34 これだから、人間は。
3話目。
三人称視点スタート。
この町の、一番立派な建物。その屋敷に、深夜だというのに、ニヤニヤと醜い笑みを浮かべながら、ワインを飲んでいる一人の肥え太った貴族がいた。
「くく、あともう少し。あともう少しで、最強の魔物ができる。
見ていろ、皇帝め。私は、弱くなどないという事を、証明してやる。」
そんな独り言をブツブツと呟く貴族。
その貴族に、声をかける者がいた。
「それ、結局の所は、魔物の強さだから、お前の強さじゃないだろう?」
「っ!?だ、誰だ!」
どこからともなく聞こえてきた不気味な声に、貴族は驚いて椅子からずり落ちると、声を張り上げた。
すると、貴族の声に応えるように、部屋の隅の暗がりから、真っ黒な人影がゆっくりと現れた。
「やあ。はじめまして、かな。まぁ、すぐにお別れするんだけども。」
「ぶひっ!?だ、誰だ、名乗れ!」
体中から数多の目を覗かせながらそう言う人影に、貴族はうわずった声をあげた。
すると、人影は、「ぶひ、って。本当に豚だな。」と言いながら、顎に手を当てる仕草をした。
「さて。お前に名乗るような名前なんて無いし、そもそも名前自体無いが……そうだね。なら、『影の死者』とでも名乗っておこうか。
ああ、お前の名前なんていらないよ。どうせ、忘れるし。」
「な、なんだと貴様!私を誰だと!」
「だから、」
影の死者がそう言った、その時。
激昂していた貴族は、影の死者の体中の目が光った、と思った瞬間、右足の感覚が無くなったのが分かった。
「名前なんて、いらない、って。言っているだろうに。」
「……は?
ひっ、ひいいい!!??」
右足はそこにあるのに、まったく感覚のない右足。貴族は、今まで味わった事もないその恐怖感に、悲鳴をあげた。
「あ、足が!右足が、動かない!?
貴様、何をした!」
「左足。」
「ぶひぃぃいい!」
貴族の言葉を無視した影の死者がそう言った途端、左足の感覚も無くなる貴族。
貴族は手だけ這うようにして影の死者から離れながら、悲鳴をあげた。
「や、やめろ!私は貴族だぞ!今すぐやめないと、処刑するぞ!」
「右腕。」
「ひぎゃあ!」
右腕の感覚が無くなり、遂に動けなくなった貴族は、ゆったりとした動作で近づいてくる影の死者に、動く左腕を影の死者に向けながら、引きつった笑みを浮かべた。
「そ、そうか!金か!金ならいくらでもやる!だから今すぐやめろ!」
「左腕。」
「ひぃぃぃいいいい!!!」
ぽとり、と太った腹に落ちる左腕。
訳の分からぬ恐怖に震える貴族に、影の死者が覗き込むような体勢で影を落とした。
「や、やめてくれぇ…だ、誰でもいい、誰か、私を助けろぉ!」
「胴体。」
「うぎゃあぁぁ!!」
遂に、感覚が首から上だけになった貴族。
そんな貴族に、影の死者が呟いた。
「いやぁ、凄いね。……皆、皆お前の死を望んでいる。
ああ、そうそう。助けは来ないと思った方がいいよ。
お前が金で雇った傭兵は、闇の魔術で昏睡させたから、もう一日は起きないだろうし、お前が弱みを握って取り込んだ人間どもは、その弱みも全部含めて解放したから。
だからね。もう、この屋敷には、お前しかいないんだよ。」
「な、なん、だと……。」
「ああ、そうそう。お前の身体だけど、霊脈を断ち切ったから、もう二度と動かないと思うよ。
でも、大丈夫。この優しい影の死者は、痛覚だけはきちんと残しておいてあげたよ。
それにね、ほら。」
影の死者がそう言うと、その真っ黒な身体から、幾つもの口が現れた。
『よくも、私の子を……!』
『死ね……この、人殺しめ!』
『私の妻を返せ!』
『お前が全てを奪った。そう、私の全てを!』
ありとあらゆる憎しみの言葉の刃が、貴族に向かって放たれる。
影の死者の口が、言葉を吐く度に、一緒に吐かれる血反吐が、貴族を蝕んでいった。
「これは、全てお前が殺した人間達の恨みだよ。凄いよね、これ。
お前の屋敷の闇に、これだけの憎しみがこびり付いていたんだよ?」
「あ…ああ……」
形を持って迫ってくる、憎悪と死の絶望に、言葉すら話せなくなった貴族がそう呟くと、影の死者は一度溜息を吐き……両手を広げ、わざとらしく叫んだ。
「さぁ、皆様!ようやく舞台が整いました!
今から行います演劇は、我が眷属、影鼠達の捕食ショーです!」
影の死者がそう言うと、体中にある口から、喜びの狂笑があがった。
『殺せ!』
『ゆっくりと嬲り殺しにしてやれ!』
『ははは!!やっとだ!やっと、私の復讐が叶うっ!』
その狂笑に応えるかのように、次々と影から現れる影鼠達。
『どこから食べようかな?』
『足の指から齧っていこうよ!』
『目玉はー?』
『それは最後のデザート!』
影鼠達が、楽しそうに、舌なめずりしながらそう言った。
いつの間にか、部屋は暗くなっており、その壁に染みつくようにして、様々な人影が貴族を睨んでいた。
影の死者が、腕を振り上げた。
「さあ!悲劇の舞台のショーの開演です!
醜い豚が、ゆっくりと捕食される様を、どうぞお楽しみください!」
その途端、人影の囃し立てる声と喜びの笑い声、貴族の悲鳴が同時にあがった。
影の死者は、もう一度溜息を吐き、ゆっくりと闇に消えながら、ぼそりと呟いた。
「これだから、人間は。」
その場に悲劇を残し、影の死者は闇の中へと消えていった。
暗い路地裏を、頼りない歩みで進む、影の死者。
そんな影の死者に、一匹の影鼠が寄り添った。
影の死者の足に、甘えるように頭を擦り付ける影鼠に、影の死者は苦笑した。
「お前は、いいのかい?」
『うん。ご主人様が褒めてくれたから、それでいいのー。
それにね…』
影鼠は、そう言いながら、くりんとした赤い瞳を影の死者へと向けた。
『なんだか、ご主人様、悲しそうだったから…』
その言葉に、影の死者は思わず身じろぎすると、力無く笑いながら、影鼠を拾い上げ、頭を撫でた。
「まったく……お前は、良い子だな。」
良い子と褒められ、『わーい!』と喜ぶ影鼠に、影の死者は微笑みながら、身体中の瞳を閉じた。




