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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第138話 自爆スイッチ(リミッターかいじょ)は、だいたい一番押しにくい場所に付いている

――〇・〇〇〇〇一秒。

 それは、神が瞬きをするよりも短く、最新鋭の量子コンピューターがエラーを吐き出すよりも一瞬の、本来なら人間の知覚領域を完全に超越した極小の時間単位だ。

 だが、致死量の魔力と純度一〇〇%の殺意が交錯するこのダンジョンB60Fの底において、極限の死地に立たされた俺(黒鉄ジン)の脳内CPUは、その「〇・〇〇〇〇一秒」を、まるで三時間の超大作映画のように間延びしたスローモーション(時間の凍結)として処理していた。


 視界の端で、土煙の粒子が空中で完全に静止している。

 俺は、血と煤を吐き散らしながら、すでに完全に機能停止し、炭化した死肉の繊維だけでぶら下がっている『右腕』を、上半身の反動だけで強引に跳ね上げていた。

 神経はとうに焼き切れている。動くはずがない。

 だが、強靭な狂気と殺意が、死んだ筋肉に無理やり電気信号を流し込む。

 ブチブチブチッ、と炭化した細胞が引き千切れる、吐き気を催すような破断音が、頭蓋骨の内側でドルビーアトモス音響のように立体的に響く。


 その反動を利用して、跳ね上がった右手の親指が、左手に握った『6代目・可変式魔導デッキブラシ』の柄の中央――分厚いカバーで覆われた「リミッター完全解除の赤いスイッチ」へと、じりじりと、カタツムリの歩みのような速度で近づいていく。


(……押す。このふざけた赤いボタンを押し込めば、俺の残りの寿命ソウルは全部この鉄塊に強制徴収され、俺の身体は内側から風船のように弾け飛ぶかもしれない。だが、それであの生ゴミを大掃除できるなら、費用対効果コスパとしては悪くねェ)


 俺の脳内は、極限の激痛と致死量のアドレナリンによって、完全にトランス状態に陥っていた。

 自らの死すらも「経費」として計上する、ブラック企業の社畜のような狂ったメタ思考。

 つーか、この一連の動作だけで既に原稿用紙三枚分くらい尺を使ってる気がする。アニメスタッフも「この一フレームを描き込むのに何日徹夜させる気だ」と激怒しているに違いない。作画カロリーが高すぎるんだよ。


 しかし。

 圧縮・特化型へと悪魔的進化を遂げたキメラのAI(生存本能)は、俺のその「自爆スイッチ」への到達を、悠長に指をくわえて見逃してくれるほど甘い三流悪役ではなかった。


『――ッ!!』


 キメラの漆黒の単眼の瞳孔が、針の穴のように極限まで収縮した。

 化け物の本能が、スーパーコンピューター並みの演算速度で【あの小賢しいゴミ(ジン)がスイッチを押せば、自分は原子レベルで消滅させられる】という絶対的な死の未来図を弾き出したのだ。


 ズ、パ、ァ、ァ、ァ、ン、ッ!!


 音が、物理法則が、完全に置き去りにされた。

 圧縮された漆黒の巨体が、ダンジョンの空間そのものを蹴り割るような神速の踏み込みで、俺の真正面へと「テレポート」した。

 速い。速すぎる。

 俺の限界突破した動体視力マクロサッカードですら、その軌跡を捉えきれない。空間を移動したのではなく、空間を「スキップ」したかのようなバグ挙動。

 キメラの超高質量に圧縮された巨大な右拳が、俺の顔面――いや、俺の首から上すべてを消し飛ばそうと、弾丸の如く迫り来る。

 拳が空気を圧縮し、発生した超高圧の衝撃波だけで、俺の頬の皮膚がメキメキと裂け、鮮血が空中に散らばる。


(……あ、これ無理だわ。間に合わねェ)


 俺の右手の親指が赤いスイッチに触れるまで、距離にしてあと数ミリ。

 だが、キメラの拳が俺の頭蓋骨を粉砕する方が、コンマ数秒、圧倒的に早い。

 心象風景の中で、俺の寿命を刻む懐中時計のガラスがピキッと割れ、歯車が完全に停止しようとしていた。

 チェックメイト。

 そう確信した、絶対的死の瞬間。


「押させねェよ……ッ! 掃除屋ァァァァッ!!」


 ドゴォォォォォォォォォォォンッッッ!!!


 俺とキメラの間に、横殴りの「巨大な肉の塊」が、まるで軌道上から降り注ぐ隕石のように突っ込んできた。


「……ガレスッ!」


 全裸の男だった。

 総工費100億ルピアの黄金鎧を失い、ブーツすら履いていない正真正銘の素っ裸。

 全身の皮膚が裂け、先ほどのダメージで筋肉の繊維がズタズタになり、おびただしい量の鮮血を撒き散らしながら。

 それでも、ガレスは自らの全体重と、残されたすべてのアドレナリン、そして揺るぎない「騎士の意地」を乗せた捨て身のタックルを、キメラの胴体目掛けてブチ込んだのだ。


 ギシィッ……!!


 凄まじい質量の衝突。

 常人なら全身の骨がゼリー状に粉砕されるほどの衝撃。ガレスのタックルによって、神速を誇ったキメラの踏み込みの軌道が、ほんの数ミリ、いや、数マイクロメートルだけ「横に逸れた」。

 だが、その極小のズレが、俺の首を消し飛ばすはずだった圧縮拳を、俺の左耳の横を掠めるだけの「ただの暴風」へと変えたのだ。

 鼓膜が破裂し、三半規管が狂う。

 しかし、首は繋がっている。


『――ギルルルルルッ!! ゴミがァァッ!!』


 トドメを邪魔されたキメラが、空間をビリビリと震わせる激怒の咆哮を上げる。

 そして、その殺意の矛先を、俺から「全裸の障害物」へと完全に向けた。


 ズドォォォォン! ドゴォォォォン!! バキボキィッ!!


 キメラの圧縮された両腕から、視認不可能な超高速の連撃が放たれる。

 一撃一撃が、装甲車の分厚い鉄板を濡れたティッシュのように貫通するほどの超絶質量。

 それを、ガレスは真正面から受け止めた。

 いや、俺を守るために、受け止めるしかなかったのだ。


「グ、オォォォォォッ……!!」


 ガレスは、ボロボロになった「折れた大剣」の腹を盾にして、キメラの猛攻を必死にガードする。

 だが、その黒鋼の大剣も、とっくに限界のその先を超えていた。


 パァァァァァァァァァンッッッ!!!


 分子結合の悲鳴。

 数発の打撃を受けた瞬間、ガレスが絶対の信頼を寄せていた黒鋼の大剣が、まるで飴細工か薄いガラスのように粉々に砕け散った。

 飛び散る無数の破片が、スローモーションで空を舞い、ガレスの流す鮮血と混ざり合ってキラキラと残酷な光を反射する。

 ああ、なんという作画カロリーの無駄遣い。だが、美しい。


 もはや、何もない。

 総工費100億ルピアの黄金の鎧も、誇り高き騎士の剣も、スポンサーのロゴが入ったマントも、そして最低限の社会の窓を守る下着すらも。

 文字通りの「完全なる丸腰」。防御力ゼロの素っ裸。

 そんな状態で、巨大怪獣の圧縮攻撃を素の肉体で受け続ければどうなるか。


 ――メキィッ! ボキィッ! ブチュゥッ!


 ガレスの左の肋骨が三本同時にへし折れ、肺に突き刺さる嫌な音が響いた。

 口から、致死量を超えた鮮血が滝のように噴き出す。

 自慢の大胸筋が悲鳴を上げ、広背筋が引き裂かれ、大腿四頭筋が痙攣を起こす。


『――フハハハハッ! 無駄な足掻きだ、滑稽なゴミめ!』


 キメラの奥底から、安全な通信越しに状況を傍観している『あの方』の下劣な嘲笑が響き渡る。


『鎧も剣も失い、全裸で血を吐いて踊る三流騎士! 見ろ、その惨めな姿を! それが貴様の無様な終着点だ! スポンサーに見捨てられ、部下を守れず、最後は泥に塗れて肉片となるがいい!』


 嘲笑。侮蔑。絶対的な見下し。

 過去のガレスであれば、世間の評価とスポンサーの顔色ばかりを気にして、その屈辱的な言葉に心を折られ、絶望していただろう。

 だが、今のこの男は違った。


「……笑わせるな、三流の悪党が」


 ガレスは、肺を突き刺す折れた肋骨の激痛を、奥歯を粉々に噛み砕くほどの精神力でねじ伏せ、血反吐を吐きながら、不敵に嗤ったのだ。

 全身血みどろ。股間は丸出し。

 どう見ても放送コード限界突破の、BPOが泡を吹いて倒れる最悪の絵面。

 だが、その瞳の奥に宿る「炎」は、分厚い黄金の鎧を着ていた時の何万倍も気高く、そして美しかった。


「俺は……誇り高き紅蓮騎士団・団長、ガレスだッ!!」


 魂の咆哮。

 それは、失われた部下たちへの鎮魂歌であり、自らの薄っぺらい虚飾を焼き尽くす覚悟の証明。


「俺の背中には、不器用で、口が悪くて、俺よりずっとボロボロで……だが誰よりも頼りになる、最高の仲間そうじやがいる!! 貴様らのような泥人形に、俺の背中の男へ、指一本触れさせるかァァァァッ!!」


 ガレスは、武器を持たない両腕をクロスさせ、自らの「大胸筋」と「広背筋」という肉の盾だけで、キメラの超質量の連撃を真正面から受け止め始めた。


 ドゴォォォン! バキィッ! ドスゥゥゥン!!


 殴られる。肉が抉れる。血が舞う。

 一撃受けるたびに、骨が軋み、内臓が物理的にシェイクされる。

 俺の心臓が、その光景を見て不整脈を起こしたかのように大きく跳ねた。

 やめろ。死ぬぞ。

 俺の視界の端で、全裸の男が、ただひたすらに俺が「スイッチを押すための時間」を稼ぐためだけに、己の命をミキサーにかけている。

 泥臭くて、みっともなくて、狂っていて、最高にカッコいい「真の騎士」の姿。


「ガ、レス……ッ!!」


 俺の喉から、血と煤の混じった悲痛な声が漏れる。


 だが、人間の肉体には、超えられない絶対的な限界というものが存在する。

 三十発、四十発と超質量の打撃を受け続けたガレスの膝が、ついに「ガクン」と折れた。

 大理石のように強固だった両足が力を失い、地面に手をつく。口からは内臓の欠片が混じった血を吐き出している。

 瞳孔が開きかけ、意識が混濁している。もう、指一本動かせない。完全なる限界。


『――終わりだ。まとめて消え失せろ!!』


 『あの方』の歓喜に満ちた絶叫と共に、キメラがトドメの体勢に入った。

 極限まで圧縮された右腕が、黒いオーラを纏った鋭利な槍のような「超高圧・圧縮貫手」へと変形する。

 狙いは、膝をついたガレスの心臓。

 そして、その直線上(ガレスの背後)にいる、俺の眉間。


 ズッバァァァァァァァァンッッッ!!!


 音速の壁を完全にぶち破った貫手が、空間に黒い亀裂を走らせながら放たれた。

 回避は不可能。防御も不可能。

 ガレスの分厚い筋肉ごと、俺の脳天まで串刺しにされる――その、永遠にも似た〇・〇〇一秒の静止世界。


(……上等だ。お前の命の支払い、確かに受け取ったぜ、騎士団長)


 俺の脳が、極限の冷却フリーズ状態の中で、一つの「極めて狂気的な最適解」を弾き出した。


 ダァァァァンッ!!


 俺は、残された左足で思い切り地面を蹴り、前に出た。

 そして、崩れ落ちようとするガレスの背中を、左足の裏で強烈に「蹴り飛ばした」のだ。

 全裸で汗だくの背中を蹴り飛ばすという、コンプライアンス的にギリギリアウトな感触。だが、その一蹴りによって、ガレスの巨体が横方向へと数メートル吹き飛んでいく。

 これで、串刺しのターゲットは俺一人になった。


「な、ジン……!?」

「すっこんでろ、すっぽんぽん。お前の尺はもう終わりだ」


 吹き飛んだガレスが目を見開く中、俺は、迫り来るキメラの「圧縮貫手」の軌道上へ、自らの身体を滑り込ませた。

 避ける時間はない。

 だから俺は、防御の盾として、自らの『右腕』を真っ直ぐに突き出した。

 すでに肩の関節が外れ、神経も焼き切れ、ただの炭化した死肉の塊として垂れ下がっていた、俺の右腕を。


 ――グ、チャ、ァ、ァ、ァ、ッ、!!


 水風船にショットガンを撃ち込んだような最悪の音が、ダンジョンの底に響き渡った。


「ガ、ァ、ァ、ァ、ァ、ァ、ァ、ッ、ッ、!!!!!?」


 死んでいたはずの右腕。

 だが、キメラの圧縮貫手が俺の右腕の肉を削り、骨髄を粉砕した瞬間。

 幻痛ファントムペインと、残存していた微かな神経の束が、俺の脳髄に直接「一億ボルトの落雷」を叩き込んだ。


 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 小学二年の頃、自転車で転んで膝をすりむいた痛み。高校生で初めて彼女にフラれた時の胸の痛み。親知らずを麻酔なしで四本同時に抜かれた時の痛み。昨日の夜、角に小指をぶつけた痛み。

 これまでの人生で味わった全痛覚をミキサーにかけ、一万倍に濃縮して脳髄に直接注射されたような、人間が発狂するレベルの絶対的疼痛。

 右腕が、爆竹を詰め込まれた生肉のように内側から破裂していく。

 眼球の裏側が焼け焦げ、視界が完全にブラックアウトし、胃袋の中身が気管を逆流する。

 精神のメルトダウン。


 だが。

 俺は、奥歯を完全に粉砕しながらも、絶対に顔を逸らさなかった。

 眼球から血の涙を流し、血反吐を吐きながらも、真正面からキメラの漆黒の単眼を睨みつけ――狂気の底から、口角を吊り上げて嗤ったのだ。


『……な、に……!?』


 キメラ(と『あの方』)が、初めて「本能的な恐怖」でたじろいだ。

 腕を粉砕されながら笑う狂人。

 だが、俺が嗤ったのは、痛覚を麻痺させるためのただのヤセ我慢ではない。


(……物理演算シミュレーション通りだ。バカが)


 キメラの放った貫手の「圧倒的な運動エネルギー」。

 俺は、その致死のベクトルを利用したのだ。

 右腕の肉が抉れ、骨が砕けた衝撃の方向。

 その反動によって、俺の砕け散った右手の「親指」が、まるでプロのハスラーが突いたビリヤードの球のように、寸分の狂いもなく「ある一点」へと強烈に弾き飛ばされた。


 向かう先は。

 左手に握りしめた『6代目・可変式魔導デッキブラシ』の柄の中央。

 分厚いカバーで覆われた――【リミッター完全解除の赤いスイッチ】。


「……サンキューな。おかげで、指が届いたぜ(・・・・・・・)」


 俺の血まみれの唇が、最悪の感謝を紡ぐ。


 カチッ。


 戦場のすべての爆音を打ち消し、時を止めるほどに、その小気味良い機械音は、澄み切って響き渡った。

 砕けた右腕の親指が、キメラの攻撃の余波をモロに乗せて、赤いスイッチを深々と、一番奥まで押し込んだのだ。


 一瞬の、無音の真空状態。

 そして。


『――音声パスコード・承認。リミッター、全解除』


 デッキブラシの柄から、テツコの声帯データをサンプリングした、冷酷なまでに事務的なシステム音声が流れた。


『魔導回路、オーバードライブ。……ジン、これで死んだら絶対に許さないからね』


 次の瞬間。

 俺の右腕――いや、全身の皮膚の裏側の血管という血管が、まるで真っ黒なタールを強制注射されたかのように、不気味に浮かび上がった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォォォッッッ!!!!


 俺の体内から、ギリギリのところで抑え込まれていた『死者の共鳴(黒い魔力)』が、文字通り「暴走オーバードライブ」を開始した。

 それはもはや魔力ではない。

 ダンジョンの底に渦巻く、何万という死者の未練と怨念を極限まで圧縮した、純粋なる「死と破壊の概念」そのもの。

 俺の足元の強固な岩盤が、魔力の重圧プレッシャーだけで円形に消滅し、周囲の空間が蜃気楼のようにグニャグニャと歪み、重力が逆転し始める。


「……ハ、ハハッ。あぁ、熱ェ。最高に熱ェよ」


 俺は、半分消し飛んで血を吹き出す右腕を引きずりながら、左手に、黒い暴星の如き輝きを放つデッキブラシを構えた。

 瞳孔は完全に開ききり、白目の部分までが漆黒に染まっている。

 背中から噴き出す黒い魔力が、まるで堕天使の巨大な片翼のように、ダンジョンB60Fの空間を完全に覆い尽くす。


『……ヒ、ィィッ!?』


 圧縮キメラが。

 圧倒的な質量と神速を誇っていたはずの悪魔が、俺から放たれる『次元の違う死の気配』に、初めて後ずさった。

 細胞のすべてが、生存を諦めろと悲鳴を上げているのだ。


「……さあ、命の支払いは済んだ。残業代は高くつくぜ」


 俺は、限界突破した呪いの刃を天に掲げた。

 自らの寿命を燃料にして燃え盛る、最悪の死神の姿がそこにあった。


 反撃の狼煙は、俺の砕けた腕と、全裸の騎士の血によって、読者の脳髄を焼き切るほどの最高潮のテンションと共に打ち上げられたのだった。

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