15 汽車のステップの先に
雪の降る早朝。
オルドン中央駅の巨大なドーム屋根は、まだ夜の名残を抱き、灰銀色の光を鈍く返していた。
鉄骨のアーチには霜が宿り、ガラス越しの空は薄く青ざめている。
汽笛の余韻がゆっくりとドーム内を反響し、巨大な空間そのものが震えているようだった。
構内の空気はきりりと冷たいが、蒸気の白い雲がところどころ漂い、金属の匂いと温かな匂いが混ざり合う。
荷物を抱えた旅客たちが足早に行き交い、ガス灯の名残を残す柱の間では、新型の電気掲示板だけが乾いた音を立てて文字を切り替えていた。
停車中の鉄道車輌が並ぶプラットホームには、薄い雪が斜めに降りつけ、蒸気が吹き上がるたび白い霧となって広がる。
駅員が鉄製のハンマーで車輪を叩く音、旅客のトランクの金具が触れ合う音、駅時計の鐘の音――すべてが遠く、どこか霞んで聞こえた。
その中を、ルシアン・ヴェイルはゆっくりと歩いていた。
黒の外套は着ていない。
代わりに灰カーキ色の作業ジャケットと麻混シャツ。
丈夫なキャンバス地のズボンは擦れ跡が目立ち、足元のブーツも履き慣れた古いものだ。
整髪料もつけず、短い金髪は雪と湿気でわずかに跳ねている。
肩の大きなバッグの重みが、そのまま彼の覚悟を表していた。
プラットホームの端に立つと、駅の空気はいっそう冷たく感じられた。
巨大な鉄の屋根を抜けてきた風が雪を細かな針のように舞わせ、頬を刺す。
汽車の黒い車体には凍えた光が薄く反射し、車輪の間から吐き出される蒸気が足元を白く覆う。
ルシアンは肩のバッグを握り直した。
その指には、昨夜まで書き上げていた調書のインクの跡がまだ残っている。
行き先表示に目をやる。
〈北方行き フェルンウォルド方面〉
胸の奥が鈍く締めつけられる。
故郷に戻る実感か、それとも“戻れない一線”を踏む覚悟か、自分でも判別できなかった。
汽笛が短く鳴り、ドーム天井が震えた。
ルシアンは静かに息を吐く。
白い息は蒸気に紛れ、すぐに消えた。
――エドガーの声がふと脳裏をよぎる。
“君を死なせたくない”
その一言だけが、何度も胸を掴んだ。
だが、足は止まらない。
汽車の扉が金属音を立てて開く。
温かい車内の空気が流れ出すが、外の冷気はまるで背中を押すように吹きつけてくる。
追うべき影は北にある。
そして、それは自分にしか追えない影だ。
ルシアンは雪を払って一歩踏み出し、ステップを上がった。
座席につき、新聞を広げる。
だが、文字は視界をすり抜けていくだけで、読む気になれず脇に置いた。
汽車がゆっくりと動き出す。
その時、すぐ隣に人が座る気配がしたが、顔を向ける気にもならなかった。
霧の街オルドンがゆっくり遠ざかっていく。
「いやぁ、君、いい体格をしているね。出身はどこなんだい?」
軽い声。場違いなほど明るい。
ルシアンは深くため息をつき、仕方なくそちらを向いた。
「……は?」
隣に座っていたのは――、
エドガー・レイブンズだった。
焦げ茶の粗織りジャケットに厚手のツイードベスト、生成りのシャツ、ネイビーのスカーフ。
“都会の紳士”という印象は薄れ、旅装姿の青年が、口元だけ不敵に笑っている。
長い黒髪が、揺れた。
「僕も行くからね」
「はぁ!?」
朝の静かな車内に、ルシアンの叫びが響いた。




