第3話「戦術的ミーム汚染(アートバトル)とGペンを握る傭兵」
翌日──
僕は徹夜で仕上げたポスターを、公園の木枠の掲示板に画鋲で打ち込んだ。売れないとはいえ、プロの端くれとして描いた本気の作品だ。劇画調の重厚なタッチで『地球を狙う醜悪なモグラを、町内会が圧倒的武力で駆逐する』という構図。迫力だけなら大手出版社の看板マンガにも負けていない自負があった。
「ほう……上出来じゃねえか。これならモグラ連中もビビって地面の底に引きこもるだろ」
シゲオさんが煙草を吹かしながら満足そうに頷く。
「見事な心理的抑止力です、マスター」
傭兵のアーサーも真顔でポスターを敬礼で迎えた。
「連中は『地殻変動型・真社会性集合知性体』──通称モグラ星人。彼らは言語を持たず、高密度の視覚的フラクタルによって縄張りを主張する生態を持ちます。マスターの描いたこの攻撃的なビジュアルデータは、奴らの集合的無意識に『ここは不可侵領域である』という強烈な防衛プロトコルを刻み込むはずです」
「えっ、あいつら地面掘って遊んでるだけじゃなくて、そんなエグい生態なの?」
「ええ。つまりこのポスター貼りは、ただの広報活動ではない。高度な戦術的ミーム(概念)汚染による情報戦なのです」
だが、僕たちの目論見は完全に外れていた。
翌朝──
登校中の小学生の通学路になっている公園の掲示板を見て僕は絶句した。僕が貼ったポスターのすぐ隣に、同じサイズのキャンバスが打ち付けられていたのだ。それは、土と鉱物、そして特殊な発光粘液によって精緻に描かれた「ルネサンス期」を彷彿とさせる、圧倒的クオリティの宗教画風アートだった。
絵の中に描かれているのは、黄金の王冠を戴いたモグラの騎士たちが、愚かな人類を優雅に蹂躙する神々しい姿。そして余白には、流麗な幾何学模様でこう刻み込まれていた。
「我ら地底帝国の美学にひれ伏せ。真の侵略者は、デザインにおいても地上を凌駕する」
「……言語持たない設定どこ行ったんだよ! バリバリ煽ってきてるじゃねえか!」
朝の公園で僕の悲鳴が響き渡った。
「馬鹿な! 一晩でこれほどの高解像度ミーム兵器を生成するとは……! 敵のレンダリング能力は我々の想定を遥かに超えています!」
アーサーが油汗を流して驚愕する。モグラ星人はビビるどころか、僕の描いた劇画ポスターの「デザイン性の甘さ」に激怒し、わざわざ地底から上がってきて超絶クオリティの反論ポスターを貼っていったのだ。
「フン……なかなか骨のある敵だな」
隣でシゲオさんがニヤリと笑う。
「だがな坊主、うちの広報がナメられたまま黙ってられるか? やってやれ!」
「マスター、兵站(画材)の補充なら自分にお任せください。駅前の文房具屋で、戦術的コピックマーカー全色と、チタン合金製のGペンを調達してまいります!」
「待って、二人とも無駄に煽らないで! これ地球の存亡を賭けた侵略の攻防だよね!?」
しかしその言葉とは裏腹に、売れないクリエイターとしての僕の血は激しく沸き立ち始めていた。
「……僕の構図を甘いだと? 十年間、出版社のボツ通知を受け取り続けて鍛え上げられた僕のペンダコをナメるなよ……!」
こうして、公園の木枠掲示板を舞台にした前代未聞の『異星間ポスターマウント合戦』が火蓋を切った。
僕がパースを極限まで狂わせた大迫力のアクション構図を貼れば、翌朝にはモグラ星人が光と影を巧みに操った「フェルメール風の精密画」で返し、僕がフルカラーの「サイバーパンク風」で攻めれば、奴らはまさかの「浮世絵風の木版画」で応戦してくる。
「何なんだよ奴らのクリエイティブの引き出しの多さは!」
「落ち着いてくださいマスター! 敵の構図、明暗のコントラストが少し破綻しています! 今ならホワイトによるハイライトの追加でカウンターが狙えます!」
アーサーがセコンドのようにスクリーントーンを切り出し、シゲオさんが「おい坊主、カフェイン錠剤だ!」とヤバめの色のサプリを差し出してくる。
気づけば一週間。公園の掲示板は、町内の住人や小学生たちが毎日楽しみに見に来る「即席のルーブル美術館」と化していた。
そして八日目の夜──
僕はアパートの万年床の上でペンを握りしめ、絶望的な壁にぶち当たっていた。
勝てない。テクニックだけなら、奴らの集合知による完璧なトレース能力には一生追いつけない。僕の描く絵には何かが決定的に欠けているのだ。
「やっぱり僕には才能なんて……」
ペンを投げ出そうとした僕の視界に、ふと、キッチンのテーブルに置かれたノートが入った。母さんの遺した、あの異常に細かい「唐揚げのレシピノート」だ。
パラパラとページをめくる。そこには料理の手順だけでなく、余白に小さなメモが書き込まれていた。
『今日、あの子が運動会で一等賞をとった。お祝いに唐揚げを揚げる。油の温度は少し低めでじっくりと。あの子の笑顔が私のすべて』
僕はハッとした。僕が今まで描いてきた漫画は、宇宙を救う孤独なヒーローや、派手な爆発ばかりだった。けれどそこには「誰を愛し、何を守りたいのか」という体温が一切なかった。
僕が、退屈でくだらないと切り捨てていた日常。母さんがエプロン姿で唐揚げを揚げ、シゲオさんが回覧板を配り、ヨシコさんが編み物をする。そんな泥臭くて平凡な毎日の積み重ねこそが、この宇宙で一番尊く、守るべきドラマだったのだ。
「描くべきものはここにあったじゃないか……」
僕は新しい画用紙を引っ張り出し、一心不乱にペンを走らせた。そこには大仰な戦闘シーンはない。ただ夕暮れの公園で、子供たちと一緒に砂場でお城を作っている町内会の老人たちと、不器用な手つきでスコップを握るモグラ星人たちの笑顔を描いた。
技術じゃない。僕が母さんのレシピから受け取った「日常の愛おしさ」。その熱量だけを、ただひたすらに紙へと叩きつけた。
そして僕は、静まり返った深夜の公園に向かい、掲示板にそのポスターを誇らしげに貼った。
その瞬間──
公園の砂場がモコモコと盛り上がり、中から体長五十センチほどの、つぶらな瞳をした毛むくじゃらの生き物が顔を出した。泥にまみれた手には、絵の具のついた筆が握られている。モグラ星人の絵師だった。
奴は新しく貼られた僕のポスターをじっと見つめた。真社会性の彼らにとって、他種族との温かい共存や、無意味だが愛おしい日常という概念は、理解不能な未知のミーム(バグ)だったはずだ。
けれど、奴は筆を取り落とし、やがて小さな手でポツリポツリと拍手を始めた。言葉は通じない。けれど、奴の瞳には「我々の敗北だ。君たちの愛する日常は、こんなにも美しいのか」という潔い敬意が浮かんでいた。
奴は足元の土を掘り返すと、粘土で作られた『小さな感謝状』を僕に差し出してきた。そこには、下手くそな日本語でこう刻まれていた。
『オマエノエ、アタタカイ。スナバ、アラサナイ。日常、ソンケイ スル』
「……ありがとよ。あんたらの油絵も最高にロックだったぜ」
僕が破顔して差し出した小指と、モグラ星人の小さな前足が、月明かりの下で硬く交わされた。
「ハッ、結局絵を描いただけじゃねえか。平和なこった」
「マスターの魂のミームが、敵の侵略プロトコルを完全に上書きしました。見事な制圧です」
物陰から見守っていたシゲオさんが煙草を踏み消し、アーサーが恭しく礼をした。こうして地底モグラ星人との凄惨な情報戦は、一滴の血も流れることなく終結した。
翌朝、掲示板に並んだ僕とモグラの合作ポスターの前で小学生たちが無邪気に笑っているのを見ながら、僕は生まれて初めて「自分の絵で世界を救った」という、静かで確かな誇りを胸に抱いていた。




