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終章

 式年遷宮における裏の儀式が終わり、日の本の闇が祓われた。

 今生における『天照大神』は黄泉へと還り、『瀬織津姫』は日常へ帰った。

 それから二日が経ち、本日は十月某日、月曜日の早朝である。

「……はああっ」

 陰気な少女が三海中学校の制服に身を包んでいた。深いため息をついて、通学路を歩む。

 少女は頭を抱えて低く唸る。そして、ぶつぶつと何やら呟く。

 はたから見ると怪しさが半端ではない。まさに、未曾有の変人である。

(あううううぅうっ、よしのちゃんからの着信とメールっ、ぜんぶ無視しちゃってましたっ。どう返していいかわからなくてっ、まだそのままだしっ、ぜったいぜったいっ、怒られちゃいますよねっ)

「……はああぁあっ」

 よりいっそう深くため息をつき、少女が空を見上げる。

 青く澄み渡る天は淀みなく、光が満ちている。

(……照っ……さまっ)

「瀬里奈あああああぁああぁああっっ!!」

 びくぅ!

 爽やかな朝に響き渡る怒声。声の主はよほど腹に据えかねているのだろう。

 少女がゆっくりと振り返る。

「あっ、あははっ。おはようございますっ、よしのちゃんっ」

 織津瀬里奈が、ぎこちなく微笑んだ。


 **********


 国津禍人は青杜市の製菓会社に勤めている。県内のスーパーや駄菓子店を回り、自社の製菓を置いて貰えないか頭を下げるのが営業職たる彼の仕事だ。

 彼はその日、三海市まで足を伸ばして、織津駄菓子店の軒先で話し込んでいた。

「……いやあ、そろそろ一ヶ月だねぇ。関西まで出向いて、結局なぐられただけだったよ。オッチャンはあれからしばらく身体のあちこちが痛くて。当分、国津の仕事は御免だねぇ」

 あはは、と楽しげに笑い、オッチャンは茶をすする。

 ずずずッ。

「うん。旨い」

「無駄話をしにきたのっ? 禍人くんっ?」

「ちょっと休憩、ですかね」

「うふふっ、給料泥棒ねっ」

 ずッ。

 店主、織津綾瀬もまた茶をすすり、茶碗に残りがないことに気づく。

「太久郎さーんっ! お茶をおねがーいっ!」

 店の奥の居住スペースから、織津太久郎が電気ポットと急須を持って来た。

「はいはーい。禍人さんもどうです?」

「ああ。オッチャンもお願いしようかね」

 こぽこぽ。

 お湯が急須に注がれる。緑茶の芳しい香りが辺りを包んだ。

「しっかし、けっきょく終わってみれば、陽子くんが全てを担って逝っちまった。うちらとしては万々歳だけど、照くんとしては…… 綾瀬くんと陽子くんの時みたいに、姫が照くんに嫌われんもんか、オッチャンは心配だよ」

「そんなこと言ってっ、国津の方針としては最初から陽子ちゃんに押しつけるつもりだったくせにっ。でしょっ?」

「……まあねぇ。でもまあ、ヘタに関わっちまった身としては、ねぇ?」

 何だかんだで人の好い男である。

 がらッ。

「ヒメママ。ごじゅうえんチョコぷりーず」

「あらっ、いらっしゃいっ。ククリちゃんっ。小学校、終わったのねっ」

 店の扉を開け放って、国津ククリが姿を見えた。小さな身体にお似合いな、真っ赤なランドセルを背負っている。

「買い食いなんて感心せんなぁ。オッチャンはククリをそんな子に――」

「そだてられてない」

「はいっ。いつもどおりっ、知り合い価格の四十円ねっ」

 手の平大の薄いチョコを受け取り、ククリがポケットを探る。小銭をじゃらじゃらと取り出して、十円玉を四枚、綾瀬に手渡した。

「ん」

「いつもありがとうっ」

 にっこり微笑む綾瀬に、ククリは無表情のままで満足そうに頷く。さっそく包み紙を破って、小さな口で大きなチョコを頬張った。

 もぎゅもぎゅ。

「にゃんのはにゃししてた?」

「オレンジジュースをどうぞ。ククリさん」

「ん」

 くぴくぴくぴ。

 太久郎の差し出した、柑橘果汁たっぷりの飲料を口に含み、ククリが満足そうに飲み下す。

「ぷはぁ」

「姫と照くんの祝言が破談か否かについて、だね」

 適当なことをオッチャンがのたまった。

 対して、ククリは再び五十円チョコを頬張り、淡泊な口調で語る。

 もぎゅもぎゅ。

「しょれなりゃダイジョビュ」

『え?』

 もぎゅもぎゅ。

「きりゃいならもうこにゃい」


 ぱぁんッ!

 洗濯機から取り出した衣類を手で伸ばしつつ、天津内女は空を見上げた。

 透き通るような青空に、大きな太陽が浮かんでいる。

「まったく、あの方は…… こんな時間まで寝坊なさるなんて、これから天津家ご当主様として在らねばならないというのに…… しかも、和己くんは砂糖菓子のように甘やかすし、高良くんは基本的にいい加減だし、やはり、わたくしも来てよかったわ」

 しみじみと言の葉を吐き出し、彼女は深いため息をつく。

 そうしてから、遠い目を南方へ向けた。

(それにしても、高校卒業まではこちらで、とは…… まあ、現状ですと実権は月讀命様が握ってなさいますし、ご成長されるまでは傀儡として不自由を余儀なくされる。いっそ、本家を離れて社会勉強をされるのもよいかもしれませんが……)

 そこまで考え、彼女はふたたび深いため息をついた。

「まずは、お一人で朝早く起きていただかないと…… あれでは間違いなくニート予備軍ですわ…… まったく」


 イギリスやアメリカで使われる言語を教えてくださる先生の声は、いつもどおり眠気を誘う。いかに神の気と記憶を受け継ごうと、外国の言葉に関する知識は乏しいままのようで、授業の内容は常に違わず馬耳東風だった。

 それゆえ、三海中学校二年六組の教室にて、織津瀬里奈はすやすやと寝息を立てていた。

(ったく。あの子、高校いけるのかな…… 国語も社会も寝てたし……)

 小さくため息をついて、小比類巻よしのが呆れた瞳を親友へ向けた。

 残念ながら、彼女の親友は数千年と続く神の記憶を継いでいようと、全ての授業において馬の耳を持ち合わせているらしい。

「えー、ここの関係代名詞がここにかかってだね。えー。あー」

 スタスタスタ。

 教師の声が教室に響くなか、廊下から足音が聞こえてきた。

(校長先生の見回りとかかな?)

 よしのがぼうっと考えるなか、瀬里奈は変わらず寝息を立てている。

 すやすや。

「すると、あー、この訳は――」

 がらッ。

 突然、教室の前の扉が開いた。教師と生徒、全ての視線が集う。

 そこには、三海中学校の夏服に身を包んだ女子生徒がいた。

「申し訳ございません、先生。遅刻しました」

 落ち着いた声音。

 一日の最後、六限目に遅刻してやって来たというのに、何とも剛胆なことだ。

「いや、あー、君は確か…… えー、家庭の事情で休学中と聞いているが……」

「? 家の者から復学すると、担任の苫米地先生には連絡したはずなのですが……」

 その瞬間、英語教師は察した。

 二年六組の担任、苫米地敏文は相当にいい加減な男なのだ。

「あー、なるほど。まあ、いい。それよりも、こんな大遅刻はいかんな。えー、苫米地先生では埒があかないから、私に原稿用紙一枚分の反省文を提出すること。あー、いいね?」

「はい」

「あー、では、えー、席について」

 スタスタスタ。

 ざわざわざわ。

「……ふぅ」

 頬杖をついて、よしのがため息をつく。

(これであの子、数日はうるさそうだわ)

 スタスタ。ぴた。

 遅刻者が立ち止まる。

 そして――

 すやすや。

 すぱあんッッ!!

 気持ちよさそうに寝息を立てているお馬鹿を、勢いよくはたいた。

「ふえっ!」

 飛び起きた者の後頭部に細めた瞳をそそぎ、少女がため息をつく。

 ふぅ。

「これでも一応、緊張して入ってきたのに、寝てるとかどういうことなの?」

 夢から強制送還された神は、頭上から聞こえるアルトの声音に目を見開いた。

 ばッ!

 勢いよく頭を上げる。

 視線の先には人形のような少女がいた。艶やかで綺麗な黒髪と涼やかな目元が印象的である。

 ぱあっ!

 お馬鹿が、叩かれたというのに満面の笑みを浮かべる。

 マリアナ海溝よりも深く、エベレストよりも高い規模の、深刻な変人である。

「……まったく。相変わらずね」

 少女は小さく息をつき、微笑む。

 変人もまた、彼女の王子様に向けて満面の笑みを向ける。

「おはよう。瀬里奈」

「はいっ…… はいっ! おはようございますっ!」

 穢れ無き光が世に満ちた。


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