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GOSSIP IGNITION!!  作者: ジャーキー
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光と影

 現代社会とは情報社会である。通信網が世界を覆い尽くし、情報のやり取りは海の果てから空の彼方まで一瞬にして完了する。宇宙では人工衛星が絶え間なく地球の様子を観察し、別の星を探査するマシンには常に新しい発見の報告が待たれている。

 全ての事象が観察され、解明され、人々に通知され、認知されていく。この世には最早人の知らぬ事など一握りもありはしない。

 だが、そんな世界においても、決してなくならない物が存在する。はるか以前より語り継がれてきた『怪談』や『噂』達。情報化社会の闇に紛れ、それらは『都市伝説』として形を変えて未だにネットの海で、人々の間で語り継がれる確かな認識。

 それは、ここ日本のとある県に存在する都市、空言市でも同じ。いや、少しだけ他の地域よりもそれらは活発にこの都市の人々の間を駆け巡っている。

「ねぇ、知ってる?『指刃(しじん)の通り魔』の話!何でも、その正体は、ジャック・ザ・リッパ―の亡霊なんじゃないかって!」

「『裏路地の蜘蛛男』って知ってるか?夜の駅裏の西口改札から数えて三本目の路地に行くと、どでかい蜘蛛の巣があって、そこには今まで蜘蛛男に捕えられた人の死体が大量にぶらさがってんだとよ」

「『生き返った男の子』が誰かって話なんだけどさ、実は私の友達のお兄さんがその話のモデルになった子を知ってるって!」

 今日も、ネットの至る所で、街の至る所で、囁かれるのはそんな都市伝説達。誰もしも本気で信じている訳ではない。だが、非日常の未知への畏怖と好奇は、必ず存在する。

 そんな、一種の新たなる文化とも言えるような絵空事の群れを、今一人の少女がパソコンの画面越しに見つめている。

「・・・・・・・・」

 そのほとんどは、文字通りの作り話。アーバンフィクションに過ぎない。だが、彼女は知っている。嘘の中にこそ、真実は時として紛れている事を。

そして、とある一つの書き込みに目を止めて、少しだけ彼女の瞳が見開かれる。そして、拳を握りしめながら、ぽつりと呟いた。

「・・・・・見つけた」



 この世に正義の味方はいない。大切なものが目の前で引き裂かれるのを、俺たちは黙ってみているしかない。

 あの時も、そうだった。

 フラッシュバックするのは、黒い影と紅過ぎる飛沫。聞こえるのは、誰かの絶叫。胸に残るのは、引き裂かれたような熱さ。

 俺は何も出来なかった。『あいつ』の大切なものを守ることが出来なかった。

 そして壊れていく『あいつ』を支える事も出来なかった。

 だけど、それでも―――

 『あいつ』を守る事だけが、今の俺が生きる理由だから・・・


 バチンッ!!!と、額に走る衝撃が、まどろみから無理やり意識を引っ張り出される。

「んがっ!?」

 鋭く走る痛みに、思わず声を上げると同時に、かつんと目の前に落ちる白い物体。それが前方から放たれたチョークだと認識する頃には、ようやく(ゆる)() (えい)()は今が授業中で、自分は惰眠を貪っていたのだと気づく。

 長すぎない程度に切りそろえられた黒い髪と少し吊り上がった猫目が印象的な男子生徒だった。ピアスやアクセサリーなどの類も一切身に着けず、よく言えば健全、悪く言えば大して目立ちもしない、普通の少年。それが、万木 鋭二という男だった。

「万木ィ・・・・今月に入って何回目の居眠りだァ・・・?言ってみろや・・・!」

 数メートル先に佇むのは、凛とした目元に、メガネの似合う、2年D組担任兼数学担当女教師、一条律子。黙っていれば間違いなく空言(そらごと)高校生徒人気投票教師部門№1であろう人物だが、今現在のドスの聞いた声と般若の形相から分かる通り元レディース。一言口を開けば、罵詈雑言の嵐が吹き荒れる。それでも、一定以上の人気を持つのは、やはりその竹を割ったような気持ちのいい性格と、男子なら誰しも前かがみになるスタイルの良さからか。

「あっ・・・あー・・・俺調べによれば、6回目かと・・・・」

 目を覚まして早々に、冷や汗だらっだらになりながら、鋭二はしどろもどろに答える。瞬間、放たれた二発目のチョークミサイルが彼の鼻っ柱を直撃した。

「へぶっ!?」

「8回目だこのダボがぁ!!高2のこの時期に居眠りとはいい度胸だ!!気合入れ直す為に今すぐグランド20週して来いや!!」

「ヤッ、了解(ヤー)!!」

 ヒュンヒュンと小気味良い風切り音をかき鳴らして飛来するチョークの嵐をかいくぐりながら、全力で席を立って駆け出す。

「だはははははははっ!!まぁた居眠りかよ鋭二!!」

「そんなんじゃ、大学受験どころか、次のテストも真っ暗だな!!」

「るせぇ!!俺は俺で忙しいんだよ!!」

 クラスメイト達の野次に、半笑いで返しながら思う。いつもの日常。こんなくだらない事で笑っていられる、有難い日々。

 だけど、その中において、たった一人笑みどころか、こちらを見ようともしていない影が一つ。

 黒い髪、黒いメガネ。黒いソックス。黒いレザー。制服以外は真っ黒で染めた、陰気な少女。彼女はまるで教室内の喧騒など遠い世界の事のように、視線を教科書に落とし続けている。

 彼女の事は、良く知っている。いや、もう鋭二の知っている彼女はいないのかもしれない。

朱鷺子(ときこ)・・・・)

 風間(かざま) 朱鷺子(ときこ)。万木 鋭二の幼馴染。家が隣で、十年前までは最も親しかった友達。

 そして、今は最も遠くなってしまった、彼の大切な人。

 彼が教室を走り去るまで、一瞬たりとも朱鷺子は視線を上げはしなかった。いつもの事ではあったが、それが今日は妙に寂しい。

 そんな弱気な思考を振り払って、鋭二は最早半分日課と成り果てた、居眠りのペナルティの為に走り出す。


「ふうっ・・・・20週終わりっと」

 十五分後。律儀に体操服に着替え、グラウンド20周を終えて息をつく。少々の汗こそかいているものの、大して息が乱れている訳でも無い。今の鋭二にとっては、この程度ならばウォーミングアップといったところだ。

(いい感じだ・・・体力もかなり上がって来たな・・・夜の走り込みの距離増やすか)

 ぐっぐっと身体を伸ばしながら、グラウンドのフェンスの向こうに視線を向ける。そこからは、空言市街が一望できる。

 市立空言高校は、少し小高い丘の上に立った高校だ。偏差値は大して高くない。スポーツとかで有名な訳でも無い、どこにでもある普通の高校。通学路沿いに咲き誇る桜の花びらが舞って、自分がこの高校に入ってから一年が経過したのだと思い知らされる。

(・・・一年・・・か・・・)

 この一年、特筆すべき事は無かった。大した事件が起きることは無く、友達と遊んで、テストを何とか切り抜けて、体育祭やら文化祭やらの行事をこなして、全くもって平凡な高校生活。

 それを退屈だと思ったことは無かった。皆が笑って、何気ない日常を過ごす。それがどれだけ貴重なのか、鋭二は良く知っているから。

 だが、一番見たいはずの、一番大切な人の笑顔を、まだ自分は見ていない。

(朱鷺子・・・本当に、どうしちまったんだ?)

 と、そんな具合に感傷にふけっていると、背後の校舎から授業終了の鐘が響く。どうやら、ペナルティを消化している内に時間が来てしまったらしい。律子には悪いが、鋭二にとっては都合がいい。

 さて、教室に戻って昼飯にしようかと踵を返そうとした、

 その時、

「そおらっ!!!」

 唐突に響いた声と共に、背後から飛びかかる気配。容赦なく振り上げられた腕が、鋭二の背中を捉えようとして、

「ほっ」

 まるで、その襲撃を予想していたかのように、軽い動きで上体を半身に倒し、するりと拳をかわしてのける。

 同時に、右足を軸にして旋転。左足が半月を描いて奔り、鮮やかに襲撃者の足元を刈り取った。

「あべしっ!!?」

 一瞬の反撃に、成すすべなく浮いたそいつは、べちゃりとそのままグラウンドに倒れ込む。

「っつうう・・・・相変わらず容赦ねえなお前・・・!」

「仕掛けてきたのはそっちだろ?正当防衛だっての」

 そう言いながら、襲撃者に向けて手を伸ばす鋭二。苦笑しながらこちらを見上げるのは、同年代の少年だ。鋭二よりも少し背が高く、流行りの俳優っぽくセットされた髪は茶色。一見すると軽薄そうな雰囲気を漂わせているが、実際は裏表のない。実直な男だという事をお鋭二はよく知っている。

 彼の名前は西田(にしだ) (けい)(すけ)。鋭二の幼馴染の一人。幼稚園時代から今までずっと共に学生生活を送って来た腐れ縁である。

「んで?俺に何か用か?」

 地面にへたりこむ啓介に手を伸ばして引き起こしながら会話を続ける。

「何か用かとはご挨拶だな。さっさと購買行かねえと、今日も飯抜きだぜ?」

「もうそんな時間かって、それを言いに来る余裕があるなら、先に行って買っといてくれよ!」

 見れば既に昼休みが始まってから五分以上経過している。購買部のパンを逃せば、授業の終わりまで飲まず食わずで過ごす事になってしまう。

「バカが!!俺が食えねえならお前も道連れよ!!」

「意味わかんねえよ!!仕方ねえ、急ぐぞ!!」

 育ち盛りのこの身体に、昼飯抜きは余りに残酷な仕打ちだ。ともかく、何とかして栄養源を確保するために、二人は脇目もふらずに購買へと駆け出した。


 死闘の末、なんとか最後の焼きそばパンを勝ち取り、教室へと凱旋を果たした鋭二と啓介を、既に昼食を終えたクラスメイト達の喧騒が出迎える。空言高校は普通の共学で、男女の比率も半々くらい。それぞれ、持ち込んだ漫画やら昨夜のテレビ番組の内容やら、各々好きな話題を持ち出して思い思いに言葉を交わしている。

 だが、そんな中でも、多くの生徒が口に出す、共通の話題があった。

「なぁ、見たか?『空言百物語』の更新!」

「うん、見た見た!書かれてた内容と同じような事件が、また起きたんだよね!?今度のは、『指刃の通り魔』だっけ!?」

「すげえよな・・・ここまで当たると、もう予言に近いよなぁ」

話の内容こそばらつきがあるものの、それらの中心には『空言百物語』という単語が存在していた。

「『空言百物語』・・・・ねぇ」

 断続的に聞こえてくるその名を、ぽつりと呟いて、目線を隣で二つ目の戦利品にかぶりついている相棒へと向ける。

「俺良く知らねえんだけどさ。そんなに面白いのか、そのサイトって」

「ははっ、相変わらずそういうのには一切興味ねえのなお前。今の学生で知らないのなんて、お前くらいじゃないのか?」

『空言百物語』。それは、とある不特定多数共有型掲示板サイトの名前だ。数年前から誰ともなく口コミで存在が知られ始め、いつの間にやら爆発的人気を誇る。時にはニュースなどにも取り上げられるほどだ。

「まあ書いてる内容は、よくある都市伝説の寄せ集めだよ。人によっちゃあ、別にどうって程の事でも無いかもな」

「じゃあ何でそんなに人気なんだよ」

 最後の一欠片を飲み込んで、鋭二が疑問を込めた視線を向ける。そんな程度のサイトなど、今の世の中に腐るほどありそうなものだ。

 そのもっともな問いに、啓介はニヤッと笑うと、声のトーンを低くして返してきた。

「それがな・・・・いくつかあるんだよ。『マジ』な奴が」

「『マジ』な奴・・・?」

「そうだ。つまるところ本当に起こる事があるんだよぉ・・・書き込まれた都市伝説の内容とよく似た事件がさぁ!!」

 くわっと目を見開いて、ビビらせようとしてくるが、別に鋭二にとっては大して興味を引く内容でもない。むしろそれこそ良くある話ではないか。

「本当に起こるっつっても、誰かがそれを確認するわけじゃねえんだろ?それこそ噂の尾ひれってことになりそうなもんだけどな」

「大体の奴は最初はそう言うのさ・・・だけどこの話はマジなんだよ・・・そうそう、最近だって一つあったんだぜ?ニュース見てねえか?駅前の通り魔の話」

「知らねえな・・・あんまりテレビ見ないし。駅前って空言駅か?」

 啓介の情報の裏を取る為、スマートフォンを取り出してネットニュースに目を通す。無論校則違反なのだが、そんなものを律儀に守っている生徒の方が少ない。

 目的の見出しはすぐに見つかった。概要はこうだ。二日前の未明、空言市の駅の裏路地で女子学生の死体が発見された。個人情報などは流石に表示されていないが、死因は鋭い刃物に身体を計10ヵ所個所突き刺されたこと。そして同じ手口での犯行が他にも何件か発生しているという事。それだけ見れば、よくある・・・とは言えないまでも、特筆すべき点は無いように思える。

「・・・・嫌な事件だけど、別に何かあるわけでもねえじゃん」

「そこでこいつだよこいつ!」

 眉をひそめているところに、今度は啓介が自らの携帯を手渡してくる。そちらの画面には黒い背景におどろおどろしいで『空言百物語』の名前と、一つの都市伝説が綴られていた。

「なになに・・・・『刃指の通り魔』・・・?文字通り、指が全部ナイフになっていて、暗がりに迷い込んだ人を刺殺して血を啜る・・・・ってまさか」

 なんとなく悪友の言わんとすることが分かって、鋭二は呆れたようにため息を吐いた。

「・・・まさか、刺された所が10ヵ所=この通り魔とやらに両手で刺された・・・とか抜かすんじゃねえだろうな」

「exactly・・・その通りでございうぼあっ!!」

 妙に濃い顔になってそんなことをほざく啓介に肘鉄を叩き込む。聞くだけ損だった。

「あだだ・・・いきなりなんだよ」

「アホくさい話聞かせるからだ。こじつけもいいところじゃねえか」

 憮然として呟くも、啓介は苦笑いしながら答える。

「まあまあ、実際そんなもんだろ?都市伝説なんてさ。誰もマジになったりしてねえよ。たまにそれっぽい事が起きたら、皆『面白そうだから』乗っかるだけだよ」

「・・・・そりゃそうだ」

 本当にそんな事があってたまるか。

「あ、だけど一個だけ裏付けまで取れてる話ってのがあってさ・・・・」

「いいよ、もう。ほら、そろそろ昼休み終わっちまうぞ。次は移動教室だろ?」

「うおっ、マジかもうこんな時間かよ・・・確かに急がないとまずいかもな。次は鬼枝の授業だし!」

 見れば他の生徒もぼちぼち教室から去っていく。昼飯の残骸をさっさと片づけながら、次の時限の鬼教師の怒りを買わぬよう、教科書をまとめて移動を始めた。



「おし、それじゃあ今日はこれで終わりだ。気をつけて帰れよ!!最近胡散臭い事件が増えてるとかいう話も聞くしな!!」

 律子の良く通る声が、一日の授業の終わりを告げる。時刻は四時過ぎ。4月の日は、少し前までに比べればまだまだ高い位置にある。当然、遊び盛りの高校二年生ともなれば、そう簡単に家に帰る理由も無い訳で。

「おう鋭二!帰りにゲーセン寄ってかねえか?」

 帰り支度をしていると、早速啓介が声をかけてきた。いつもならば一も二も無く即答して市街に繰り出すのだが、今日はそういう訳にもいかない。

「悪い啓介。今日は親父が稽古つけてくれるって言うからよ」

「あぁ~・・・そっか。お前親父さんに武術か何か習ってんだもんな?」

 鋭二の父、万木 龍太郎(りょうたろう)。かつてはどこかしらの研究機関に属していた研究員だったそうだが、今では普通のサラリーマン。鋭二にとっては武術の師匠でもある。

「よくやるよ全く・・・空手だっけ?テコンドーだっけ?」

「さぁ?詳しく聞いたことねえな」

「聞いたことないって・・・・お前、自分のやってることだろ?」

「そうなんだけど、あんまり興味無えな」

 そう。内容自体は鋭二にとっては重要ではない。重要なのは、それによって彼が『強くなれる』という事だけだ。

「まぁ、なんにせよ、良く続けるよなーお前も。小学・・・二年生くらいか?急にそんな事おっぱじめたときは驚いたぜ。あの弱虫だったお前が」

「・・・だから、だよ」

 そう呟く彼の脳内に、かつての思い出が去来する。


 あの頃の自分は本当に弱くて仕方なかった。病気がちだった彼は、身体が弱く、他の子どもたちに比べてあまり活発に動き回ることが出来なかった。それは、いつの時代だって存在する苛めっ子たちにとって鋭二を玩具にする十分な口実だった。

 苛められる事も苦痛だったが、苛めっ子たちの横暴を他の誰もが、大人すらもが傍観しているだけなのが悲しかったのを覚えている。

 しかしある時、彼の傍に立ってくれた人がいた。一人はこの啓介。そして、もう一人は朱鷺子。

 啓介は昔から喧嘩早く、苛めっ子たちを逆に泣かせるのが上手かった。その度に朱鷺子に叩かれて、泣かされていたのだが。

 朱鷺子は、暴力による解決を良しとしなかった。いつだって、彼女は優しくて、明るくて、そして格好良かった。

ある時、彼女が鋭二に言ってくれた言葉を覚えている。

『鋭二君は、強いよ。やられたらやりかえすのは誰でも出来るけど、鋭二君はそうしないもの。我慢する事って、強くなくちゃ出来ないことだもん』

『違うよ・・・僕は弱っちいから・・・やり返す事も出来ないだけだよ』

『違わないよ。絶対、違わない!』

 幼い子供らしくない、達観したような言葉。あの頃はよく意味が分からなかった。啓介の姿こそが、強さだと思っていた。だけど、朱鷺子は笑いながら違うと言ってくれた。それが、妙に嬉しくて、自分を認められたような気がして、温かかった。彼の根幹を形作った言葉だ。

 それから、鋭二は虐めに屈さなくなった。嫌な事は嫌だと言い、自分を曲げる事を止めた。

 少しずつ、虐めは減っていった。明るくなった事で、友達も増えていった。陰惨な経験をしながらも、彼は真っ直ぐに育つことが出来た。

 自分は自分のままでいいと、朱鷺子が言ってくれたから。もう守られるだけでは、嫌だと、そして、彼女の言うように、強くあろうとしたからだ。

 

 と、そんな事を考えながら、曲がり角に差し掛かった、その時、

「・・・・あ」

「・・・・お」

 柱の向こうから、今しがた頭に浮かべていた人物がやって来た。上から下まで黒一色。目元ギリギリまで伸ばされた艶やかな黒髪と、黒フレームのアンダーリムのメガネ。そしてその奥でちらりと見える、長い睫毛と黒目がちな瞳。こうやって顔をまじまじと見るのなんて何年ぶりだろうか。

 一瞬、その表情に見とれて言葉が出なくなる。だが、このチャンスを逃すわけには行かない。今日こそは、彼女から挨拶でもなんでも引き出して見せようと、口を開いて、

「・・・よ、よう、朱鷺子!お前今かえ――」

「・・・・・・」

 彼の最後の言葉を待つことなく、朱鷺子はその脇を通り過ぎる。まるで、彼と出会ったこと自体を否定するかのように。

「っ・・・・!」

「・・・あー・・・」

 流石に、今しがた行われた完全無欠のスルーに言葉を失う鋭二。そんな親友の様子に、啓介は哀しげな視線を向ける。

「・・・そういや、あの事件があったのも・・・あの時だったか」

「・・・ああ」

 あの事件。それは彼にとっても朱鷺子にとっても、忘れられるはずの無い出来事。鋭二に強くなるための決意をさせ、朱鷺子をあんな風にしてしまった、忌まわしすぎる事件。

「・・・だけど、いつまでもこのままじゃいられない、だろ?」

「・・啓介」

 肩を力強く叩き、ニッと笑いながら啓介は鋭二の背中を押す。

「いい加減、しっかりとケリつけて来い!持ち前の馬鹿さ加減でよ!」

「・・・へっ、余計な世話だっての!」

 バンッと感謝の気持ちを込めて、悪友の背中をたたき返しながら、鋭二は朱鷺子の後を追いかけるべく走り出した。


 通り過ぎてからそう経過していないはずなのに、やたら距離を離されていた。朱鷺子があえて自分から遠ざかろうとしている事が伝わってきて、胸が苦しくなる。だが、それでも鋭二は彼女に追いついて、その背に声をかけた。

「おおい!朱鷺子!!ちょっと待てって!!」

 その言葉に、ようやく彼女の早歩きが止まる。だが、こちらを振り向くことすらない。

 今はそれでもいいと思う。少なくとも話を聞いてくれるだけで構わない。

「・・・なぁ、朱鷺子。その・・・俺馬鹿だからよ。何でお前が俺の事無視すんのか、分かんねえんだ」

 慎重に言葉を選ぼうとも思ったが、止めにした。今を逃せば次にいつ話しかけられるか分からない。今は、小学校三年生からずっと抱えた疑問をぶつけるだけだ。

「だから・・・教えてくれないか?・・・どうして、俺を無視するんだ・・?もしかして・・・・『あの時』の事に関係があるのか?」

 その言葉に、びくんと朱鷺子の小さな体が、一瞬だけ震えた。

 あの時。それはここ十年間決して口にしなかった、とある事件。禁句も禁句、彼女にとっては思い出したくも無い、最低最悪の出来事。

 あの時の戦慄は、昨日のように思い出せる。


 十年前のクリスマス。風間朱鷺子の両親は強盗の凶刃に倒れた。父の名は風間 哲也。母は風間 恵美。二人は鋭二の父と職場を同じにする研究者だった。その為、鋭二にとってもとても身近な人だったと言える。

 二人が亡くなったと聞いたとき、頭から真っ逆さまに落ちていくような感覚を味わったのを覚えている。だが、最悪なのはそれだけではなかった。

 彼らの一人娘である風間 朱鷺子。彼女は両親が殺される瞬間を、目の前で見てしまったのだ。

 二人の死体は、鋭い刃物で滅多刺しにされていたという。私怨の線にしたって、異常と言えるような、凄惨な犯行現場だったと後になって聞いた気がする。

 目の前で両親が、見ず知らずの存在に残酷に殺されている。それはどれほどの衝撃だったのだろうか。どれほどの絶望だったのだろうか。鋭二ですら哀しみの底に叩き落とされたのだ。実の娘である彼女は一体どれほどの絶望と恐怖を味わったのか。

 唯一の目撃者にして生存者である朱鷺子が警察に保護され、連れていかれるとき一瞬だけ目が合った事がある。そこには、彼の知っている光はどこにもなくて、ただただ濁りきって焦点の合わない瞳があった。

 何も、声をかけられなかった。その圧倒的な絶望の前に、自分がどれだけ無力化が一瞬で理解できてしまった。今の自分では、彼女の支えになることなどできないと。

 その瞬間から、彼は決意した。今の弱い自分では、彼女に何もしてやれない。ならば強くなろうと。壊れてしまった彼女の隣で、彼女を守れる存在になろうと。

 同年代の苛めっ子からいつも庇ってくれていた彼女を、今度は自分が守るのだと。その為だけに生きて見せると――


 その決意通り、鋭二は強くなった。少なくとも、あの頃の何もできない弱虫では無くなった。今ならば、きっと朱鷺子を支えられる。彼女を守ることが出来る。

あれから朱鷺子はこの都市を離れていたが、高校になって戻ってくるという話を父から聞いて、必死に勉強をしたものだ。そしてついに、同じこの空言高校に入学することが出来たとき、今度こそ彼女の力になれると確信したのだ。

 だが、去年一年間、彼女は一言たりとも鋭二と言葉を交わさなかった。どころか、極力彼と会うこと自体を避けているようだった。

 初めて声をかけたときの事を覚えている。ほんの少しだけ驚いたような表情を見せ、そして、すぐに目を伏せて踵を返してしまった。その時の衝撃は忘れられない。

 それから一年。関係は何も変わっていない。彼女が自分の知らない傷を負っているのかも知れないと思い、今までは無理に距離を詰めようとはしなかった。だが、もう我慢することは出来ない。

「・・・今更何言ってんだって思うかもしれないけど、俺、お前の力になりたいんだ!そりゃ、あの頃の俺は頼りなかっただろうけど・・・でも、今なら・・!」

 細かい事は何も考えない。ただ、頭に浮かんだ自分の本心をそのままぶつける。距離感すらわからなくなった今でも、この気持ちだけは変わってはいないから。

 そして、

 その鋭二の渾身の叫びを遮るようにして、朱鷺子が口を開いた。

「・・・私があなたに言えるのは、一つだけ」

「え・・・・」

 数年ぶりに聞いた、彼女の声。それでも分かる。

 これは、拒絶の声だ。


「私に関わらないで。それが貴方のためだから」


 たったそれだけを言うと、朱鷺子はそのまま歩き出す。いつも通り、まるで鋭二との会話などありもしなかったかのように。

「・・・・なんっだよ・・・それ・・・・」

 その背中がどうしても遠く見えて、鋭二はそのまま立ち尽くすしかなかった。


「ただいま・・・・」

 この上なく覇気の失せた声を上げて、鋭二は生家の玄関に帰還した。あの後朱鷺子が去ってから、まるまる五分ほどは固まっていた。正直言って滅茶苦茶堪えている。未だに、彼女の冷たい声が、耳の奥に突き刺さっているようで。

「お、帰ったか鋭二!!」

 その声を受けて、奥の居間から一人の男性が顔を覗かせる。齢は40後半といったところか。短く切りそろえられた髪はまだ若々しく黒く染まり、精悍な表情には、気力が満ちているような印象を受ける。

 万木 鋭二の父、万木 龍太郎は、何だかぐったりして玄関口に倒れ込んでいる息子の上に立って溌剌と笑って見せる。

「何だ何だ?この世の終わりみたいな面しやがって!あれか!好きな子に振られたか?はははははっ!!」

 いつもはここで軽口の一つでも返すところだが、流石に今日はそういう気分にはなれない。そんな鋭二の様子を見て、龍太郎も少しだけ表情を引き締めた。

「・・・何だ、ちょっと深刻な感じか?」

「・・・朱鷺子の事で、ちょっとな・・・・」

 自分の弱い所をさらけ出せるのは、幼い頃から良く知っている、啓介とこの父親くらいだ。

「・・・朱鷺子ちゃん・・・か」

 龍太郎は、朱鷺子の両親の同僚だった。十年前のあの事件の事は、鋭二以上にショックだっただろう。そして、残された朱鷺子の事も気にかけている。

「まだ、朱鷺子ちゃんは・・・お前と口聞いてくれんのか?」

「・・・今日、思い切って話聞いてくれって言ってみたよ。そしたら・・・・」

 先ほどの出来事をぽつりぽつりと語り始める。情けない話だが、改めて口にしている内にみるみる気力が削がれていくのが分かる。彼にとっては十年をかけた努力を突っぱねられたようなものなのだから、受けたダメージは大きい。

「・・・そうか、朱鷺子ちゃんがそんな事をな・・・」

 話を聞き終わり、父親も神妙な表情を浮かべる。だが、すぐに持ち前の明るい笑みを取り戻すと、座り込む鋭二の肩をバンっと強く叩いた。

「まぁ気に病むなよ青少年!そこで察してやるのも男の役割よ!」

「・・・・分かっちゃ、いるけどよ」

 頭ではその言葉通りだと分かっている。一番心に深い傷を負っているのは朱鷺子の方だ。あの頃の事を思い出す要因を見るのも嫌だと言われてもおかしくはない。

「なら、そのまま飲み込んで見せろ。今はその時じゃないってだけだ」

 そう笑いながら告げると、また少し龍太郎は真剣な顔を浮かべ、真っ直ぐ視線を息子へと

向けて続けた。

「断言してやる。鋭二、朱鷺子ちゃんの力になってやれるのは・・・間違いなく世界でお前

ただ一人だ。俺にも、啓介君にも出来はしない・・・お前だけが、あの子の支えになって

やれるんだ。だから、その時までにお前はもっともっと強くなれ。あの子に助けを求められ

たとき、すぐさま駆けつけられるようにな」

 普通に考えれば、一体どこにそんな根拠はどこにもない。先の拒絶を想えば、朱鷺子が

自分に助けを求める事など、この先永劫にありはしないように思える。

 だが、不思議な自信に満ちたその言葉は、沈みきっていた鋭二の想いに火を点ける。

「・・・ああ、そうだな!俺は、俺にできる事をやらねえとな・・・!」

 強く見開かれた目に闘志を取り戻し、黒髪を揺らして立ち上がる。

「それじゃあ早速、頼むぜ親父!」

「おう、その調子だ我が息子!」


 張りつめた空気の中、対峙するは私服姿のままの鋭二と龍太郎。場所は、家に併設され

た龍太郎所有のトレーニングルーム。距離は2メートルほどか。互いに構えを取らず、一挙一動を見逃すまいと睨み合う。

「・・・・ふっ!!!」

 仕掛けたのは鋭二からだった。鋭く呼気を吐き出し、低い姿勢で前へ跳躍。一足で彼我

の距離を詰める。拳の射程に入った瞬間、放つは水月狙いの右ストレート。

 突き出した右腕には、敵意どころか殺意すら感じられるようだった。相手が父親だとい

う認識は、今の鋭二にはありはしない。ただ、立ち塞がる敵を屠るための一撃。

「はっ!!」

 疾風の如き攻めに対し、龍太郎が電撃の如く応じる。瞬時に身を捻り、左前腕で突きを

はじき落とす。同時に深く引いた右腕に腰の捻りを乗せて、カウンターの一閃。

「・・・!!」

 だがそこまでは攻め手の読み通り。初撃を弾かれた瞬間に、さらに深く、強引に懐へ加

速。この至近距離、拳のリーチではない。振りかぶるは左肘、狙うは人体急所の一つ、こ

めかみ。

 ガキィッ!!と激しく肉体がぶつかりあう鈍い音。振りぬかれた痛撃はしかし、咄嗟に

上げられた龍太郎の右腕に阻まれていた。

 が、鋭二の攻め手は尽きていない。

(開いたっ!!!)

 右腕を上げたことによって空いた脇腹。そこに肘と共に放っていた左膝が、深々と叩き

込まれる。

「ぐっ・・・!!」

 ガードの死角から放たれた二撃目をまともに受け、龍太郎の姿勢が大きく揺らぐ。鍛え

抜かれた肉体でも、意図せぬ一撃が通らぬ道理はない。

「隙、ありっ!!!」

 今が好機と、一気に勝負を決めるべく、跳躍。大きく振りかぶられた右脚に意識を集

中。遠心力を乗せ、大鎌のように振るわれた鋭二のフィニッシュブローが、真っ直ぐ龍太

郎の頸椎へと殺到する。

 が、

「・・・焦ったな、鋭二!!」

 怯んだ様子から一転、素早く顔を上げる父。必殺の一撃が読まれていたことを悟る瞬間

には、伸ばしきった足をがしりと掴まれる間隔。

 そして、世界が加速する。

「っ・・・!!!」

 背負い投げの要領で、足を掴まれたまま一気に振り投げられたのだ。上下の間隔が無く

なり、風切り音が耳を叩く。

 直後、ズドンッ!!!と、軟性のマットが敷き詰められた床に、轟音と共に叩きつけら

れた。

「ぐっ・・・・!!!」

 だが、そこはただでやられる鋭二ではない、ギリギリのタイミングで受け身を取り、何

とか致命的なダメージが入ることを防ぐ。しかし、完全に一本取られ、その上脚を掴まれ

たままのこの状況、勝敗は火を見るより明らかだろう。

「・・・・参った」

 悔しさを滲ませながらそう告げると、二人の間の緊張の糸がふつりと切れた。

「だぁぁぁ~・・・くっそおまだ勝てねえのかよ」

 ぐだっとその場に大の字になって悔しがる。今のは正直良い線いっていたと内心感じて

いたのだが、まだまだこの父親を出し抜くのは早いらしい。

「いやいや、お前も強くなったもんだ。あの膝は正直堪えたぞ」

 対する龍太郎もまた破顔しながらその場にへたり込む。流石に渾身の一撃を受けたダメージはゼロでは無いのか、額には大粒の汗を滲ませていた。

「最初の方に比べりゃ、見違えたぞ。攻撃の重さも、反撃の対応も、随分良くなった」

「10年やってりゃ、そりゃあ多少はな・・・それでもまだ親父にゃ遠いか・・・」

 そう。10年だ。10年この本気の殺し合い染みた戦いを、彼らは繰り返してきた。啓介

には稽古を付けてもらうなんて言っていたが、これはそんな大層なものではない。路地裏

でのストリートファイトばりの、ルール無用のどつき合いだ。

 鋭二にとって強くなる、とは武道を学ぶことではない。どれだけ空手や柔道を極めよう

が、唐突に訪れる理不尽・・・つまるところ、朱鷺子の両親のケースのような場合に対抗

できるとは限らない。何時如何なる時、場所でも戦い、己の身と大切な人を守ることが出

来る事。それこそが、鋭二の求める強さ。

「まぁ今日はこんなところだろう。流石に俺も歳だな・・・昔はあと二本は付き合ってやれたんだが」

「よく言うぜ・・・ま、ありがとよ親父。仕事で疲れてるってのに」

 そう言って立ち上がると、鋭二はトレーニングルームを後にしようとする。その背中

に、どこか悲し気な父の声がかけられた。

「・・・すまないな、鋭二。こんなこと、異常だと言われるのは分かっている。だが、お

前には強くなってもらわなくちゃならん。どうしても・・・」

 真剣勝負の域を逸脱した、殺し合いのような訓練。傍から見れば、明らかに異常だ。そ

れは龍太郎も鋭二も分かっている。普段は互いに触れないようにしているが、たまに熱が

引いたようにそれを思い出す事があるのも事実だ。

 これを始めた当初は、それこそ酷い有様だった。当初小学生だった鋭二にとって、大人

の父親の拳は、手加減していたと言っても凄まじき痛みを味あわされたものだ。

 だが、それは彼自身が望んだことに他ならない。だから、鋭二は笑って返す。

「何言ってんだよ、親父。これは俺が頼んだ事じゃねえか。謝るのは俺の方だよ・・・息

子を殴るなんて、いい気持ちしないよな」

 少しきまり悪そうに、頭をかきながらそう答える。この問答も、もう何度目だろう。

「だけど、まだ足りねえ・・・もっともっと強くなる。だから、これからも頼むぜ」

 そう言い残すと、今度こそトレーニングルームを出ていく。その背中を、父の寂し気な

視線が追っていた。

 

 私服姿から、上下をジャージに着替えて、鋭二は夜の街を駆けていく。父との手合わせ

が無くとも、夜のランニングは日課の一つだ。昼間の具合を鑑みるに、今日からは20km

ほど走り込んでみる事にする。何をするにも体力は基本だ。

 この走り込みにもすっかり慣れた物だと、脚を前に進ませながら思う。龍太郎があんな

ことを言ったからか、妙に昔の事が思い起こされる。

 最初の方は、このランニングもきつくて仕方が無かった。体力がまだ未熟な頃は5km

も走らないうちに足が棒のようになり、倒れ込んでしまう程だった。だが、その度に脳裏

に蘇るのは、朱鷺子の絶望しきったあの表情。あんなに明るくて、強かった彼女を、あん

な風にしてしまった者達を、許すことが出来ない。今度は自分が守るのだ。心の底から湧

き上がるその衝動が、いつだって動かない身体を起動させた。

 その思いは今もなおこの胸に燃えている。だから、諦めない。どれだけ彼女が自分を拒

絶しようと、立ち止まるわけには行かない。いつか彼女がまた笑う事が出来るようになる

日の為に、準備を怠らない事。それが今自分に出来る事なのだ。

 と、自分の中の決意を改めて認識したところで、視界がふと明るくなる。見れば、夜の

街に燦然と輝くネオンや液晶の明かりが目に入った。走り込んでいる内に、空言駅まで来

てしまったようだ。

 駅まで来たとなれば、目標の20kmまではあと少しであろう、と思ったころで、頭上の

液晶画面に目が移った。

『さぁ、今夜の特集は、今空前の大ブームとなっている都市伝説特集です!』

 そんなテロップが張られて、おどろおどろしいBGMが流れ始める。

「また都市伝説か・・・・」

 昼間の話を思い出して、げんなりした気分になる。どうにもこういう類の話は楽しめな

い。

画面では女性アナウンサーと、どこぞの大学の民俗学やらなにやらの教授が話している。

『・・・では、元よりこの地方では、昔から伝承の類が多いということですか?』

『ええ、そうです。空言市を中心とした一帯では、不思議な事に他の地域よりもはるかに

多くの伝承が残っているのです。お化けや妖怪といった、ポピュラーな怪談に始まり、亡

くなった人が生き返ったなどの、ある種の奇跡などの逸話も見られますね。基本的にこういった伝承は寓話として語り継がれる場合が多いのですが、この地域の場合は、どちら

かと言えば、体験談として・・・つまり一種の都市伝説としての側面が強いことが・・』

「・・・どんなジャンルにも、熱心な人がいるんだなぁ」

 わざわざ専門家まで呼んで特集を組むという事は、本格的に流行しているのだろう。テ

レビや携帯をうまく活用しているとは言えない鋭二が知らなかっただけで、思った以上に

この街にとって都市伝説と言うのは身近なものになっているらしい。

 人は流行に流されやすい生き物だ。特に、マスメディアの影響は強い。何だかんだ言っ

て、公式の電波に乗った情報は、人々を駆り立てるものだ。

 ふと、啓介の言っていたことを思い出す。

(・・・空言駅・・・・『指刃の通り魔』だっけ?)

 馬鹿らしい作り話だとは分かっていても、実際にそれを連想させるような事件が起きて

いる、となればいい気分ではいられない。朱鷺子の両親の件から、鋭二は強盗や通り魔な

ど、理不尽極まる事件を嫌悪している。

 無意識の内に、視線は夜の駅前の人だかりに向けられていた。この中に、もしかすると

件の通り魔が潜んでいるかもしれない。そう考えると、かっと頭が熱を持つのが分かる。人を不条理に殺しておいて、自分はのうのうと生きている事など、我慢ならない。

 と、そこで、

「・・めて・・・やめてください・・・!!誰かっ・・・!」

 女性の悲鳴が、前方の横道から聞こえたような気がした。

「・・・!!!」

 居てもたってもいられないとはこの事か、すぐさまその路地に飛び込む。後先など考え

ていない。ただ、その声は確かに誰かに助けを求める物だった。ならば、動かない理由な

どありはしない。

 そして、その直後に目に入ったものは・・・・

「おいおい姉ちゃん・・・連れないなあ。ちょっとばかし遊ぼうってだけじゃん?」

「そうそう、別にやらしいことしようってんじゃないんだしさぁ?」

「やめて・・・離してくださいっ・・・!」

 二人の明らかに軽薄そうなチーマーといった印象の男と、壁際に押し付けられた一人の

女学生の姿だった。

「・・・・はぁ・・・何だ、質の悪いナンパかよ」

 どこか安心したような、呆れたような口調でそう呟くと、ギロッとヤンキー二人がこち

らを見やる。少なくとも、どう見ても件の殺人者には見えない。

「あぁ・・・・?てめー、何だぁ?」

「んだコラガキィ・・・・何か俺たちの用でもあんのかよコラ」

 一昔どころか二昔くらい前のセリフで脅しをかけてくる。逆に貴重な光景かもしれな

い。

「あー・・・別に、用ってわけじゃ無いんだけど」

 とはいえこれは『好都合』だ。温まった身体を慣らすには丁度いい。

「あんたら、今すんげえ『ダサい』ぜ?やめといたら?」

 こういう手合いを激昂させる言葉は良く知っている。狙い通り、すぐさまチンピラ二人

は殺気立つと、女子生徒を突き放ししてこちらに向かってきた。

「あぁ!?ナメた口叩いてってと締めんぞゴラァ!!」

「てんめぇ・・・そんなに死にてえのか!?あぁ!?」

 あふれ出る恫喝と暴言。だがそんなもの、鋭二には響かない。本当の痛みと恐怖を知っ

ている彼にとってはそよ風に過ぎない。

「・・・・文句があるなら、黙らせたらどうだ?目の前の生意気なガキとやらをさ」

 それがゴングだった。二人の男が同時に拳を振り上げて、こちらに飛びかかってくる。

「・・・いやあ、悪いね。付き合ってもらっちゃってさ」

 ニッと父親譲りの笑い方で、鋭二はすぐさま迎え撃った。

 

 二秒後。チンピラ二人は干からびたカエルの如く路地に這い蹲っていた。

「・・・・まぁ、こんなもんか」

 正直言って物足りないが、この辺のチンピラなんて所詮はこの程度だろう。これくらい

ならば、7人までなら余裕で相手にできるなと思いつつ、女子生徒に声をかける。

「よう、君、災難だったな」

「あ・・・・あの・・・・えと・・・・」

 今しがたの光景を、まだ認識しきれていないのか、少女は困惑しているようだ。よくよ

く見れば、彼女の制服は鋭二と同じ空言高校のものらしい。

「ん、何だ。俺と同じ高校か。こんな時間まで出歩いてちゃ、危ないぜ」

「は・・・はぁ・・・・じゃなくて、あ、ありがとうございます!」

 呑気ともいえる鋭二の言葉に、我を取り戻したのか、がばっと頭を下げてくる。

「いや、いいよ。まぁ趣味と実益を兼ねてるみたいなもんだし・・・あ、警察は勘弁な?

過剰防衛でしょっぴかれちまうかも知れないし・・・・」

こういう輩とやり合うのは別に初めての事ではない。本気の敵意を持った人間と、コン

クリートの上で殴り合うというのは、いい経験値になる。ただ、その場合後処理を間違えると警察に捕まる可能性が出てくるのあんまりやらない。下手をすれば、こちらが通り魔認定だ。

「は・・・・はあ・・・」

「っと、それじゃ、気を付けて帰れよ?じゃあな!」

「あっ・・・あのっ・・・!!」

 あまり長居をすると、他の目撃者が出てくるかもしれない。という訳で、さっさと退散

する事にする。このまま表通りに抜けるのは何となく気が引けたので、そのまま裏路地を駆

け抜けていくことにした。

(・・・悪いことしちまったかな。ちょっとイラついていたし・・・・)

 半分くらい八つ当たりみたいな事をした自覚はあるらしく、ちょっとばかし反省する。だが、ああいう場面で何もしないのは、彼の流儀に反する。

「・・・今日はさっさと帰るか」

 まだ目標の距離には達していないが、これ以上厄介ごとに関わらないうちに退散しよ

う。そう決めて、少しばかり足の速度を速めた、

 その時、

「・・・・え?」

 路地の先に繋がるT字路。そこに信じられない物を見た。

 夜の薄暗闇に溶けるような、長い黒髪。さっきも見たばかりの空言高校の制服。スカー

トから覗く、すらりとした脚を包む黒いハイソックスに、黒のローファー。上から下ま

で黒づくめの、今にも消えてしまいそうな儚さを感じさせる少女。

 この距離だろうと、暗がりだろうと、見間違えようがない。

 風間 朱鷺子が、その路地を横切って行った。

「朱鷺・・・子・・・!?」

 衝撃のあまり、脚を止める。一体なぜ朱鷺子がこんな時間に、こんな場所に?漠然とし

ていながらも、妙に確信染みた、嫌な予感が募っていく。このままでは、取り返しのつか

ないことになってしまうような、そんな強迫観念。

 たっぷり十秒、鋭二はその場に固まっていた。そして、突然我に返ると、息を吐く暇も

無く全速力で走り出す。

(訳が分からねえ・・・・だけど!!ここで突っ立ってる場合じゃねえ!!!)

 確証などありはしない。だが、間違いなくここで彼女を追いかけなければ後悔する。そ

の心の声に従って、鋭二は走る。今は朱鷺子の拒絶も何もかも、頭から抜け落ちていた。ただ、一刻も早く彼女の元へ。それだけだ。


 風間 朱鷺子はビルの合間から覗く、ネオンに照らされた薄暗い空を眺めていた。駅前

の喧騒もここまでは入り込まず、まるで廃墟のようにコンクリートの小路は静まり返って

いた。

 静かに息を吸い、そして吐く。腕が微かに震えているのが自覚できる。それを左手でぐ

っと抑えながら、胸元に仕込んだマイクに向けて口を開く。

『・・・所定の位置につきました』

『ええ、確認している・・・・心拍数が上昇しているわ。大丈夫・・・・な訳無いわよ

ね』

 それに対して、右耳に取り付けたワイヤレスタイプのイヤホンから女性の声が返ってく

る。

『いえ、やれます。その為に・・・・ここに帰って来たのですから』

 己の身を案ずるその言葉に、自らに言い聞かせるような呟きで返した。同時にメガネを

外し、太ももの辺りに感じる重みを確かめた。

 そうだ。この時の為に、自分はこの街に帰って来た。

 失ったものを取り戻す事は出来ない。だが、これから失われるものを守ることは出来

る。目を閉じて、逸る心を静める。思い返されるのは、あの日あの場所、あの惨劇。

「・・・もう、何も奪わせない・・・!」

 確かな熱を込めた言葉で、自分の覚悟を吐き出した、

 その時、

 ゾっ・・・・と、

 周囲の空気が確かに『変質』した。

「・・・・っ・・・・!!来た・・・!」

『間違いない・・・後方三十メートル地点に、反応あ・・・・来る・・・つけて・・・!』

「!?先生・・・!?」

 後半の言葉はノイズにかき消されて聞こえない。常識の通じない、『異界』に浸食され

たこの場所に、物理法則は適用されないのだ。

 しん、と振り落ちて来た沈黙が場を支配する。一瞬にして空気が重くなったような錯覚

が朱鷺子を襲う。

 だが、決して慌てない。この程度の障害が発生する事は分かっていたはずだ。

「・・・ふうっ・・・・」

 明らかな異変を感じ取った背筋が凍る。自然と腕が、脚が震えだす。この感触は、間違

いない。あの夜に自分が遭遇したものと、同じモノだと。

 ゆっくりと、振り返る。そこに有るモノを見極めるために。

 初めに見えたのは、ひょろりとした輪郭だけだった。まるで陽炎のように揺らめき、焦

点が合わないそれは、ゆらりとこちらに近寄ってくる。

 そして、そのうちテレビの砂嵐のような、不自然な『揺らぎ』を伴いながら、そいつは現れた。

「・・・・・・・・」

 背の高い人物だった。全身は薄汚れてボロボロになったコートが覆っている。全身のシ

ルエットに対して、両腕が以上に長い。だらりと垂らしたたそれらは膝したにまで伸びて

いる。

目深にかぶったつば広帽で表情は隠れているが、その口元が異様に広がり、愉悦の笑み

を浮かべているのだけは理解できた。

一歩、脚を踏み出すたびにジャリジャリと重々しく金属音が鳴り響き、その足跡からは黒い煙のようなものが立ち上っていた。

 何より、その存在の異常さを際立たせているのは、その身に走る『ノイズ』だ。目の錯

覚か、時折その巨体が『ぶれる』のだ。

「・・・・クヒッ・・・・・」

 喜悦に歪んだ唇が、開かれ、ぎらついた歯が露わになる。漏れた嘲笑は、これから起こ

る惨劇を待ちかねているといった様子だ。

「・・・・カカカッ、今宵も小娘が一人・・・迷い込む・・・この闇の底に・・・」

 その言葉が、無数のムカデのように耳を這い回る。気が遠くなりそうな怖気が走り抜け

るも、唇を鬱血するほど噛み締めて、何とか気を保つ朱鷺子。

 気が付けば、彼我の差は2メートルほどまで縮まっていた。鉄の匂いが鼻を突く。疑問

に思うまでも無い、これは血の匂いだ。

「・・・・あんたが、『指刃の通り魔』とやら?」

「カカッ・・・『噂』を知って来た類か・・・?嬉しいねぇ・・・俺もそれくらい

には知られるようになったって訳だ」

 言葉と共に、大きく舌なめずり。巨大なナメクジのようなそれが、僅かな光を照り返

す。

「それで・・・?お嬢さんはわざわざ、この俺を一目見るためにやってきてくれたって訳かい?カカカカッ・・・良いねぇそういう姿勢・・・次の『噂』に丁度いい」

「・・・悪いけど、私はあんたの餌になりに来たんじゃない」 

 冷え切った心に、自らの言葉を突き刺して前を向く。震えは止まっていない。だが、今

は恐怖よりも、この身を焦がす憎悪と怒りが勝っている。

 動くなら、今しかない。

「私はあんたを・・・・消しに来た!!」

 瞬間、棒立ちの姿勢から一転、素早く背を屈め、紺のロングスカートを翻す。すらりと

した脚が外気にさらされ、その根元に備え付けられた小型の金属が煌めいた。

「っ・・・・!!!」

 身体に覚え込ませた動きを、正確に実行。両腕が闇を駆け、次の瞬間には、『それ』を

手中に収め、真っ直ぐに狙いを付けている。

 暗闇の中で冷たい輝きを放つそれの名はデリンジャー。女性の護身用に用いられた、小

型の拳銃だ。

 躊躇いは無かった。一瞬でも動きを止めれば死ぬと理解していたからだ。非日常の異物

を手にしながらも、彼女は間髪入れずに引き金を引く。

 タンッ!!と乾いた小音が、路地裏の闇に響く。火薬を使用していない、改造モデルガ

ンとはいえ、その初速は人の目で捉えられる物ではない。

 はずだったのだが、

「ハッハァ!!」

 狂喜の叫びを上げて、影がざわめき、『何かした』。その程度しか、朱鷺子の目には認識

できなかった。ただ、確実なのは、ヂンッ!!と火花を散らして、放たれた弾丸が弾かれ

たという事だけ。

「くっ・・・!!」

 瞬間的に打つのは逃げの一手。だが、目の前の異形に対して、その判断を下すまでのタ

イムラグは欠伸が出るほど鈍い。

「おおっとぉ!ダメダメダメさぁ、逃げるなんてねぇ!」

 嘲笑と共に、その長すぎる右腕が駆動。非生物的な稼働によって、瞬く間に朱鷺子の右

腕と首を捕え、壁に叩きつけた。

「がっ・・・!!!」

 衝撃で、肺の中の空気がまとめて叩き出され、息が止まる。カランとその手から二丁の

小型拳銃が滑り落ち、路地へと転がった。

「ハハハッ・・・驚いたよお嬢ちゃん・・・まさかそんな物騒なモン持ってくるなんてね

ぇ・・・しかも『ただの弾丸じゃない』」

 朱鷺子の首を掴むのは、普通の指ではない。それらは一様にくすんだ錆び色に濁り、異

様なまでの鋭利さを誇っている。ずらりと並んだそれは、三日月形の刃の群れ。

『指刃の通り魔』。その名の如く、男の手は五本の刃物にのよって構成されていた。

 そのうちの一本が、ザザザザッとノイズを放って激しくぶれる。恐らくは、朱鷺子の弾

丸を弾いた一本であろう。

「げほっ・・・ごほっ・・・!!そう・・・効いてるじゃない・・・それが分かっただけ

でも、収穫あり・・ね」

 文字通り、首筋に刃を突き付けられた状態ながらも、朱鷺子は口元を歪ませる。

「カカカッ・・・・末恐ろしいお嬢さんだ。気丈で、可愛くて、声もきれいだ・・・さぞ

いい声で鳴いてくれるんだろうなぁ」

 怖気の走る言葉に恍惚の色が混じる。だが、それも一瞬の事、次の瞬間には、身体の髄

まで凍えそうな、冷たい声で二の句を継ぐ。

「だが、その前に聞くべきことが多そうだ・・・」

 朱鷺子を掴む指に、僅かに力が籠められる。つぅ・・・と、刃のめり込んだ柔肌から、一条の鮮血がしたたり落ちた。

「くっ・・・・・」

「できれば、壊れる前に吐いてくれると嬉しい・・・俺はあんまり気が長い方じゃなくて

ねぇ・・・今だって、君のどこを切り落とせば最高に興奮するかばっかり考えてるんだ」

 つば広帽の下から、隠れていた瞳が覗く。そこに有ったのは、白目と黒目が逆転した、

黒く血走った異形の双眸。

「さぁて、じゃあまず一つ目の質問だ・・・・・」

 そして、その瞳を実に楽しそうに細めながら、『指刃の通り魔』は言葉を発しようとし

て、

 

「おい」

「・・・あ?」

 

 唐突に、背後から声をかけられた。

「なんだぃ・・・?今いいところ・・・・」

 一体どこの馬鹿がこんな場所にやってきたのかと、苛立ちを隠そうともせずに振り返

り、

 メキッ・・・・・・と。

 渾身の上段回し蹴りが、その顔面にめり込んだ。


「何さらしてくれてんだこの糞野郎がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 全力の怒号と共に、叩きつけた脚を振り抜いた。この上ないクリーンヒットを顔面に叩

き込まれ、怪人は振り子のように頭から吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。

「かはっ・・・・え・・・?」

 突然の急展開に、頭がついていかない。一体今自分の死角で何が起きていたのか。

 その答えは、すぐ目の前に立っていた。

「・・・・・・」

 長すぎない程度にまとめられた黒い髪の毛。そして、威嚇するように細められた瞳に秘

めた怒りの炎。学校指定のジャージに包まれた、年相応の少年の力強さ。どれもこれも彼

女の良く知っている人物の物だった。

「・・・・!?鋭二君・・・・!?」

「・・・よう、朱鷺子。やっと名前で呼んでくれたな?」

 名を呼ばれた万木 鋭二は、少し驚いたような表情を見せると、嬉しそうに笑った。


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