奥義の極意とは
うなじに手を当てると皮の擦りむけた感覚と手のひらに患部から染み出た汁が手について気持ちが悪い。そして、ヒリヒリと痛む。黒松の樹皮の表面は荒く、ウロコや亀甲状にヒビ割れたようになっているので、そんな根と根の間に転んだ勢いで頭から首を突っ込んで無事に済むはずがない。ブラウスの襟も汚れてしまったことだろう。その代わりと言っては何だが、お気に入りの帽子は転んだ拍子に飛んでいたので無事だった。
「うえっ、髪の毛にゴミみたいなのがいっぱい巻き付いてるぜ。」
髪をバサバサと振り、手櫛でゴミや葉っぱを払う。明日まで髪が洗えないのは厳しいが、仕方ない。それにしても酷い目にあった。
「魔法で根元を焼くくらいはできたんじゃないの?」
「八卦炉が無いから制御がきかないんだぜ。もし山火事でも起こしたら山中の天狗に追い回されちまうよ。何はともあれ助かったぜ。」
「魔理沙に恩を着せられるのは良かった………のかな?返って来る気がしないもの。」
「だから本当にいい加減、お前らは私を何だと思ってるんだっつーの。」
恩という形の無いものは、借りた物を返すよりも難しい。きっちり返さないと相手に対していつまでも頭が上がらなくなる。放っておいて恩知らずの謗りを受けるのも厄介なものだ。だいたい、すべらない話まで披露したんだ。助け賃は前払いで済んでるじゃないか。ここはサムズアップとともに強気でいこう!
「という訳で私は恩を着てないぜ♪」
「そういうところよ!居間の屋根直すの大変だったんだからね!」
「それはマジでスマソ………。」
自分がマスタースパークで吹っ飛ばしたらしい白玉楼の屋根というのは居間だったのか。しかし、直すの大変だったと言うことは、こいつ庭師だけじゃなくて大工にもなれるんじゃないか?刀をノコギリに持ち替えて、腹巻きとニッカボッカに地下足袋で『魂魄工務店』とか。
「お♪何となく語呂が良いぜ!」
「魔理沙、 鋸挽きっていう処刑方法知ってる?さっきみたいな状況でゆっくりノコギリで首をーーー。」
「わわわ、悪かったって!お前の万能さを表現したかっただけなんだぜ。それにしても柴刈り用の山刀で寸分狂わず松の根を一刀両断なんて並みの剣士にはできることじゃないぜ。本当に器用だよなー!」
「毎日修行は怠ってないわ。腕力だけじゃなくて、こう、圧し切る力と理学的にうまく力を抜いて断ち切るイメージが云々かんぬん………。」
そう語りながら、まんざらでもない風に目尻を下げる妖夢はけっこう単純でチョロい。でも、いろいろやれて能力が高いというのは確かだ。器用貧乏って言葉もあるが………。
「ん?何か言った?」
「いや、ご高説ありがたく拝聴させてもらってるとこ何なんだが、何で妖夢はここにいるんだ?」
「はあ?魔理沙が呼びつけたんじゃないの?」
(ん~?はて?さっぱり記憶に無いんだぜ)
「この前、居間の屋根に登って瓦を葺いてる時に山の嘘つき射命丸が来て、魔理沙が主催の宴会を妖怪の山の森の中でやるから、この包丁を研いで持って来いと言ってるって聞いたよ。」
「だから、嘘つきって言いながらお前らが信じてたら意味無いだろ!」
「魔理沙がやりそうなことと、文の嘘のレベルが同じくらいなのよ。」
「それで、3パターン考えたの。まず、料理人として呼ばれたパターン、次に宴会の場所が違うパターン、そして、私を宴会に呼ぶために贈り物として包丁をくれたパターン。」
妖夢は指を一本ずつ立てながら得意気に文の言葉の分析について持論を展開しようとする。もう正解出てるから言っちゃおうかなとも思うが、鋸引きが恐いから最後まで聞いてやろう。
「まず、料理人として呼ばれたとしたらおかしいわ。魔理沙だってさすがにここ数日間は私と会いたくなかったはずよ。それに、あの包丁なんだけど、研ぐ必要なんか全く無い。恐ろしく切れ味が良い。本当に何なのこれ?」
「ああ、何だかそれで肉切って塩を振るパフォーマンスだけで10万人の信仰を集めた伝説の人物の包丁らしいぞ。」
【Dick.塩振りおじさんのナイフ】
http://www.dick.jp/butcherknife.htm
【塩振りおじさん】
https://youtu.be/HoeAxWmbmTk
「パフォーマンス?がよくわからないけど、確かにこれは料理という用途に限定すればかなりの業物ね。なるほど。」
「で、もう答えは出ただろ?」
「ええ、まあそうね。でも、2つ目のパターンがもう笑っちゃうわ。みんなが集まれて宴会ができる場所なんて妖怪の山では守谷神社しかないのに、森の中なんて嘘に決まってる。魔理沙がこんなに良い物をくれるなんて信じがたいけど、贈り物をエサに宴会に引っ張り出しておいて、みんなの前でなし崩しに許してもらおうっていう魂胆だったわけね。」
「いや、今回お前は呼んでないんだ。」
「みんなの前でないと恐くて謝れない気持ちはわかるわ。」
「だから、今回は妖夢は呼んでないんだぜ。」
「それがこんなところでバッタリ会っちゃうんだものね。それに木の根に挟まってるのを助けられたんじゃ尚更に言い出しにくいわよね。」
「妖夢………、悪いがお前を呼んだ覚えが無いんだ。」
「………。」
「………。」
妖夢がひきつった笑顔のまま固まっている。あ、ヤバい。これヒスる前兆だ。
「何で………。何で私だけ呼ばないのよぉぉぉぉぉ!!」
妖夢が叫ぶと同時に周囲から輝く無数の光弾が飛び交う。
「うわぁぁぁ!こいつ弾幕張って来やがった!」
「彼岸剣 地獄極楽滅多斬り!!」
「スペルカード!?しかもいきなり最強技だぜ。ヤバいっ!箒を!」
魔力で吸い寄せた箒に掴まり、体勢を整えるが、八卦炉が無い状態では目の前に迫り来る弾幕を弾き落とすだけで精一杯だ。光弾に加えて竜巻のように振り回す剣閃が四方八方から槍ぶすまのようになって飛んで来るが、トランス状態の妖夢がその手に握っているのはマチェットなので多少は威力が劣る。だが、不幸中の幸いと言っても、とにかく防ぎながら逃げ回るしかない。弾幕が周囲の木々に炸裂し、へし折り、薙ぎ倒し、吹き飛ばし、周囲の景色を変えていく。魔理沙も
掠めた剣閃でスカートの裾がボロボロだ。
「妖夢!友達の家にアポ無しで行ったら皆が集まっていて、自分が呼ばれていない誕生日会をやっていたみたいな残念な話じゃないんだぜ!癇癪を起こすな!」
「じゃあ何なのよ!山が会場なら入山が許されるなんて守谷神社での宴会くらいでしょ!」
「違う!今日は野宿だ!霊夢も早苗も、もちろん紅魔館の連中や他の奴らもいねえ!」
「そんなわけ無いでしょうが!花見の季節はとっくに終わったのよ!外でしかも野宿でどうやって宴会なんかやるのよ!」
怒りにまかせて更に勢いを増した弾幕と剣閃が襲ってくる。マズい、防ぎきれない。香霖の言うとおり、八卦炉無しで魔力をコントロールする技の訓練を一からやっておくべきだったぜ。魔力障壁さえまともに作れやしない。
「これで終わりよ!」
剣閃を放つと同時に妖夢が突っ込んで来る。
「あれは伝説の勇者の究極奥義、ア◯ンストラッシュの構えじゃねえか!?」
しかも、剣閃と剣撃を重ねる二弾攻撃。あれはーーー。
「ア◯ーン!ストラッシュクロス!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ガキーーーーーン!!
盾と刀を交差するようにして防がれた一撃で、折れたマチェットの刃の片割れが首スレスレを通過していった。あっぶねー!
「そこまでです、妖夢さん。もう使い物にはならないと思いますが、剣をお納め下さい。」
「椛ちゃん退いて!今日という今日は魔理沙を許さない!」
妖夢は背中に差した刀に手をかけようとする。
「動くな!」
妖夢の腕に刃先を向けた後、くるりと返して切っ先が首に向けられる。
「先ほどの攻撃は剣自体がナマクラでしたから、むしろ一段目の剣閃の方が威力があったくらいです。だから私でも防ぐことができました。ここで攻撃をやめていただければ、あくまで模造刀を使用した、遊びの弾幕ごっことして収めます。でも、その剣を抜けば本気と見なし、哨戒天狗としての職責を存分に果たします。」
「でも………。だって………。」
「妖夢、大地を斬り、海を斬り、そして形の無い空を斬る奥義の集大成がア○ンストラッシュだ。それができる楼観剣と白楼剣ならともかく、山刀でできないのは、お前がまだ自力で空を斬ることができないからだぜ。」
「私がまだ未熟者だと言いたいの?」
妖夢を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしている。勘違いとは言え、仲間はずれにされたのが本気で悲しかったんだな。思えば冥界は遠い場所だし、仕事も激務なんだよな。だからこいつもかなりのボッチ属性か。すぐに訪ねて行った方が案外素直に許してくれたのかもな。
「妖夢よぉ、悪かったよ。屋根吹っ飛ばした件は改めて謝りに行く予定だったんだぜ。贈り物でとりあえずご機嫌取ろうとしたのも事実だ。でも、今日はいつもの宴会とは全く関係ないんだぜ。第一、異変も起きていないだろ?大宴会は異変を解決した時に開かれるんだぜ。」
「じゃあ本当に何だと言うのよ?」
「今日はキャンプなんだ。」
「キャンプ………?何それ?」
「ああ、もう何度も説明したから慣れてきたぜ。この前、霊夢のところの畳の下でかくかくしかじかーーー。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あやや?これはどんな風の吹き回しでしょうかね。」
「出たわね!妖怪網タイツ女!これは私の明日の朝刊のネタよ。見ないでちょうだい。」
「鏡で確認しましたが、もう網の痕は消えてますよ。全く、酷い目に遭いました。それにしても、念写専門のはたてがそんなに写真を撮って来るなんて珍しいではありませんか。」
「念写することよりも新聞で情報を届けるのが私達の役割のはずよ。必要あらば現場取材もするわ。」
「正論ですねぇ。しかし、普段はあまりそういった行動を取っていないのは事実なのではないかと。大方、たまたま外出先で特ダネに出くわしたってところでしょうかね。」
はたてにとっては図星を突かれた形だが、文にとっては負け惜しみも含んだ部分がある。目の前で生き生きと新聞作りをしているのを見ると、フテ寝している間に弱小新聞の記者に何かしらのネタで出し抜かれているのは間違いないのだから。
「ま、念写がうまくいかないから気分転換に外に出てみたのが大正解だったというのはその通りよ。」
「しかしはたて、繰り返すようですが、それは不視の事実を写し出すというあなたの持ち味を殺しているのではありませんかねぇ。」
「そうね。外から見えない物を写し出したり、遠くの様子を見ることができるのは本来とても便利な能力だわ。でも、知っての通り、念写にはキーワードの入力が必要で、それに関する物しか写らない。だから、その有用性は私の知見や常識の範疇でしか表れないし、引きこもっていてはそれも広がらないということが分かったのよ。」
「はー、それは随分とまた意識が変わりましたねぇ。現場に出ることによってキーワードも増えて、具体性が増すという事ですか。」
「それにね、中には見えないから良いということもあるのよ。」
「知らぬが仏とか、見ちゃいけない物とかそういうことですか?」
「うーん、ちょっと違うな。見えちゃったら面白くないとか、ネタバレがつまらないとか、そういうことかな。不正を暴くとかスキャンダルを追うという意味では今後も有用な能力なんだけど、できれば現場で起こった事実の背景に肉付けする情報を得るのに使いたいなって思うわね。」
「ふーむ、そんなに嬉しそうに語るところを見ると、はたては特ダネ以上に大事な何かを掴んだ様ですね。私もウカウカしていられません。どれ、一つそれがどんな形で反映されているのか記事を拝見………。」
文が裏返しになっている未完成の原稿を手に取ろうとした途端、はたてがウチワをひと扇ぎ。ふわりとはたての手に収まった。
「ネタバレは面白くないでしょ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「では今回は刀を預からせていただきますね。」
「え?聞いてないよ。何で?」
「先程の大立回りをお忘れですか?そもそも外部の入山者の方の武器のお持ち込みは禁止されています。例外は認めません。」
魔理沙が今朝やったように、入山手続きで書類を書かされている妖夢に椛は毅然として対応する。
頑として聞き入れなさそうなその顔に妖夢が折れて、渋々と二本の刀を渡す。
それを受け取った椛は丁寧に布にくるんで大きな鍵付きの箱に保管する。
「この鍵は妖夢さんが持っていて下さい。預り証代わりです。大切なものが入った箱の鍵ですからきっと失くしたりしないでしょう。」
「あ、ありがとう。でも、これはいいの?」
妖夢は開いたらまな板になる木箱に入った包丁を片手にそう尋ねる。
「それは武器ではありませんから。あと、よろしければこれをお持ち下さい。行くんですよね?魔理沙さんと、にとりさんの所へ。」
「わわわ、これ天狗乃舞の山廃特別純米吟醸じゃないの。こんなに良いお酒もらっていいの?」
「一番高級なのは大吟醸だそうなんですが、私はこちらの方が好みでして。品質管理のための試飲用が醸造所にあるのですが、大酒飲みの多い天狗達が飲み過ぎてしまうので、樽をいくつか別に確保してあるんです。」
「そんなものを私達がいただいちゃっても良いの?」
「私達哨戒天狗は妖怪の山の目であり、耳であり、そして牙です。毎日のように酔っぱらうわけには参りませんから、消費量も比較的少なくなります。ですから、こういう特別な時は他の天狗よりもある程度融通できるんです。」
「へぇー、さすが信頼されているんだね。迷惑かけてしまったのに、本当にありがとう。美味しくいただくね。って、あれ?椛ちゃんは来ないの?」
「私は今日は魔理沙さん達の監視が任務ですので、夜勤の者と交代したら少しだけお伺いしようかと考えています。」
「そっか、じゃあまた後で会いましょうね。」
妖夢が事務所を出ると、椛は文机に向かう。硯に水を注ぎ、墨を擦って巻き紙をくるくると開いてキュウリの形をした文鎮を端に乗せ、筆を取る。
「さてと、あまり時間がありませんし、早くまとめられると良いのですが。」
顛末書
妖怪の山某所黒松林における間伐作業実施時の弾幕の不慮の暴発についてーーー。