人形遣いの幕間2
「参った参った。たいしたもんでちゅ……いや、この短時間でよく私の正体を見破り、捕まえまちたね。師匠譲りで大変、優秀でしゅねえ、けっこーでちゅね」
それは異様な光景だった。都心にある工事中のビル。鉄骨や基礎が剥き出しになったままのとある高層のフロアで男が一人、カラフルな色とりどりのテープに雁字搦めとなって囚われていた。
赤や青や黄色に金や銀色に輝く無数のテープがまるで蜘蛛の糸のように男の身体の要所要所に絡んでいて、それらは放射状に広がり、天井や壁、柱へとしっかりと繋がり、男を宙づりにしている。
男を結わえ上げているテープはそれぞれ蝶結びやリボン結びなどで可愛らしく象られているが、そのファンシーな見た目に反してかなり強烈に束縛してるらしく男の声はいかにも苦しげだった。
「ははは、折角、日本の鎮霊局の局長を手駒に収めたのにこのていたらくでしゅ」
ただ囚われの身であり、自虐的な言葉を吐き、表情は歪んでいながらその声音には底知れぬ虚無と傲然とした恐ろしさが潜んでいた。
それは、
「あなたにとっては垂れ下げた糸がほんの一本、切れた程度でしょう?」
この空間の暗がりの奥から投げかけられた若い女性の声と真逆の性質のモノだった。
女性の声は震えてこそいないが、硬く、強ばって明らかに緊張し切っている。完全に優位な立場で捕らえていながら、男の近くに現れることが出来ない。この時点で、精神的にどちらが上かは明白だった。
男は、
「ふふふう、くくくく」
不自由に拘禁された身体をよじって笑った。
「むろん他の手段は無数に用意していまちゅ。良いことを教えてあげまちょう。ホワイトを護る主席SPは一昨日、完全に傀儡と化しまちた。今日の式典でも常に大統領の傍らに立っていた彼でちゅよ。あとは彼がホルスターから拳銃を抜けば全て終わっていまちた」
男。
かつて鎮霊局の局長であった男を乗っ取っている不気味な異物はそれでも被り物(読み:局長)の口癖を真似し続けている。
「ついでに言うと日本の警察は数百人規模でいつでも稼働できるようになっていまちゅ。到着した大統領のリムジンを先導した現場の白バイも、その指示を本部から無線で下していた指揮官たるキャリアも、全部が全部、意のままに動かせまちゅ。また迎賓館のチーフコックや警備システムのオペレーターなどのスタッフもとっくに自家薬籠中でちゅ。言い換えればこれからいつでも大統領に毒を盛ったり、火災で焼き殺すことが可能だということでちゅ」
出来ぬことなどなにもない。
この男一人を確保したくらいで大統領暗殺を止めることなど絶対に出来ない。
そんな絶望的状況を相手に示唆し、愉悦に笑う。
圧倒的な強者として。
狂喜のままに。
目も眩むような力の差を男はゲラゲラと笑って誇示していた。
「ならば!」
ふいに暗がりの中から若い女性の声が鋭く矢のように放たれた。
「なぜ、たった今、すぐにでもデービスおじさまを……大統領を殺さないの?!」
それまで口元にあぶくを浮かべながらへらへら笑っていた男がふいにピタリと身動きを止めた。
きょろり、と目玉だけ動かし、暗がりを見据える。
「……それをおまえが口にしまちゅか?」
闇からは息をのむ沈黙。やがて男はふうっと息をついてまたニタニタとした余裕の笑みを取り戻した。
「まあ、特等席で見ているとよいでちゅ。おまえにはどのみちどうすることもできない。ところで」
男は脈絡なく無表情になった。
「今回、銃弾が止められた背景にはどうやらイニシエから蘇った魔導師、赤道斎の関与があるようでちゅね。私は事前調査して日本の霊能者ではこのくせ者魔導師と得体の知れない夕月丸吾郎のみ厄介だと思っていましたが、同時に二人とも本件に絡んでくる可能性は非常に低い、と判断していまちた」
冷たく問う。
「おまえがなにか赤道斎を唆しまちたか?」
しかし、暗がりからは沈黙。その沈黙を否定と受け取ったのだろう。
「やはりおまえではないようでちゅね。するとあのハレンチで下品なヘンタイ男が本当に赤道斎と繋がりを持っていたのか。分かりまちた……あんな小物に煩わされるのも癪ですが念のため、あいつも殺しておきまちょう」
男は独りごちる。暗がりから焦った気配が伝わってきた。
「ちょ、っと待って」
だが、男はもう彼女とはコミュニケーションを取ろうとはしていなかった。必要な情報さえ採取出来ればこの場に〝意志〟を留める必要などない。
男は目をつむり、ぐっと身体に力を込める。
するとみるみると男の全身が白く光り出した。寿命を終えた恒星が圧縮して粉々になろうとするかのような巨大なエネルギーを秘めた危険な輝きだった。暗がりの奥から女が咎めだてるように叫んだ。
「霊力を暴走させて自爆させるつもり!? 人の命をなんだと!」
そうはさせない、と小さく呟く声が聞こえた瞬間。
男を捕らえていたリボンがふいに硬質な灰色へと変化していった。それは天井や床、柱から始まり、まるで凍りついていくように堅く、冷たく、リボンをみるみると伝導していく。
やがてそれは男の身体にまで及び、足が、手が、着ている服ごと鍾乳石のような色合いに変じ、凝固を開始した。男はにたりと笑った。
「この男を死なせないように石化してやるとは……お優しいことでちゅね」
男はほんの数秒程度で石と化していったが、焦りも怯えもせず、ただただ哄笑を繰り返し続けた。
「FEARS司令代行代理」
声が何重にも響いた。
「ホワイト大統領を名付け親に持つ女」
それは呪いだった。
「そして……この世でたった一人、私に苦杯を飲ませた霊能者マスター・オブ・ハイアストの最後の弟子」
憎々しく固まりきりながら言う。男はあざ笑う顔で完全に石へと変じた。
〝全てが終わった後は、おまえだ〟
最後の言葉を言い切ることは出来なかったが、十二分にその悪意は伝わった。
やがて。
海の底よりも深い静寂の後、暗がりから一人の若い女が出てきた。小柄な身体。眩い金髪。
エプロンドレスでクッキーでも作っているのが似合いそうな愛らしい童顔だが、その身には黒と銀を基調とした軍服を纏っていた。そして身の丈に余るほどの漆黒のマント。全体に眩い銀色の星々が刺繍されている。
彼女は石化した鎮霊局の局長のそばまで近づき、完全に無害となっているか慎重に確かめる。
そして深い溜息をついた。
「これで数千本のうちの一本」
自分に言い聞かせるように頷く。日本の霊能者を公的に束ねる長だけあってかなり手強くなんとか捕縛したが、本丸まで辿り着くためにはまだ気が遠くなるほど先は長い。
「味方が必要ね、どうしても」
彼女はそう独りごち、ゆっくりと歩き出していた。パペトマスターの傀儡の糸は融通無碍で誰に及んでいるか分からない。むしろ実力者、名の知れた者、影響を行使し得る人物こそパペットマスターの魔手が伸びている可能性を考慮しなければならない。
現に日本鎮霊局の長が既に相手の手に落ちていた。
頭の中で今、この国で一番、信用に値する者のことを考えていた。
無名で。
そのヒカリと輝きをまだほとんどの者が知らない。
命を賭けて大統領を護った者のことを。
彼はある意味で世界中に証明してみせた。
犬神使い川平啓太はまだパペットマスターの軍門に降っていない。




