28 凍れる部屋の尋問
「なぁ、エドガー」
窓辺に立つエドガーの頬に、朝の淡い雪光が差していた。
まだ結んでいない長い黒髪が揺れ、深い群青の瞳は外ではなく“遠い場所”を見ているようだった。
ルシアンはその背後で腕を組む。
「教えてくれ。“影を歩く人”について。ここまで来たら、隠し事は無しだろ」
エドガーは、ゆっくり振り返る。
その表情は耐え難いほどに静かだった。
彼は一歩、ルシアンの横へ並び──低く告げた。
「……軍務省副卿、エイドリアン・レンドール。彼だと思う」
二人しかいない部屋。
だが、それでも大きな声で話すのは躊躇われた。
ルシアンが息を呑む。
「軍監査局の発行コードを自由に扱える人間なんて限られている。
──あの二重暗号を作れる人物もね」
掠れて、ほとんど吐息だけの声だった。
エドガーの視線が、琥珀の瞳を真っ直ぐ射抜く。
「証拠は何一つ“直接”彼を指していない。だが、すべての影が彼の足元に落ちている」
ルシアンは小さく息を吐き出し、呟いた。
「……なるほど。そりゃ皆、怖がって口を閉じるわけだ」
エドガーの視線が、また窓へと戻る。
ルシアンはそれを、ただ、追いかけた。
夜のフェルンウォルドは、昼とは別の深い沈黙を宿していた。
街外れの商業区──イーヴリン商会の建物は、雪明かりに青白く浮かび上がる。
裏口の錠前は、ルシアンが指先で触れただけで解けたように見えた。
短い廊下を抜け、ほとんど迷うことなく、二階の商会長室へ。
ノックもせず、扉を開ける。
灯りの無い部屋。
ランプの橙だけが机を照らしていた。
奥の執務机の椅子には商会代表──肥えた体に、指を震えさせている中年男が一人だけ。彼は突然開いた扉に驚いて顔を向け、眉を寄せた。
「……貴様ら、誰──」
言い終わる前に、ルシアンが男の腕を後ろへ捻り上げた。
短い悲鳴が空気を切る。
「声を出すな。……すぐに終わる」
その声は低く、冷えていた。軍で“尋問”をしていた者の声音。
商会代表の視線は彷徨い、戸口に立ったまま何も言わないエドガーへと滑る。
だが、群青の瞳は静かに彼を見つめ返すだけ。
立ち上がりかけた男を椅子に押し込み、ルシアンは机に片手をついた。
「灰羽隊の倉庫に“偽装名簿”があった。輸送担当にイーヴリン商会。……説明しろ」
男の肩がわずかに震える。
「し、知らん! 我々はただ、荷主の命令を──!」
「荷主は誰だ」
刃のような低音。
男は途端に脂汗を浮かべ、目を泳がせる。
「“上”からだ! 名前なんて知らん! 言ったら……俺も家族も殺される……!」
エドガーの瞳がわずかに揺れる。
ルシアンは男の腕を捻り上げたまま、覗き込むようにして顔を寄せた。
「“上”とは?」
「本当に知らない! 伝票も偽装されてた! 俺は……ただ動かされてるだけなんだ!」
絶叫にも似た声。
ルシアンはエドガーへ視線で問う。
エドガーは静かに首を振った。
「……本当だと思うよ。“恐怖の質”が違う。彼は捨て駒だ。尻尾は、切られている」
ルシアンは拘束を解き、冷たく言った。
「行け。二度と関わるな。……死ぬぞ」
代表は震える足で立ち上がるが、足がもつれ、椅子が倒れる。
だが、男は振り返ることなく、逃げるように廊下へ消えた。
足音が、遠ざかる。
静寂。
エドガーはふっと小さく笑みを浮かべた。
「……ルシアン。君はやっぱり“優しい”ね」
「そうか?」
「本当に殺すつもりなら、今のやり方はしないよ」
「お前こそ、“正しい法務官”として止めるかと思ったが」
「“目的のために多少強引になることもある”。僕はそれを否定しない」
エドガーは床に落ちていた紙束──偽装名簿の断片を拾い上げた。
男が逃げる際に、机から落ちたものだ。
「戻って整理しよう。“商会長の言えなかった名前”──いずれ辿り着ける」
ルシアンが頷くと、二人は順に部屋の外へと出た。
人の気配の無くなった建物。
二人の足音は、廊下にいやに響く。
裏口の扉を開ける。
ここへ来たときの足跡は、すでに雪が消していた。
痛いほどの冷気が、頬を刺す。
エドガーが一歩踏み出すと、ルシアンもそれに並んだ。
今交わすべき言葉は、互いに何も持っていなかった。
二人は、雪の夜へ消えた。




