第6話 どんなに涙を流しても
「ああ、無事だったか!」
出腹を揺らして走るのは第5研究所で最も権威があり、所長からも絶大な信頼を寄せられている研究者。
黒三泰智。
周囲からは「黒サンタ」の愛称と、190センチ半ばで110キロ(本人曰く)の包み込む優しさで誰からも親しまれる存在。
「クロさん……」
悠真は何故黒サンタが愛称なのかよく分からずに勝手にクロさんと呼んでいるが、当の黒サンタはそれをあまり良く思ってはいない。
たった数分間の出来事に身動きが取れなかった黒サンタは、騒ぎが収束してセキュリティ態勢が解かれた1時間後に非常階段を駆け下る。
刑事達が集まる託児所に向かうと、テープの先に悠真と、座り込んだまま微動だにしない水希が廊下で佇んでいた。
「泰智、無事か」
「ああ……」
異能力捜査一課長──露城 葛吏は大学時代からの旧友である黒サンタと、思わぬ形で3ヶ月振りに再会した。
「ならよかった……お前と、この2人と一緒に話がしたい」
「……彼女は……話せるのか?」
「彼女がお前が来てからだと言ったんだ」
「……分かった」
露城と黒サンタ、そして上手く立てない水希の肩を貸した悠真の4人は、共にこの第5研究所の最上階にある黒サンタの部屋に向かった。
※ ※ ※ ※ ※
「コーヒーは」
「要らねぇよ」
「そうか」
コーヒーを淹れようとしていた黒サンタはポッドを置き、対面となっているソファに悠真と水希、黒サンタと露城がそれぞれ隣同士で座る。
「それで……えっと、玲成さんだね、水玖ちゃんのお姉さんの」
「答えろ」
「……えっと」
「答えろっつってんの!!!!!!」
突然叫び声を上げて立ち上がった水希は、全てを憎みきった澱む瞳で睨み付け、黒サンタに危うく飛びかかるところだった。
悠真がギリギリで水希の脇に両腕を通して止めなければ、水希は黒サンタの首根っこを掴んで息の根を止めにかかっていただろう。
「おい! 落ち着け!!」
「答えろ!! いいから全部答えろォ!!!」
誰も水希を責める事は出来ない。
何がどうなっているのか全く分からない黒サンタは、動揺しつつ説明を求めて露城に視線を送る。
「……犯人は……玲成水玖を連れ去り姿を消した」
「……な……え……」
あの現場にいた者達は警備員の指導の元にすぐに非常ドアから外へ避難し、警察によって保護された。
黒サンタが来なければ意地でも現場から動こうとしなかった水希と、水希が行かないなら自分もここで黒サンタ待つと言った悠真が、露城と共にその場で留まっていた。
「軽症だが彼女が唯一の負傷者だから、とにかく病院へ行こうとは言ったんだが……」
露城は親友と語り合うような雰囲気や目では無く、いち刑事としての疑いの目で黒サンタと姿勢を合わせる。
「答えてくれ泰智……何故、玲成水玖ちゃんが連れ去られなければならないんだ」
無言ながら悠真も聞きたいという視線を黒サンタに送る。
少し落ち着いてきたが離せばまた飛びかかりかねない情緒が不安定な水希は、この世の害悪の権化と言わんばかりに黒サンタを睥睨し続ける。
これがもしも連れ去られたのが悠真ならば、警察としても理由が明白で目的の予測もある程度絞ることが出来る。
クレア=ブラッドフォルランスという異能力者史上最悪の魔女と10年間、同じ屋根の下で暮らしていた悠真。
もちろんその情報は機密事項ではあるが、その事実を知る者は決して少なくないため狙われる事もあるかもしれない。
むしろ今まで誰も来なかった最大の要因は、悠真はクレアの唯一の天敵だったから監禁していた。という都市伝説だろう。
この発信元の分からないデマ情報の拡散が抑止力となり、誰も東京都の監視の目を掻い潜ってまで悠真に接近しようとは思わなかった。
しかし今回連れ去られた水玖は、悠真のような有名人でも何でも無い。ただの幼稚園児だ。
そんな幼稚園児を、世界最高水準のセキュリティ技術を携える国立研究所を襲撃してまで連れ去ろうとした。
ただの誘拐などでは無い。水希は真相を知っているであろう黒サンタの口から、どうしてもその真実を知りたかった。
「まず、水玖ちゃんの事について、隠している事があるのは本当だ」
「……ほら……ほらやっぱり……こいつだ……こいつがあいつらを呼んで水玖を!!!!」
「ち、違う! それは断固として違う!」
「うるさいうるさいうるさい!!! 全部お前のせいだ!!! 水玖を預ける時に絶対に守るって言ってたのに!!! 嘘ついて私達を騙して楽しかったか!!?? クソ野郎!!! お前なんか!! お前なんか!!!」
水玖は、水希たちを守るために自らの意思で連れ去られた。
悔しくて仕方ない。
悲しくて仕方ない。
まだ5歳の女の子に、まして妹にそんな残酷な決断をさせてしまった己の弱さが、憎くて仕方ない。
このやり場の無いぐちゃぐちゃの感情をどうすればいいのか、頭が回らなくて全く分からない。
絶対に守ると誓ったのに。
そのためならたとえ世界中が敵に回ってでも命を懸けて守り抜こうと思っていたのに。
銃弾が頬に擦っただけで、命の危機を感じて、恐れてしまった。
誓ったつもりでいただけだった。
思っていたつもりでいただけだった。
まだまだ子供の幼さ故の幻想に夢を見ていただけだった。
どうしようも無く、自分は無力だった。
目の前の黒サンタを怒鳴りつけたって気持ちは収まらないし、水玖は帰って来ない。
でも、それでも、ただ泣くだけなのは悔しくて、意地を張って叫び続けた。
「死んでしまえ!!! 今すぐに死ね!!!」
パァン!!
「っ!?」
水希の左頬に、ジンジンとした痛みが走る。
あまりにも醜い水希の姿が見ていられなくなり、悠真は女であろうが関係なく右手で頬を叩いた。
ようやく暴走が止まった。
心からの負の感情が消えた訳では無いが、頭真っ白のまま吐き出し続けた意味の無い嘆きは止まった。
「落ち着け、クロさんから話聞くんじゃねぇのか」
「……………………ごめん」
本当に、自分は何をやっているんだ。
感情むき出しに暴れたって、水玖の事が何も分からないままじゃないか。
取り乱して、発狂して、叫んで、身も蓋もない罵詈雑言を怒鳴りつけて。
言えと言って、言えば中身の無い罵声を浴びせ、そして言わなくなったら言えと言って。
こんな堂々巡りに何の意味も無い。
言葉を押さえたら、また涙がこぼれ出した。
手で押さえてもやはり左頬は痛い。
でも今水希が冷静でいられるのは、その痛みに縋り付いているからだ。
銃弾が擦りまだ少し痛みの引いていなかった前提があったからこそ、そして悠真が自身と同じように押し潰されそうな感情を押さえ込んで、その上で叩いてくれたからこそ、痛みの重みが違った。
悠真と水希はゆっくりソファに座り直し、水希は俯き涙を拭ってから、悠真と露城と同じく黒サンタに視線を向けた。
「……隠している事というのは異能力の事で、この事は僕の他に3人の助手が知っている」
「で、水玖ちゃんの秘密って何だ?」
悠真に急かされて下唇を噛む黒サンタは、落ち着かずにもじゃもじゃの髪や髭を掻きながら言葉を続ける。
「……水玖ちゃんは自覚していないが、異能力は既に発現している──
──既に〝記号保持者〟の一桁台にあってもおかしくないほどに、超強力な異能力だ」
言葉を失い、喉から出掛けても留まってしまう。
黒サンタの言葉が予想だにしなかった事実であるために、悠真や水希、刑事の露城すらもが口をポカンと開けて絶句していた。
そしてその驚愕の事実は、この事件の規模の大きさを何倍にも膨れ上げる。
彼らに迫る闇は、すぐそこまで掴みかけている──




