表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

2 灰の降る朝



 街全体が息を潜めているようだった。

 霧ばかりが濃い。


 煤けた街灯に雪の粒が舞い、遠くの鐘楼が乾いた音を放つ。

 薪と石炭の匂いが路地を満たし、露店の果実は薄く凍っていた。

 商人は手袋の上から銅貨を数え、新聞売りの少年が白い息を吐きながら声を上げている。


 ――霧の街オルドンに、冬が訪れていた。


 青いマフラーの上を、白い息が滑るように霧の中へ溶けていく。

 王立裁定院の法務官、エドガー・レイブンズは黒いウールの外套の襟を立て、裾を揺らしながら霜を帯びた石畳をまっすぐに歩いていた。

 一つに束ねた長い黒髪が、彼の背で静かに揺れる。


 ゆっくりと軋んだ音を立て、馬車が通り過ぎた。

 エドガーの群青の瞳が、その先を見上げる。


 霧の空を割るように、白亜の尖塔がそびえ立っていた。

 重厚な石造りの建造物――法と理を司る“王立裁定院”。

 鉄門には、王家の銀の星と深紅の薔薇の紋章が鈍く光っている。


 杖が石畳を小さく打ち、エドガーはその門をくぐった。


 こうして今日も、法務官エドガー・レイブンズの一日が始まる。



---


 聴取室の扉を開ける。

 白漆喰の壁に囲まれた部屋の中央で、白髪の紳士が丁寧に頭を下げた。

 その後ろでは、壁際の書記机の前に立つ書記官も同じように礼をする。


 エドガーは軽く会釈し、法務官席の横に立った。

「おはようございます。どうぞお掛けください」


 紳士はもう一度頭を下げてから、静かに椅子に腰を下ろす。

 エドガーと書記官も席に着く。

 静寂が支配する部屋に、時計の針の音だけが刻まれていた。


「担当いたします、エドガー・レイブンズです。

 ご存じの通り、裁定院は貴族間の契約や紛争を中立的に裁定いたします。

 まずは証拠と証言を整理させていただきたい。お時間をいただきますが、よろしいですね」


「はい」

 侯爵家の法律顧問は静かに応えた。


 今回の案件は、戦時中に軍へ供出した武器や物資の支払い未払いを訴えるもの。

 裁定院はその契約を精査することになっている。


 隣国グランディアでは、いまもエッセンとの間で国境紛争が続いていた。

 アルストリア王国はグランディアと友好条約を結んでおり、かつて軍の派遣を行っていた。

 戦は下火になったとはいえ、火種はまだ燻っている。


「戦時下ではどうしても混乱しますから、こうした未払い報告は珍しくありません。ですが、我が家の場合、これで三度目になります」


 代理人は淡々と帳簿を差し出す。

 書記官がそれを受け取り、エドガーの前に置いた。

 革の綴じ紐が微かに軋む。


「納品書の写しです。軍監査局の印章入りの」

「確認いたします」


 エドガーは指先でページをめくりながら静かに頷いた。


「お預かりいたします。こちらで調査を進めます」

「よろしくお願いします、レイブンズ法務官殿」


 その後もいくつかの質疑と書類の受け渡しを終え、顧問は最後に礼をして部屋を出ていった。


 エドガーも静かに立ち上がり、廊下へ出る。

 冷たい空気が、彼の頬を撫でた。


 ――よくある案件。

 いつも通りの始まり。


 誰もが、その時はそう思っていた。


 灰が静かに降り積もるように。

 日常がゆっくりと影に覆われていくことに、彼らはまだ気づいていない。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ