表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/101

「悪魔」ニキータ 4

 ビリヤードは惨憺(さんたん)たる有様だった。真田は最初のひと突きを空振りした。レオニードは笑い、隣の軍人たちも失笑した。真田は、レオニードの奢りだというウォッカをカウンターで飲むことになった。ふとカウンターの向こう側のテレビを見ると、チェス世界チャンピオンとなったニキータが記者会見でインタビューを受けていた。


 ニキータは美しかった。カメラのフラッシュを嫌ってか、目は閉じられたままになっている。閉じられていてもなお、その目の大きさはよくわかった。長いまつ毛はカメラのフラッシュをそこに光を一瞬長く(たた)えた。

 ヴィクトールもそうであったが、チェスの世界チャンピオンには雑誌の表紙や街角のポスターを飾る写真の撮影依頼が舞い込む。前世界チャンピオンのヴィクトールは世界中の男性ファッション誌、ビジネス誌、教育・知育関連誌、そしてロシア国威発揚の広告塔にもなった。噂によるとモデル活動だけで日本円にして年間数億を稼ぐという......。

 美しいニキータはそれに留まらないだろう。世界中にニキータの美が蔓延(まんえん)する。




『ニキータ・コトフの手記』


 ○月○日


 チェスが面白くなくなった。

 そもそも僕がチェスなんかを始めた理由はなんだったろうか。幼い頃に夢か幻かでチェスをする少年を見たからだ。あの耳の尖った少年はきっとロバート・フリッツだろう。彼が僕にあんなものを見せたからだ。僕はあいつに(たぶら)かされたんだ。

 今日はもう疲れた。1文目に「チェスが面白くなくなった」と書いておいて、理由も書かずに文章を締めるのは文章として不十分だが仕方がない。たくさんの人がどうでもいいことをグチグチと聞いてくるからだ。悪いのは僕の文章構成ではなく、あいつらのインタビューだ。



 ○月○日


 昨夜は記者会見に打ち上げパーティー。

 食事をするならお父さんと2人でとればいい。僕の話が聞きたいなら書面で送ってくれれば返信をしよう。なぜに彼らはあのような無駄なことをするのだろう。でも僕が眠そうな顔をすれば、お父さんが代わりに対応してくれる。

 チェスが面白くなくなったことについてだが、ひと言で言えば何も感じなくなってしまったからだ。カタストロフへ向かうまでのギリギリの緊張感、これが味わえる相手がいなくなった。何年か前にロバートとの対局で感じた、下腹部から走る寒気。あれをもう感じない。



 ○月○日


 ここ数日の僕は置物か人形だった。緑色のシートを背景に様々な衣装を着せられて写真を撮られた。周りの人間が皆、一様に僕のことを美しいと言う。「美しさ」という概念は数理、演繹や帰納という論理に適用されるものだと思っていた。この数日で僕は人間の美醜がだんだんわかってきた。

 案ずるに、それは表面の肉の形を基準としている。そして僕はとても美しいらしい。しかし、対する「醜さ」というものはそうではない。表面の肉以外に、その言動や放つ空気にもその判断をよる。

 僕をレンズ越しに覗いていたあのカメラマンは醜い。シャッターを切る前に見せるあの唇の形と、むき出す歯が不快だ。

 撮影される僕に「きれい」だ「かわいい」などと繰り返すあのブロンド女もそうだ。その言葉の薄っぺらさが醜い。アナウンサーだかリポーターだかわからないが僕にマイクを向けてくる女達も醜い。あいつらは隙あらば僕の肩や腰に手を置いてくる。今日のあの赤毛のイギリス女なんぞは僕の髪に触れ、撫でた。その汚い手を払うと女は驚いた顔をしていた。何を驚くことがあるだろうか? 僕のことを意思のない着せ替え人形とでも思っていたのか?

 そう、女はみんな醜い。いつヒステリーを起こして花瓶を投げてくるかわからないから。



 ○月○日


 ここ数週間はテレビ番組に朝から晩まで出突っ張りだった。スタジオでカメラを向けられながら、ソファに腰を掛け司会者と呼ばれる男に質問を受ける。問われることはいつも同じ。


 問、チェスを始めたのはいつ?

 答、初めて対局したのは7歳の時。


 問、チェスのどんなところが好き?

 答、どうして、僕がチェスを好きだと決めつけるの? 今は好きじゃないよ。


 問、最年少世界チャンピオンとなったが今後の目標は?

 答、チェスを解明すること。


 問、学校は楽しい?

 答、楽しくない。


 問、学校に好きな女の子はいる?

 答、いない。僕は特殊学級にいる。そこには僕と、いつも鼻水と(よだれ)を垂らしている太った男の子しかいない。(これを書き付けて思い出した。そういえば僕は彼を不快とも醜いとも思ったことがない! 彼の表面の肉と放つ空気はおおよそ一般的人間からすれば不快だろうに)


 他にも色々と聞かれたが、興味がないので忘れた。自分がなんと答えたかも覚えていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ