6 お召しの棟にて
調書を捲る。
ヴァイナス商会の痕跡を追うため、エドガーは今日も書類の海に沈んでいた。
窓の外では雪が絶え間なく降り続き、世界そのものが凍りついたように静かだった。
二度、扉が叩かれる。
開けると書記官が立っていた。
「上級法務官マルコム卿がお呼びです」
エドガーは静かに頷く。
「分かりました。すぐ伺います」
机上の書類を整え、棚に鍵をかける。
淡い雪光を返す机を一瞥し、彼は廊下へ出た。
木板に響く靴音は、どこか鈍い。
窓の外は白と、煙突の灰色だけで構成された無彩色の景色だった。
階段を降りるにつれ、人の気配が濃くなる。
一階の大ホールには白亜の柱が立ち並び、天窓から差す冬光が霧のように広がっていた。
事務員たちの声は高い天井へ吸い込まれていく。
そこから右へ──。
重厚なアーチの先、渡り廊下が続く。
ここから先は普段の執務棟とは空気が違う。
お召しの棟。
窓には薄く霜が張り、雪混じりの光を淡い銀色に変えていた。
足音が石畳に乾いて響く。
廊下を抜けると、空気がわずかに変わる。
暖炉の匂い、そして深い静けさ。
上級法務官たちの個室が並ぶ棟は、エドガーの三階とは明らかに品格が違った。
壁には淡い深紅のタペストリー。
床には薄手とはいえ上質な手織りの絨毯。
歩くたび「コツ、コツ」とくぐもった音が落ちる。
廊の端にはヴァレンタイン家の紋章──
銀の星と深紅の薔薇。
エドガーは短く足を止め、その紋章を一瞥した。
群青の瞳に微かな緊張が宿る。
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目的の扉は、何度も訪れた場所だ。
深い色合いの木材。控えめな彫刻。
金文字のプレート。
“上級法務官室 ― マルコム・ヘインズ”
エドガーは息を整え、二度だけノックした。
「エドガーか。入ってくれ」
黒髪を揺らし、扉を押し開く。
ふわりと温かな空気が頬を撫でる。
小ぶりな暖炉がパチリと音を立て、書棚には古い法典が並ぶ。
部下たちの写真が飾られ、煤と紅茶が混ざった匂いが漂っていた。
エドガーは机の前で一礼した。
「お呼びと伺いました」
上級法務官マルコム・ヘインズは、くたびれたシャツに茶のコートという相変わらずの装い。
右側頭部には見事に寝癖が立っている。
エドガーの視線に気づくと、マルコムは眉を下げて苦笑した。
「エドガー、悪いがな。お前が進めている件は精査中止だ」
「……え?」
マルコムは寝癖を弄りながら手元の書類に目を落とす。
「軍事機密に触れる、とのお達しだ。今すぐ手を引け。
……で、次の案件だが」
「待ってください」
マルコムは新しい案件の書類を持ったまま、群青の瞳を見上げる。
エドガーは指を強く組んだ。
「未払いの件、何も判明していません。調査も序盤です。“軍事機密”に届くほど進んでいません。
なぜ、今なのです」
マルコムはため息をひとつ。
「エドガー。悪いことは言わん。手を引け。いいな?」
そして立ち上がり、エドガーの手に別の案件の書類を無理やり押しつけた。
「……わかりました」
エドガーは短く息を吐き、書類を抱えて一礼し、去っていく。
扉が閉まった。
マルコムは椅子に腰を下ろし、寝癖に触れながら壁のエドガーの写真を見上げる。
「……うん。絶対納得してないな、あれは」
彼は“上”からの中止指令を処理済みの書類箱に雑に投げ込み、別の案件に目を通し始めた。
暖炉の火が、小さく爆ぜる。




