第2話
話の雰囲気が少しずつ変わっていきます。お気に召しますかどうか……
手紙を受け取ってから、高校時代に仲の良かった同級生の何人かに電話をした、招待状が送られてきたのは私だけで、誰も南加賀美のことを覚えていなかった。女子ならば誰かが知っているかもしれない。しかし当時の私は異性と話をするのが苦手で、残念ながらいま気軽に連絡できるような相手はいない。卒業アルバムは実家に置きっぱなしにしてある。彼女の連絡先を見つけても、電話する気にはなれなかった。君は誰と聞くのは失礼な気がするし、なぜ私に送ってきたのかと聞くのも意味のないことのように思えた。
――行きたきゃ行けばいいし、気が進まないならやめればいいだけのことだろう。
三年間同じクラスだった一人は、当時と変わらず理路整然としていた。私は彼と近いうちに飲みに行く約束をして電話を切った。
初恋の絵画展。それには興味があった。しかし何かの意図が、たとえば高額で絵画を売りつけようという目的があるのではと、どうしても疑ってしまうのだ。実際にそういう目にあったことがある。やはり高校時代の同級生から、突然電話が来て会う約束をさせられた。当日待ち合わせの喫茶店に彼女は、職場の先輩だか上司だかいう、やたら卑屈な話し方をする男を連れてきた。それから彼女は上機嫌な口調で私に商品を勧めてきたのだ。気に入る以前に高額すぎたため、私は断った。すると今度は男の方が話し出した。これは私が彼女の友人――ただの同級生ではなく――だから、特別に用意した話なのだ、破格の大サービスなのだと。男の話し方が段々と高圧的になってくる間、彼女はずっとスマートホンをいじっていた。やがて男は、せっかくのチャンスに足を踏み出す勇気がないのだと私を責め、初対面の私の人間性まで攻撃し始めた。男の罵詈雑言が服装や髪形にまで至ったところで、さすがに私は腹が立ち、文字通り椅子を蹴って店を出たのだった。後日留守電に彼女から詫びのようなメッセージが入っていたのは少し意外だった。
その一件と比べると、加賀美のそれは違っているように思えた。しかし私を落ち着かない気持ちにさせたのは、私が行くと彼女が確信しているように感じられることだった。行くのはよそうと考えただけで、あの図書室にいた彼女の大きな目が、まさか来ないわけないよね、と迫ってくるのだった。あの水色の封筒を開けたときから、私はもう選択の自由を失っていたのかもしれない。
日曜日。私は都内に向かっていた。東京有数のターミナル駅は人と雑音と電子広告に溢れ、私は少し目まいがした。
加賀美からの手紙は、初恋の絵画展は美術館の開館記念企画なのだと続いていた。ならば何か祝いの品を持っていくべきかもしれない。私は駅に隣接しているデパートで、菓子の詰め合わせを買った。美術館へ行く電車の発着駅は、このデパートの地下から通路でつながっているらしい。私は食品売り場の奥にある、少し薄暗い階段を下りた。地下の通路は売り場の華やかさから一転して、広告もディスプレイもない細長い空間だった。やがて通路は左に折れて、その先に花屋があった。
店の中には、まるで天井を突き抜けてそびえているような太い樹木が中央にしつらえてあり、その幹やまわりの地面から実際に生えているかのように花が置かれていた。その変わった内装に引き寄せられて、私は店に入った。店の奥から、茶色がかった髪を眉のところで切り揃えた背の低い女性が顔を出して、笑いかけた。
「女性へのプレゼントですか」
ある意味ではそうとも言えなくもないか、と、私が返事をためらっていると、いいものがありますよと、店員は店の奥に消えた。私が木の周りを一回りすると、最初の位置に店員が、銀色の花束を持って立っていた。
「何の花ですか。バラみたいだけど」
私が聞くと、
「その通り。シルバーローズです」
店員はまた笑った。
花のことに詳しくない私でも、この世に銀色のバラなど存在しないことは知っていた。造花かスプレーで色を付けたか、どちらにせよ冗談のつもりなのだろうと思った。
しかし、店員は、
「これは普通の方法では咲かないお花です。特別な土に特別な水で育てないとできない、本当に珍しいバラなんですよ」
笑顔を見せながらも、いたって真面目に、店員は説明した。
「そんな特別なバラを、どうして僕に売ってくれるんですか」
こうなったら悪ふざけにのってやろうと、私が言うと、
「売るのではなく差し上げるんです。あなたが特別なお客さまだから」
その瞬間、彼女はまるで妖精のような目つきで僕を見た。
「特別な客」
うろたえながら僕が聞くと、
「はい。だってあなたは、あの電車に乗るのでしょう」
店員はまた元の笑顔に戻った。
あとは言われるがままに、僕は銀色のバラを受け取って、店を出た。
「心配しなくても、シルバーローズがあればすべてうまくよ」
少し節をつけて歌うように、店員が後ろから声をかけた。
私は振り返った。そこには少し黒ずんだ通路の床と壁があるだけだった。
銀色の花束だけが確かに、私の手に残されていた。




