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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第139話 安全装置(リミッター)の解除音は、だいたい自分の肉体が焼ける音でかき消される

『カチッ』。


 ――もしもここが、深夜帯の気取ったロボットアニメのクライマックスシーンであったなら。

 この、コンマ数秒にも満たない「スイッチを押し込む」というたった一つの動作のためだけに、ゆうに三分間の尺が割かれていたことだろう。


 スローモーションで空を舞う、俺の右手の千切れた肉片と、鮮血の飛沫。

 砕け散った親指の白骨が、左手に握りしめた『6代目・可変式魔導デッキブラシ』の柄の中央、分厚いカバーの奥底に隠された【リミッター完全解除の赤いスイッチ】へと、ミリ単位でじりじりと迫っていく極限のカメラワーク。

 背景では謎の女性ボーカルによる神々しい挿入歌が流れ始め、俺の脳内では幼少期のトラウマや、かつて食いそびれた限定プリンの記憶なんかが、走馬灯のようにセピア色で再生されているはずだ。

(おいィィィ! 尺稼ぎ乙とか言ってる場合じゃねぇぞ! こちとらリアルタイムで腕がミンチになってんだよ! 回想シーン挟んでる余裕なんか一秒もねぇんだわ!)


 脳内でけたたましく鳴り響くメタ的なツッコミ(自己防衛本能)すらも、極限状態に陥った思考の加速クロックアップの中では、泥水のように重く、遅い。


 コンマ0.01秒。

 キメラの最大質量の触手が俺の左手を拉げさせ、その圧倒的な運動エネルギーの「反動ベクトル」を逆利用して弾き飛ばされた俺の右手の親指(の、残骸)が、ついに、赤いプラスチックの表面に触れた。


 コンマ0.001秒。

 チープなバネが沈み込む感覚。

 それは、深夜のコンビニの裏路地で、湿気った百円ライターの火を無理やり点けようとする時のように。

 あるいは、使い古してインクの出なくなった安物のボールペンの芯を、苛立ち紛れにノックした時のように。

 ひどくチープで、情けなく、そして、俺の余命いのちの最後の一滴を燃やし尽くすための、致命的なトリガー音だった。


 ――ガ、ギィィィィィィィンッ……!!


 チープなスイッチ音を即座に圧殺するように、直後、暴力的なまでの機械の駆動音が戦場を支配した。

 ドクンッ、と。

 俺の左手の中で、ただの「棒」であったはずのデッキブラシの柄が、まるで巨大な心臓脈打つ生き物のように膨張を開始した。


『ギャ、ァ、ァァァァァァァァァ……ッ!!』


 鼓膜を突き破るような金属の悲鳴。

 鋼テツコが徹夜で、モンスターエナジーと己の狂気だけを燃料に組み上げた『特製・魔導回路』が、物理法則に真っ向から中指を立てて強制起動したのだ。

 ブラシの先端部分が、ガチャキィィィン! と、男心を無駄にくすぐる変形プロセスを経て展開していく。

 見覚えのある――というか、すぐ隣で今も全裸を晒している巨漢ガレスから、ついさっき引っぺがしたばかりの『黄金の鎧』の残骸。それが再構築され、分厚く、禍々しく、そして美しさすら感じる巨大な刀身へと姿を変えていく。


 アニメのワンシーンなら、ここで変形バンクが入って「おおっ!」と歓声が上がる胸アツ展開だ。

 だが、現実はそんな生易しいエンターテインメントではない。


 ズンッ……!!


 刀身が展開しきった瞬間。

 大気が、物理的な「質量」を持って俺の両肩にのしかかった。

 俺の体内に鬱血し、行き場を失って暴走寸前だった過剰なまでの『死者の共鳴(呪い)』が、堰を切った泥水のように、柄の魔導回路へと無制限に吸い上げられ始めたのだ。

 周囲の重力場が完全にバグる。

 足元の砕けた瓦礫、血の海、先ほどまでキメラが撒き散らしていた緑色の体液が、まるで宇宙空間に放り出されたかのように、フワリ、フワリと宙に浮き上がる。


 俺の右腕の血管が、墨汁を直接注射器でブチ込まれたように、どす黒く変色した。

 皮膚の下で、無数の黒いミミズが這い回っているかのようにボコボコと脈打つ。

 限界値の桁を三つほど間違えた魔力密度。

 あまりの圧倒的なプレッシャー――もはや「殺意」というより、単なる「災害」に近い絶対的な力の奔流に、神速で俺をミンチにしようと迫っていた圧縮キメラですら、漆黒の単眼を見開いて『ビクッ』と硬直した。


 そして。

 あろうことか、あの「本能と殺意だけで構成されたバケモノ」が、ギギギ……と不器用な動作で、ジリ、ジリ、と明確な「バックステップ」を踏んで距離を取ったのだ。

 生存本能が、目の前のジンを『関わってはいけない異常エラー』だと認識した証拠だった。


「……ふぅん」


 俺は、どす黒く染まった右腕――骨が砕け、関節が外れ、神経網がズタズタに引き裂かれ、本来ならピクリとも動かないはずのただの『肉袋』で、巨大化した凶悪なデッキブラシを、フワッと、羽毛でもつまみ上げるように軽々と持ち上げた。


「……こいつは、よく吸うな。ダイソンの最新型も裸足で逃げ出す吸引力だぜ」


 その、直後だった。


『ジュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!』


 戦場に、場違いにもほどがある音が響き渡った。

 それは、大学時代の新歓コンパで連れて行かれた、1980円食べ放題の激安焼肉チェーン店で聞いた音。

 よく熱した、焦げ付きまくりの鉄板の上に、脂身だらけの安いカルビ肉を無理やり押し付け、放置しすぎて完全に炭化させた時のような……。

 極めて食欲をそそる、だが同時に、悍ましいほどの嫌悪感を抱かせる『肉の焼ける音』だった。


 俺の右腕の筋肉が、規格外の魔力という『超高温のガソリン』に耐えきれず、内側からボトボトと焼け焦げている音だ。


『バカジンッ!!』


 俺のイヤーカフから、鼓膜をぶち破る勢いでテツコの悲鳴が叩きつけられた。崖の上から通信越しに見守っている彼女の声には、かつてないほどの、血を吐くような焦燥が混じっている。


『そのギミックは、ただの魔力タンクじゃないのよ! あんたの神経ネットワークと魔力回路を強制的に直結させて、命そのものを燃料にして燃やす、最悪の違法仕様なんだから! 早く止めなさい! 右腕が、あんたの右腕が炭になっちゃうわよ!!』


「……なんだと?」


 テツコの絶叫の裏で、マシロが息を呑む気配が伝わってくる。

 幽霊である彼女の『視覚』には、俺の右腕の魔力と生命力が、文字通り「青白い炎を上げて燃え尽きていく」光景がはっきりと見えているはずだ。悲鳴すら上げられないほどの絶望的な祈りが、通信のノイズ越しに痛いほど刺さってくる。


「おい、貴様……ッ!!」


 隣に立つ、見事なまでに全裸の巨漢――ガレスが、血走った目で俺を睨みつけた。

 彼の鼻腔を、強烈な異臭が突いていた。

 血の匂いでも、オゾンの匂いでもない。人間のタンパク質と脂肪が、内側から超高温で焼却されていく、生々しく吐き気を催す悪臭。


「貴様、自分の腕がどうなっているか分からんのか!? 筋肉が……いや、骨髄まで焼け焦げているぞ!!」


 全裸の男が、他人の健康状態を大真面目に心配して怒鳴ってくる。

 普段なら「お前が言うな」と腹を抱えて笑い転げるほどのシュール極まりないギャグシーンだが、ガレスの顔は恐怖と戦慄で完全に引き攣っていた。

 無理もない。内側から肉が焼け焦げる地獄のような激痛。常人なら、発狂してその場をのたうち回り、三秒でショック死してもおかしくないレベルの拷問だ。


 だが。

 俺の脳内は、奇妙なほどに凪いでいた。


(……痛ぇ? 熱い?)

 いや。わからない。何も、感じない。

 味覚も、嗅覚も、そして何より【痛覚】という名の安全装置リミッターは、すでに『死者の共鳴』の代償として持っていかれている。

 俺の脳が受信しているのは、「今、右腕の細胞が猛烈な勢いで死滅している」という、システムエラーの警告メッセージ(アラート)だけだ。


 だから俺は。

 自分の右腕からもうもうと黒い煙が立ち昇り、肉の焼ける悍ましい音が鳴り響いているというのに、ひどく間の抜けた声を出して、辺りをキョロキョロと見回した。


「……なんだ、全裸のくせに鼻が利くじゃねぇか。どっかのバカが、こんなダンジョンの底でバーベキューでもやってんのか? 悪いが、俺は今、塩の味しかしねぇから肉はパスだ」


「き、貴様……ッ、狂っているのか……ッ!?」


 ガレスが後ずさる。

 冗談なのか、本気なのか。彼には、俺のその軽口が「激痛を無理やり上書きするための強がり」に聞こえたのだろう。

 事実、俺の身体ハードウェアは正直だった。

 痛みが分からなくても、肉体は確実に破壊されている。額からは滝のような冷や汗が流れ、強張った筋肉の痙攣で奥歯は噛み締めすぎて『ガリッ』と砕け散り、口の端からはドロドロの黒い血が涎のように垂れ流れていた。

 心臓が不整脈を起こし、バクン、バクンと肋骨を内側から殴りつけている。


 狂気に満ちた笑いで、己の肉体が燃える恐怖を塗りつぶす。

 顔の筋肉を凶悪に歪め、俺は嗤った。


「さぁて。大掃除バーベキューの続きといこうぜ、ゴミ(キメラ)野郎」


『ギ、ギィィィィィィィィィィィィィィッ!!!』


 本能的な「死の恐怖」。

 それを初めて理解したキメラが、狂ったように絶叫した。

 もはや捕食者の余裕など微塵もない。なりふり構わず、全身の孔という孔から無数の圧縮レーザーを一斉掃射し、同時に、大気を切り裂く数十本の触手をミキサーのように振り回して、俺を肉片一つ残さずミンチにしようと殺到してくる。


 弾幕シューティングのルナティック・モードすら生温い、光と闇の暴風雨。

 だが、俺は一歩も引かない。避ける気すら、ハナからない。


「邪魔だァァァァッ!!!」


 焼け焦げ、煙を吹き、すでに限界を超えてひび割れた右腕。

 その右腕だけで、俺は規格外の質量を持ったデッキブラシを、正面から、力任せに横薙ぎに振り抜いた。


 ――ドォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!


 空間が、物理的に「消し飛んだ」。

 キメラの放った圧縮レーザーのシャワーが、漆黒の刀身が描く軌跡に触れた瞬間、紙屑のように霧散する。

 迫り来る鋼鉄より硬い触手の群れが、正面からの力業によって、ミンチ機に放り込まれたトマトのようにグシャグシャに粉砕され、緑色の体液を撒き散らして爆け散った。


『バヂッ! ブチブチブチッ! ジュウゥゥゥゥゥゥ……ッ!!』


 ブラシを一振りするごとに、俺の右腕の筋肉が内側から爆ぜる音が響く。

 さけるチーズを力任せに引きちぎるような、嫌な感触。筋繊維が千切れ、皮膚が破け、黒い血の飛沫が俺の顔面にこびりつく。

 だが、止まらない。

 脳がダメージを認識ストップしないからだ。

 痛覚という名の安全装置リミッターがぶっ壊れているからこそ、肉体が自壊するのも構わず、120%……いや、200%の出力を際限なく引き出し続けることができる。


「どうした、ゴミィ!! 再生が追いついてねぇぞ!!」


 ズバァァァァァァァンッ!!

 再びブラシを振り下ろす。キメラの左半身が、巨大なクレーターを穿ちながらごっそりと抉り取られる。


「オラァッ!!」


 ドゴォォォォォォォォンッ!!

 下からカチ上げる。キメラの顎から胸にかけてが、理不尽な暴力によって空の彼方へ吹き飛ばされる。


『ガ、ァ、ァァ、ァァァァァァァ……ッ!!?』


 キメラの悲鳴が、恐怖のそれに変わっていた。

 化け物であるはずのキメラが、理解不能な「異常な怪物ジン」の蹂躙を前にして、文字通り解体されていく。

 緑色の肉片が雨のように降り注ぐ中、俺は笑いながら、一歩、また一歩とキメラを壁際へと追い詰めていった。


『あり得ない……! ただの人間が、なぜそこまで……ッ! 数値が、計測限界を突破している……! 離れろ、キメラ! 一時撤退だ!』


 背後のスピーカーから響く『あのゼロ』の合成音声が、露骨なパニックを起こして裏返っていた。

 撤退?

 馬鹿野郎。誰が逃がすか。今日はお前の命日ゴミのひだ。


 ズンッ……。


 俺の最後の一歩が、関所の強固な壁際へとキメラを完全に追い詰めた。

 逃げ場はない。


「次で、終わらせる……」


 低い声で呟き、俺はデッキブラシを大きく、上段へと構えた。

 残るすべての命、すべての『死者の共鳴』を、この次の一撃に注ぎ込む。

 だが、そのモーションに入った瞬間。


 ボロッ……。


 俺の右腕の皮膚が、炭のようになって崩れ落ちた。

 焼け焦げた肉の隙間から、白を通り越して真っ黒に染まった「骨」が、はっきりと顔を覗かせている。

 大量の煙が立ち昇り、腕のシルエットそのものが崩壊しかかっていた。

 これ以上動かせば、間違いなく右腕の神経が完全に死滅する。いや、衝撃で腕そのものが粉々に消し飛ぶ。

 それは、医学の知識などない素人目にも、あまりに残酷なほど明らかな限界状態ゲームオーバーのサインだった。


「やめろ……ッ!!」


 俺の背後で、ガレスが悲痛な絶叫を上げた。


「それ以上振れば、貴様の腕は二度と……ッ!! 命すら、もたないぞ!!」


 だが、ガレスの制止も虚しく、追い詰められたキメラもまた、最後の足掻きに出た。

 崩壊しゆく巨体を強制的に圧縮し、その中心に、全てを飲み込むブラックホールのような特大の自爆球――あるいは、神すら噛み砕く巨大な「顎」を形成し始めたのだ。

 俺と、ガレスと、この階層ごと道連れにする、致死量の爆弾。


 もはや、後戻りはできない。

 カウントダウンは、ゼロを指そうとしている。


 俺は、へらへらと浮かべていた狂気の笑みをスッと消した。

 世界から、すべての音が消える。

 冷たい呪いと、焼け焦げる肉の熱。相反する二つの感覚だけを胸に抱き、静かに目を閉じ、深く、深く、肺の底まで呪いの冷気を吸い込んだ。


 ――そして。

 右足に渾身の力を込め。

 命を燃やし尽くす最高打点へと、最後の一歩を、踏み込んだ。

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