表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キオクノカケラ  作者: 新楽岡高
第四章 フシンヌグエズ
66/239

第一話 アンビリーバーズ④

◆◇◆



 ばしゃん、と海にものが落ちる音がする。


 暫くその場所を眺めていれば、そこからは赤い色が、丁度絵の具を水に浸したように広がっていく。


 同様の光景は周囲の海面に幾らでも見受けられ、あちこちに赤い斑模様が生じていた。


「……派手にやったな」


「いや坊主、お前が言える事でも無いぜ?」


 海面から目を離し、船上に首を巡らせれば、そちらもまた至る所が赤く汚れている。


 床には血だまり、人の形をした赤い影、血飛沫と肉片が掛かった壁と縁。


 嗅ぎ慣れた生臭い匂いを肺一杯に吸い込みながら片付けの面倒さを考えていると、近くの船員からは恐れにも似たお褒めの言葉を頂戴した。


「言っときますけど、この惨状は俺が原因じゃないですよ。あそこのラドルス・アグリッパって奴がやったんです。見てたでしょ?」


「いやそりゃ見てたけどよ……お前も大概だよ。あれだけいた海賊がほら、壊滅じゃねえか」


 周囲には海賊の船など一つもなく、その全てが藻屑となってこの辺りを漂っている。


 こちらは全て、シグが沈めた。本当にあっという間の出来事で、商船に乗り込んだ海賊たちの呆気にとられた顔は見物であった。


 辛うじて生き残った海賊が船の残骸にしがみ付いているものの、この大海原の中では死ぬのも時間の問題だろう。


 何人かが助命を求めて商船へ悲痛な声を上げているが、船員たちもそれに応じる様子はなかった。


 何より彼らも海の男。荒事に慣れていたのか途中からは武器を抜いて海賊に襲い掛かっていたのだ。


 つい先程まで斬り合っていた海賊の構成員を救う気など、微塵も起きないのが当然だろう。


 こちらの死者は二名。甲板上ではその死を悼んでいるらしく、力無く俯く船員の姿もあった。


「……」


 仲の良い人間が死ぬのは辛い。それが分かるし、経験したから己の周りには仲の良い者など居ない。作らない。


 だが、こうして仲間の死を悼む姿を見ているとまたサルティヌスの顔が思い浮かび、堪らず水面へ視線を移そうとして。




「お前が……お前らが勝手なことをするからッ!!」




 甲板で上がった怒声に、再び目を向け直す。


 何事かと思って見ればラドルスを至近距離で睨み付ける、若い男の姿があった。


「大人しくしとけば、俺らは奴隷になるだけで済んだのに! この二人だって死なずに済んだんだぞ!?」


「……そりゃ、今はな。だが奴隷になった後はどうする気だった?」


「どうするって……意地でも働いて自分を買い戻せばっ!」


「言っとくが、リュビア海賊に捕まって奴隷落ちするのは相当過酷だぞ。まず奴隷として輸送される段階でモノ扱い、売りに出される前の輸送中に必ず死人が出る。船乗りなら、少しは聞いた事があるんじゃねえの?」


 口から泡を飛ばしながら掴み掛られたラドルスは、しかし冷静だった。


 ゆっくりと、その強い力で掴み掛って来る手を引き剥がし、反論を続けたのだ。


「マウレタニアやムティギティの市場に着いて奴隷の競売に掛けられ、買い取られたら今度は労働三昧。ようやく自分を買い戻せる額に届きそうになったら、金額が吊り上げられる。さて、自分を買い戻せるのはいつになるだろうな?」


 挑発するような笑みを浮かべたラドルスの言葉に、若い男は激高する事はなく絶句していた。


「偶々俺の地元にゃリュビアから解放された元奴隷の爺さんが居たんだが、そこで聞かされた話は大概悲惨だったぜ? 自由の身になる前に殆どの奴が死んだと聞いたし、そもそも一生奴隷で終わる事のが多い。ここまで言われてもお前は奴隷が良かったと言えんのか?」


「……くそっ! だが、それでも……!」


「だがもそれもねえよ。お前らが奴隷にならない為にはそこの二人が死ぬ必要があった、それだけだ。それとも何だ、お前は自分から奴隷にでもなりに行くのか?」


 血に汚れていないマストに寄り掛かったラドルスにそう言われ、遂に男は膝をついた。


 やり場のない怒りを何処にぶつけたら良いか分からないのだろう、漏れだした感情が涙と嗚咽になって具現化している。


 周囲に居た他の仲間が宥める様に背を摩ったりと介抱していたが、彼らは皆一様にラドルスを責める真似をしなかった。


 それを不思議に思い、俺は横に立つ壮年の船員に訊ねていた。


「……怒らないんですか?」


「何がだ?」


「いえ、あの人みたいに、俺らのせいで仲間が死んだって怒らないのかなって。結果的には俺らが海賊を攻撃したせいで招いた事ですし」


「ああ、その事か。別に怒りゃしねえさ。もう慣れちまったもんでな、船に乗ったばかりの頃は良くあんな風にもなっていたが……何年も乗ってると自然と泣けなくなったし、怒れなくなった」


 諦めちまったのかもしれねえな、とその船員は寂しく笑っていた。


 悲しいという感情はある。だがそれが表に出にくくなってしまった。


「俺らみたいにはなるなよ……っても、このご時世じゃ心が擦り減るのもしょうがねえか。ただ、お前がもっと大きくなる頃には、もう少しマシな世界になってる事を祈ってるぜ」


「……どうも」


「あ、悪い。頭を撫でられんのは嫌だったか? 実は俺の故郷にも同じくらいのガキが居てな。小生意気な奴なんだが……ついつい重ねちまった」


「別に、気にしませんよ」


 申し訳なさそうに日に焼けた手を引っ込めた壮年の彼に対し、そう返すのが精一杯だった。


 何故ならその手の大きさが、温かさが、ガイウス・ミヌキウスと似ていて、あの顔を思い出してしまうから。


 確かにあの人は恩人だ。だがこれ以上は迷惑を掛けたくないし、関わり合いになりたくない。


 一人で居るのが辛くなってしまうから。


「……」


 腰に下げた剣――ガイウスから貰ったもの――の柄を、思わず強く握っていた。


「――よしお前ら、錨と帆を上げろ! 舵を進路へ戻し、航路に戻るぞ!」


 悶着があった間にも片付けなどの作業が進行していたらしい。


 ある程度船内の散らかりようが改善されたところで、船長の号令が掛けられて、途端に船上は尚更騒がしくなった。


「ようやく出航か。坊主も手伝え、いつまでもこんな場所に居ると面倒事を呼びかねないんでな」


「面倒事、ですか? また海賊が来るとか?」


「違う。確かに連中も面倒だが、最低限話は通じる。もっと厄介なのが、海中を動き回る話の通じない奴だ」


 苦々しい顔で、含みを持たせたその言い方だけで、それが何を指しているのかは理解した。


 海中へ投げ込まれていた錨を他の船員と共に引き上げながら、尚も会話を継続する。


「海って、そんなに厄介なのが多いんですか?」


「当たり前だ。そもそも陸とは勝手が全然違う。近接攻撃なんて望むべくも無いし、こっちの攻撃は連中が海面から顔を出してないと当たらない。どれだけ面倒か分かるだろ?」


 仮に海へ潜ろうものならそれこそ独壇場であり、人間などは簡単に屠られてしまう。


 例え地上では上級狩猟者(スペルス)であろうとも、水中では誰もが等しく赤子になってしまうのだ。


「縦横無尽に水中を泳ぎ回るヤツを相手に、人間がどうこう出来る訳ねえんだよ」


「なるほど……でも、だったらここで後片付けなんてしないで、進みながらやればいいのでは?」


「それじゃ血の匂いを広げて余計に呼び寄せちまうじゃねえか。かと言って船上に置いとくのも色々問題があるんでな、纏めて海上投棄って訳だ」


 どうやっても問題が発生してしまう以上、こうする他に無いのだと、船員は丁寧に解説してくれる。


 その御尤もな説明に納得しながら水面を見ていると、ある違和に気付く。


「どうした、坊主?」


「いえ……さっきまであそこらへんにも死体って浮いてませんでした?」


「さあ? 流石にそこまでは覚えてねえけど……怖い事言うなよ……」


 はは、と互いに笑いながらも、お互いに錨を引っ張り上げる速度は加速していく。


 周囲の船員はそれを見てギョッとした顔をしていたが、そんな事は委細構わず、とにかく速く。


「どうしたの、青い顔して?」


 出航準備が完了してのそのそと船が動き出す中、荒い息をしながら壮年の船員と顔を見合わせていると、近くを歩いていたシグが話しかけて来る。


 彼女は全く息が上がっていない所などを鑑みると、どうやら何も仕事をせずに船上を巡っていたのだろうか。


 もっとも、少女の腕力では出来る事も限られているので仕方ないと言えば仕方ないとも言える。


 そんな彼が天色の眼に疑問を浮かべて訊いて来たので、二人して赤く染まった海面を指差した。


 帆が風を受けて徐々に船が加速し、ゆっくりだがその水域を置き去りにしていく。


「……あそこがどうしたって?」


「いや、浮かんでた死体が消えてるような気がして」


「気がした、って……どうせ見間違いでしょ?」


 言いながらシグも俺達が指差す方へ目を向け、丁度そこで死体の一つが――不自然に沈んだ。




「「「……」」」




 三者とも黙り込み、顔を見合わせる。


 見間違いではないかと全員思ったらしく、各々(おのおの)目をこすったり頬を抓んだり叩いたりした後、再度当該水域を見遣る。


「――!」


 置き去りにされていく生き残った海賊が、瓦礫に掴まりながら口々に何かを叫んでいるが、恐らく罵詈雑言だろう。


 助けろ、置き去りにするな、とかそんなものが微かにだが聞こえて来る。


 だが、それだけだ。


「な、なにさ。やっぱ気のせいじゃん」


「嬢ちゃんの言う通り、だな。やっぱ俺ら疲れてんだよ」


「……そうだよ、な?」


 合槌を打ちながらも、視線は海面から外さない。


 そのままじっと見続けること十秒。


 既に何事もないまま数十M(メトレ)の距離が開いていた。


 だがそれは、今のところ水上では異変が無いという意味でしかなく。


「ひ――嫌だァァァァァ!?」


 不意に海面に浮かぶ海賊の一人が絶叫した。


 そして、周囲一帯に聞こえる程の声量を上げながら、一瞬で海面下へと姿を消した。


 それはまるで何かに引き摺り込まれたみたいで、酷く不気味だった。


「「「……」」」


 三人、再び無言のまま先程まで男が浮かんでいた水面を注視する。


 だがいつまで経っても上がって来る気配はなくて、代わりに一度だけ、無数の大きな泡がボコっと湧いただけだった。


 俺達三人が絶句する一方、まだ海上に浮かぶ他の生き残り海賊はバラバラに泳いで散り始め、海面下に居る何かから逃れようとしているらしい。


 思わず、頑張れと応援すらもしたくなってしまいそうになった、その時。


 今度は一気に二人が不自然に海の下へ消えた。


 ここまで来てしまってはいよいよ見間違いでも何でもなくて、他の船員も異常に気付いた者が出てき始める。


「お嬢、何ですかアレ? さっきから人が消えてませんか?」


「その通り。確実に、あそこに何か居るね」


 助けを求めてか、情けない声で何かを喚き散らしながら、五人ほどの海賊が船を追い掛けて泳いでいる。


 そこをシグが指差しながら、見物の為か歩いて来たラドルスに説明した、直後。





「――――」





 丁度、必死に泳ぐ海賊たちが居る海面を突き破って、巨大な何か(・・)が飛び出した。


 それは恐らく、魚。


 と言うのも、一応はずんぐりとした体に背鰭や尾鰭、胸鰭を持っているものの、その“魚”は頭部に無数の触手を持っていたのだから。


 触手の正確な長さは分からないが、全長は五M(メトレ)以上と見た。


 感情を感じさせない大きな黒い目がこの商船を映し、そして瞬く間に海面へと戻っていく。


「い、いいいいい今のは何だオイ!? 触手!? 頭が触手になってたぞ!? 蛸の足と魚の体が合体したみたいな、とんでもねえ気持ち悪さじゃねえか!?」


「……あ、あ」


 青い顔をして黙り込む船員の胸倉を掴み、ラドルスが血相を変えて問い詰めるが、反応は鈍い。


 さっきまでこの商船を必死に追い掛けていた五人の海賊の姿は無く、先程飛び出して来た“魚”に食べられてしまったのだろう。


「ス、腕蛸魚(スキュラ)だっ……まだ小さいが奴だ! 船長ぉッ、腕蛸魚(スキュラ)が出ましたッ!」


「早いな……って事はこの近くに最初からいたって事か! くそ、運の悪いッ! 全速前進、持てるだけの櫂で漕げ! 逃げきれなけりゃ喰われて死ぬぞ!」


 その瞬間、怯えにも似た声が上がり、海賊と遭遇した時よりも更に必死な表情で船員が慌ただしく動き出す。


 つい先程、折角海賊から助かったばかりなのだ、ここでは死にたいとは誰も思わないのだろう。


 以前、ラドルスによって叩きのめされた三人の下級狩猟者(インフェルス)も血相を変えて操船を手伝っており、まさに船全体が一丸となっていた。


「俺らは何をすれば……」


「あ? ああ、アンタらは取り敢えず腕蛸魚(スキュラ)を見張ってくれ! 特にそこの嬢ちゃん、ヤバかったら遠慮なく魔法を使ってくれよ?」


「ま、任せて」


 大層慌てながらも、壮年の船員はその経験を活かし指示を出してくれる。


 取り分け、先程海賊船を五隻沈めたシグには期待しているらしい。


 彼女もやや顔を強張らせながら、強く頷いていた。


 ただ、この状況下では槍を使う俺とラドルスが戦力になるか怪しい所だ。


「……ラドルスはともかく、アンタは魔法使えるでしょ?」


「何の事かな? 俺は短槍(たんそう)使いのしがない下級狩猟者(インフェルス)で、ただのラウレウスだ。魔法なんて使える訳無いだろ」


 心内を読んだのか、それとも普通に釘を刺しに来たのか、シグが鋭い視線を向けて来る。


 そんな彼女に、韜晦(とうかい)するように肩を竦めて見せれば、諦めた様な溜息を吐かれた。


「真面目な話をしてるの、しらばっくれないで。……まあいいわ。深くは訊かないで置いてあげるから、本当に深刻なったら使って」


「ん、全く意味が分かんねえけど、取り敢えず了解っていっとくわ」


 勿論、使う気など更々ない。


 白魔法(アルバ・マギア)を用いれば遠距離攻撃も熟せるものの、下手を打てば正体が露見してしまう恐れもある。


 以前に彼女たちの前でも使った事があるが、たった一度だけでも窺う様な視線を向けられたものだ。


 それをまた使ってしまうとなれば、深くは訊かないと宣言されても躊躇するのが当然である。


「お嬢もこう言ってるんだ、出し惜しみする様なら俺が許さん」


「……別に許されなくても構わねえよ。ここを切り抜ければ文句は無いだろ?」


 シグの氷造成魔法であれば、充分に討伐可能である筈だ。


 どうかそれだけで終わってくれる事を、切に願うのだった。


 だがそんな祈りを遮る声が一つ。


「二人共静かに。集中できない」


 ラドルスと会話している間にシグは戦闘態勢を整えていたらしい。


 真剣さを滲ませる言葉に二人して押し黙り、彼女に従って海面を睨む。


 相手は海中を縦横無尽に駆ける巨大な“魚”。いつ、どこから出て来るのか予想する事は困難で、目を皿にして周囲を警戒する(ほか)なかった。


 しかし、三人とも船尾に立って海面を見ているだけでは船の進路から襲って来た時に対応も出来ない。


「……ラドルス、見張り台に登って! 台に居る人と手分けして周囲の警戒を!」


「え、俺ですかい!? こいつの方が……」


「そうは言うけど、貴方の戦闘手段なんてがそれこそ槍と剣と体術しかないでしょ」


「ぐ……分かりましたよ」


 不満気ながらもシグの指示に正当性を感じたのだろう。これ見よがしに俺へ舌打ちをした直後に跳躍し、たったそれだけで甲板に上がっていた。


「なあ、俺も武器が槍と剣くらいしかないんだが?」


「アンタの三文芝居に付き合ってやる道理はないの。あの魚を見つけたら問答無用で魔法ぶつけてくれれば文句ないから」


 幾らシラを切っても無駄だと、彼女は告げる。


 既に何かしらの魔法が使える事は、見切っていると再度仄めかして来ているのだ。


 正体まで見抜いているとは思いたくないが、苦い顔をしながらシグに背を向けた。


「……甲板に上がる。俺の場合、そこに立てば全方位カバーできるからな」


「奇遇ね、私もよ。ただ、それは少し待った方が良いわ」


「あ? ……げっ!」


 凄まじい速度で海面を滑る黒い影。


 それは急速に商船へ迫っており、もう数秒ほどで船に到達する事だろう。

 もしも、五M(メトレ)を越えるあの巨体が船体の真下から攻撃を掛けてきた場合、為すすべなく船体は破壊されてしまう事だろう。


 例え一度は耐えられても、二度三度と衝突すれば確実に船は重大な損傷を負ってしまう筈だ。


 当然、そうなれば乗り込んでいる者は海へと投げ出される。


「させないっ!」


 その言葉と共に、彼女の右手が掴んでいた手摺が一瞬で凍結し、その連鎖は船の外壁を伝って海面に達する。


 しかし船上における凍結範囲は限定的で、線のように一条の軌跡となって海面に届いており、そこから一気に海面を凍らせていた。


「やるじゃん」


「見てないでアンタも魔法使って援護しろっ! 川に比べたら海って凍結速度が遅いんだから!」


「そりゃ、海水だからな」


 色々混ざれば凍り難くもなるというものだ。


 甲板に上がっていた船員たちも、見張り台のラドルス達が注意喚起した事で気付いていたらしく、船尾に居る俺らへ向けて励ましの言葉が投げ掛けられる。


 彼らからすれば、他者に命を預けて操船に集中するしかないのだ。


 応援したくなる心理も分からなくもない。


 何よりそうでなくとも、撃退に失敗して船が沈没などと言う事態にはなりたくない。


「ラウレウス! 早くあの魔力の塊を撃って!」


生憎様(あいにくさま)、お前が海面を凍らせたせいで標的が見えねえんだよ」


「何だって!? 私は船の下から攻撃されたら堪らないと思って周囲に氷を張ったのに……!」


「あーそりゃ分かってる。流石にそれは俺も防ぎ切れねえし、やって貰わなきゃ困る」


 だが、防御の為に船尾から周囲の海面を凍らせた為、船の動きはどんどん鈍くなっていく。


「船長! 舵が凍り付いて動きません!」


「……な、何で氷が!? これじゃ航行出来ねえじゃねえか!」


「待てお前ら、無理に動かすな! お嬢さんの魔法だ! 一旦帆を畳め! 錨は下ろさなくて良い! 総員、周囲を警戒しろ!」


 船の直下を含めて、それなりの範囲を纏めて凍結させたのだろう。


 さながら流氷に座礁した船のようになりながら、商船は海上をただ浮かんでいた。


「直下からの攻撃は無効出来るくらいには氷を厚くしたわ。これでアイツは、私達を仕留める為に離れた海面から飛び出して突っ込むしかなくなった」


「その反面、俺らは航行能力を失った訳だが」


「ここを乗り切れば解除する。当たり前じゃない」


「へーへー、そうかい。けど下手に凍らせたせいで船に損傷が無いといいんだが」


「何だとっ!?」


 右手を凍結した手摺に固定したまま、シグが柳眉を吊り上げて怒鳴り付けた。


 それに対して両手で両耳を塞ぎ、口笛も吹いて無視。


 彼女は魔法を行使しているせいかその場を離れられないらしく、俺は彼女の手が届かない場所へと素早く退避した。


「……覚えてろ」


「え? 何だってー?」


 きつい表情で睨み付けて来る彼女を受け流しながらも、視線は海面から離さない。


 そのまま両脚へ身体強化を施し、後ろ向きに跳躍する。


「そこで魔法の維持、よろしく。俺は“魚”が何処から飛び込んで来ても良いように、甲板で待機してるわ」


 (あま)色の髪を揺らしながら少女が何かを喚いていたが、残念ながら聞こえない。聞こえないと言ったら聞こえない。


「おお坊主、あのお嬢ちゃんの魔法凄いな! で、腕蛸魚(スキュラ)は倒せたのか!?」


「いえ、まだです。あの氷は船を守って奴の攻撃手段を限定するだけ。多分離れた海面から飛び出して突っ込んで来るかと」


「突っ込んで来る!? 大丈夫なのかそれは!? 早くあのお嬢ちゃんに魔法で……!」


「アイツは今、この辺を凍結させてるんで船尾から動けないんですよ。色々維持するのも楽じゃないらしくって」


 この船には魔法の心得がある人はいないのだろう。海賊に対する対応からも察していたが、俺の言葉に船員の誰もが言葉を失っていた。


 中には天を仰ぎ、または船上で座り込む者も出る始末。


 あれだけの巨体に突っ込まれては一溜りもないと、誰もが思っているらしかった。


 船長は悲壮感を滲ませながら再度訊ねて来る。


「じゃあ、俺達は詰んだのか?」


「いえ……一応俺も魔法は使えるので、突っ込んで来るようならこっちで片を付けます」


「あ、坊主は魔法が使えんのか? さっき海賊と戦ってる時はそんな気配なかったけど……」


「出来れば使いたくないんですよ。槍とかでどうにかなるならそっちで片付けたいんです」


 怪訝そうな、疑っても居る様な視線と、問い掛け。


 他の船員からも同様の視線を向けられるが、それを無視して見張り台の方へ目を向けた。


 そこに立っているのは見張りの船員ともう一人、ラドルス・アグリッパだ。


「頼んだぞ、監視役」


「テメエ! 俺を今、暗に役立たずって言ったろ!」


「いや言ってねーから」


 先程主人であるシグから今回は戦力にならないと通告されて自棄(やけ)っぱちなのか、捻くれた返答が返って来る。


 何とも間の抜けた彼の言葉に、引き締めたばかりの表情が引き攣るが、それも一瞬の事。


「それより索敵! お前が見つけ損なったらシグも含めて海に落ちるんだぞ?」


「んなもん分かってるよ! お前こそ、仕損じるんじゃねえ! もし失敗した時は……俺が直接この手で殺して、真っ先に腕蛸魚(スキュラ)に食わせてやる!!」


「おー、そりゃ怖い。そうならない為にも魔法は使うが、追及してくんじゃねえぞ。お前の主人ともそれで約束済みなんだからな」


「ケッ……勝手にしやがれ」


 頭上から聞こえた舌打ち混じりの返答に一先ず満足し、周囲を見渡す。


 船員の誰もが死を覚悟して真剣な表情を浮かべ、幾人かは死を恐れてその場にへたり込むなどしている。


 しかし大体は危険を承知で船乗りをして来たからか、そこに見えるのは多くは覚悟であった。


「……坊主、頼むぜ」


「分かってます。ただ、折角ここで妖魎(モンストラ)を相手に戦ってるんです、依頼料くらい貰っても良いですよね?」


「……中々ちゃっかりした奴だな。良いだろう、(おか)でぬくぬくしてる船主連中には後で俺から説明しておく。思いっ切り暴れろ!」


 不敵に笑う船長は、これまでも散々死線を潜り抜けて来たのだろう。


 想定外の事態などには幾度か狼狽(うろた)えたりもしていたが、やはり最終的には肝が据わっていた。


 そんな彼へ強く頷き返し、船をぐるりと囲う氷とその先に広がる海面を見遣る。


「……」


 いつ飛び出してくるかも分からない相手を瞬時に迎撃するために、右掌上に白弾(テルム)を生成する。


 船員たちからは本当に魔法が使えたのか、と驚きと共に小さな歓喜の色が見えていたが、そちらへ意識を割く余裕はない。


 相手が飛び込んで来るとして、あの巨体である。一撃で吹き飛ばし損ねれば、仮に殺せたとしてもその残骸が船に激突してしまう。


 実際、その懸念を裏付ける出来事も一度経験しているのだ。


 以前、ボニシアカ市の近くで遭遇した、エクバソスが引き連れていた不気味な獣の事である。


 あの時は獣が高く跳躍し、自由落下によって威力を増幅させながら襲い掛かって来た所を、白弾(テルム)で迎撃した。


 その際、白弾で殺す事には成功したものの、残った体を消し飛ばす事は出来なかった。


 結果直撃は免れたものの、すぐ近くの地面に巨大な死体が激突。


 雨でぬかるんでいた為に崖崩れを起こし、それに巻き込まれて崖下を流れる濁流に呑み込まれてしまったのである。


「何処だ……何処からくる?」


 今回は一撃で消し飛ばせなければ、船が沈みかねない。


 しかも腕蛸魚(スキュラ)と呼ばれる水棲の妖魎(モンストラ)の大きさは、あの時の獣を凌ぐ。


 より威力を高め、より的確な場所に命中させなくてはならなかった。


 せわしなく視線を周囲へ巡らせながら、唇を舐める。


 心音と呼吸音がこれでもかと言うくらいに煩く、自然と呼吸も早くなる。


 何度呑み込んだかも分からない固唾を呑み、神経を尖らせる。


 ――そして。




「船首正面、向かって丁度右斜めッ! 来るぞッ!!」


『――!!』




 静まり切った空気を切り裂く、ラドルスの報告。


 皆が一様にその方向へ身体ごと視線を向け、腕蛸魚(スキュラ)を待ち受ける。


「あと少し……迎撃準備は!?」


「万端に決まってんだろ!」


「なら良し! ぶちかませぇ!!」


 強者ならではの反応なのだろうか。この状況下でもただ一人、ラドルスは口端を緩めながら叫んでいた。


 その言葉に返事をする間もなく、水面を突き破る音が発生し、腕蛸魚が姿を現す。


 やはり何度見ても気持ちの良いものではない、十本の触手。蛸とは異なって吸盤は見受けられないが、それらは骨がないのか上空中でもウネウネと動いていた。


 そしてその触手の中心に見える、大口。


 船の一部諸共、人を捕食する気なのだろう。


 胴体の方は触手と大きな頭部が邪魔をして見えなかったが、少し前に目撃した様に寸胴なのだろう。


 頭部から先が大きい分、胴体には余り栄養を割かない進化をしたのかもしれない。


 そんな事が一瞬の間に頭を過っていく。


 水面から跳び上がった時はまだ距離がある様に感じた“魚”はもう間近にまで迫り、絶対不可避のこの上ないタイミングにまで達していた。




 ドンピシャ――。




 弾かれる様に、殆ど無意識に、酒樽二本分はありそうな大きさの白弾(テルム)を撃ち出していたのだった。





第二話以降は後日投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ