を報告したに過ぎません。……事実、その手紙にはウィンドボナへと至急参内し、経緯を説明せよとしか書かれておりませんぞ」
間近に突き付けられた内容を見るに、皇帝からの内容はそれだけ。カドモスとしても予想していた通りの文面であった。
「だから、貴様が父上にした報告の内容を聞いているのだ!」
「殿下が手配書に乗せた内容そのままですよ。いずれ知られる内容を早目に知らせたとて、大した問題はありますまい」
不意に、胸倉を掴んでいたマルコスが放した。
カドモスの話が真実――あるいは嘘であっても証明する手立てがないと察したらしい。
長い息を吐き出した後、彼は緩慢な動作で自分の机へと戻り、椅子に腰掛けた。
「……まあいい。こうなれば大人しく召還に応じるまで。貴様らにも召集が出ている、私と共に向かう支度をせよ」
「承知しました」
「お任せください」
このような時に、と乱暴に頭を掻くマルコスに返事をしながら、二人は一礼して退出するのだった。
人通りの少ない廊下を歩きながら、カドモスは誰にも聞こえない声量で呟く。
「これで多少は、私の部下も探りやすくなると言うものだ」
「……何だ?」
「気にするな、独り言だ。他愛もない」
不機嫌そうに目を向けて来るダウィドに適当な返事をしつつ、カドモスは思考に沈む。
このビュザンティオンが荒らされてから、既に二週間以上も経過している。
その間に突貫で復旧工事が行われる大宮殿では、地下に図面には載っていない地下室が発見されている。
これはカドモスとその部下だけが発見し秘匿しているが、その破壊ぶりは徹底されており、碌な痕跡は残されていなかった。
また、それと同時に皇太子の周りに居た筈のペイラスらの姿も消えている。
それとなく周囲の貴族には地下室について訊いて回っているが、やはり知っている者はいなかった事を考えると、連中が一枚噛んでいる可能性が高い。
しかし皇太子や横に居るダウィドに直接訊ねる訳にも行かず、捜査は難航。
更には、あの白儿を捕らえたと言っていたプブリコラと言う亡命貴族、パピリウスと言う亡命聖職者の姿も見えなくなっている。
聞いた話ではウィンドボナに呼び出されたらしいのだが、新参者でしかない彼らを、しかも聖職者まで呼び出すと言うのは明らかにただ事ではなかった。
まだ、この帝国では派閥争いなどとは異なる何かが暗躍しているような気がしてならないのである。
だから、このビュザンティオンの地下室調査の為にも皇太子などが一時的にこの都市を離れてくれる事を狙っていた。
当然、自分だけ残れば疑われかねないので一緒に召還されるが、後は優秀な部下達がやってくれる。
血縁などで職務に着く者よりは数段有能である自信がある連中だ。まず間違いなくヘマはせず、簡単に出し抜いてくれる事だろう。
辛うじて、組織の名前は分かっている。
名は、神饗。
彼らが一体何者で何を目指して、何故皇太子と手を結んでいるのか。
それらがじきに証明される事だろう。
人間である以上、カドモスにもまた好奇心はある。だがそれ以上に、緊張があった。
何故なら、場合によっては皇太子やその一派を丸々処罰する必要まで生じてしまうから。
その場合によっては、皇太子と政争になる可能性すら考えられ、彼としてはゾッとする思いであった。
頼むから些細な事で終わってくれ――。
それが望み薄である事は承知の上だったが、それでもカドモスはそれを願わずには居られないのだった。
◆◇◆
今日の天気は、曇り。
日が差し込まないせいで、ただでさえ地面に届く光量の少ない森の中は肌寒かった。
「それにしても、遅々として進めないねえ……」
倒木に腰掛け、リュウが困った様に呟く。
ここ数日ですっかり見慣れてしまったのは、やや近くにある山々。
まだ紅葉を迎えるには届かない緑一色の衣を持つそれらの光景は、ここ三日ほど変化が無い。
そもそも、俺達が碌に移動出来ていないのである。
山狩り、森狩りを行う狩猟者や傭兵らしい影は段々と増えており、迂闊に火を使う事も出来ない。
今のところは上手く掻い潜り逃れているから良いものの、その内何かの間違いで見つかってしまうのは時間の問題であるような気がしてならない。
「どうにかなりませんか、リュウさん?」
「どうにも。足が速い精霊は今出払っちゃっているし、最悪強行突破だね。それも君達がそれなりの実力を備えてからになるけれど」
「それなりってどんなくらいですかね。一応俺、リュウさんのお陰で実力付いたって言う実感も湧きましたし」
突き刺さっていた槍を引き抜き、穂先に着いた血を払う。
そこに転がっていたのは剛爪熊。
練習中に乱入してきた個体で、リュウに指示されて俺が討伐した。
大型の非常に鋭く威力の高い爪と腕力を誇る熊であり、しかも脂肪と皮も厚い。下級に分類されるがその中でも上位に位置し、運悪く出くわしてしまった下級狩猟者や旅人などが餌食とされている。
俺自身、何度か遭遇して肝を冷やした事がある。
今日久し振りに遭遇した際も、その当時の恐怖が蘇ってきたのだが、蓋を開けて見たら大した事は無かった。
身体強化術を施し、それ以外の魔法は使わずにあっさりと仕留め切れてしまったのである。
ここまで簡単に討伐できてしまうとは思いもよらなかったのであり、そしてだからこそ自分の実力が上がっている事を実感出来たのだ。
「魔力をより強く練られる様になったらしいね。実戦でそこまで出来れば文句はないよ。まだまだ伸ばせるけれど、その歳なら及第点だ」
「要するにまだ練習しろって事ですね」
「その通り。体内から魔力を出してそのまま使ってるだけじゃ威力も効率も良くないからね。もっと自在に魔力そのものを動かせないと」
魔力を練る。それは感覚的なもので、そして抽象的なもの。具体的に説明するのが難しいのだが、圧縮みたいなものである。
それだけで魔力そのものの密度が変わり、威力も上昇する。盾として使う際には強度が上昇する。
良い事尽くめとも言えるが、しかし習得には時間のかかるものだった。
何せ、今は練らずに使った方が早いのだから。
「今回は上手く出来たからって、手を抜こうしている様じゃ駄目だよ。相手の魔法を相殺するどころか負けちゃうじゃあないか。出来る様になれば瞬時に出来るし、だから日常的に練習して貰っているんだよ」
「ひたすら体内で魔力を巡らせて、体外に出しては色々な形に変形させるだけですけど、これ練られてるんですかね?」
「大丈夫。これからもう少し流動させる速さを上げて、量も増やしていく。まだまだ先は長いよ」
不思議な感覚だった。
血液などとは違って、自分の意志で自在に体内を巡って行く何か。
それが魔力である事はとっくに承知済みであるが、前世ではまず味わった事の無い、味わえない感覚だ。
巡らせているのは魔力の内のほんの僅かにすぎないけれど、何処かもどかしい感覚がある。
ずっと素振りなどの練習をしていると、指に力を入れようにも力が入らない様な、そんなもどかしさ。
思うように動いてくれず、そして思うように動かせない自分がもどかしい。
それらを体外に出せば、もう中に戻す事は出来ない。徐々に徐々に、末端部分から魔力は霧散して行くが、それまでの制限時間の中で魔力を舞わせていく。
まるで水族館で見た鰯の大群みたく、その形を変幻自在に変えていくのだ。
「ちょっと乱れているね。形を変える時に魔力の消費量が大きい。注意しよう」
「……はい」
舞い続けていた魔力の塊もやがては霧散し、儚く消えて行く。
それを確認したら、再び体内で何度も人に偽の魔力を巡らせ――を繰り返していくのだった。
「その調子で続けてね」
リュウが次に目を向けるのはシグ。
氷造成魔法の使い手である彼女にも、似た様な事が教え込まれていたのである。
しかも、伊達に皇族では無かったのか、腹立たしい事に魔力の操作や練りが上手い。
恐らく幼少期から、魔法の発現以降は散々教え込まれてきたのだろう。何とも充実した環境に置かれていた様で、羨ましい限りだ。
けれど、今の彼女の境遇を考えるとそれも考え物である。皇族と言う息の詰まりそうな身分で過ごし、しかも挙句の果てには謀反人として実兄に告発されたのだ。
流石にその辺は不憫だった。
「お、良いね。その調子だ」
「……こう?」
氷細工が、踊る。
枝葉、魚、熊、猪、葡萄……。
形を変え、空を舞う。
幾ら彼女でも完璧とはいかないらしく、変形の度に小さな氷の粒が零れて行くけれど、それすらも幻想的な光景に拍車をかけている様に見えるだけだった。
「いい感じだね。最終的には一瞬で丸々一本の木が出来るようになると良いよ。それが出来る頃には君の実力も相当なものになっている筈だ」
「一本の木って……幹から枝から葉まで、全部作れって?」
褒めてくれたまでは良かったのだが、リュウの言葉にシグは顔を引き攣らせていた。
確認する様に訊ねる彼女だが、それに対してリュウは無情な答え方をする。
「その通り。この辺の木と遜色ないくらい、細かいのが作れるようなると良いね。色を塗ったら本物と見間違うくらいのを目指そう」
「べ、別に私はそこまで強くなりたい訳じゃ無いんですけど……」
「強くなれる時に、強くなれるだけなっておきなよ。大は小を兼ねるんだから、実力があって困る事は無いんだし。あと、僕が面倒を見て居る限りは最後まで気を抜かせる事は無いからね」
鬼だった。その辺の少し厳しいくらいの先生なら裸足で逃げ出すくらいの鬼だった。
笑顔でここまで厳しく、残酷な事が言えるのは本当に凄いと思う。何処かで要らぬ恨みでも買っていそうである。
「……あれ、ラウ君? 駄目じゃあないか、余所見なんてしたら。魔力の練りもイマイチだ。それだと夕食はお預けかな」
「そ、それは勘弁してください!?」
何だかんだで、リュウは世話焼きだ。だけれどその世話の焼き方は容赦がなくて、お節介と言えばお節介だった。
しかしそのお節介に説得力がある事も事実で、俺もシグも結局は黙って従い、師事しているのだった。




