第1話
その報せは、夕餉の席で唐突に告げられた。
「リネット。お前を、北のヴェルナー公爵家へ嫁がせることに決まった」
父の声には、感情というものがまるで滲んでいなかった。テーブルの向こうで、母も、二人の姉も、誰ひとりこちらを見ようとはしない。まるで、すでにこの場にいない者の話でもしているかのようだった。
ヴェルナー公爵。北方の霧深い辺境を治め、三人もの妻を相次いで亡くした男。人々が陰でこう囁くのを、私も知っている。
——死神公爵、と。
「あの御方のもとへ嫁いだ娘は、皆、一年と保たずに死んでいる」
長姉が、紅茶のカップを口に運びながら、わざとらしく身を震わせた。
「でも、リネットなら平気でしょう? だって、あなたには毒が効かないんだもの」
その言葉に、食卓のあちこちで、押し殺した笑いが漏れた。
私は、生まれつき、あらゆる毒が効かない体質だった。
解毒で名高い薬師の名家、ハルヴァート家。王侯にも仕えるこの一族にあって、私の体質は当初こそ「奇跡」と持て囃された。けれど、ものごころつく頃には、それはとうに「不吉」へと姿を変えていた。
毒を口にしても倒れない娘。毒に愛された娘。気味が悪い、と。
幼い私は、薬草園の隅で、誰にも見つからないように息をひそめて過ごすことを覚えた。毒草の名を、薬の調合を、ただひとり書物から学んだ。それだけが、この家で私に許された営みだった。
「毒で死んでも惜しくない娘だ」
父が、静かに言った。それは私を侮辱する言葉であると同時に、まぎれもない本心でもあった。死神公爵のもとで、もし私が死んだとしても——この家は、何ひとつ失わない。厄介者がひとり消えるだけのこと。
私は、膝の上で固く握った手を見つめた。
屈辱だった。腹の底が、冷たく焼けるようだった。
けれど、ふしぎなことに、その底のどこかで、ちいさな火が灯るのを感じてもいた。
——この家を、出られる。
誰も私を見ようとしないこの食卓を、毒の効かぬ娘と嗤うこの場所を、ようやく離れられる。たとえその先に待つのが死神と呼ばれる男であろうと、霧に沈んだ辺境であろうと、ここよりひどいものなど、もうこの世にあるとは思えなかった。
顔を上げると、長姉と目が合った。彼女は、勝ち誇ったように微笑んでいた。憐れんでいるつもりなのだろう。けれど私は、その表情を静かに見返しただけだった。
旅立ちの朝は、霧雨が降っていた。
馬車に積まれた荷は、わずかな衣服と、私が秘かに集めてきた薬草と書物だけ。長年かけて書き溜めた毒物の覚え書きも、その中にある。家の誰ひとり、それが何の価値を持つかなど知りはしない。彼らにとって私の知識は、不吉な娘の不気味な手すさびに過ぎなかった。
見送りに出た者は、誰もいなかった。父も母も姉たちも、屋敷の窓の奥に身をひそめたまま、姿を見せようとはしなかった。最後まで、私は彼らにとって、見るに値しない存在だったのだろう。門前で、ただ古い門番だけが、ばつの悪そうな顔で頭を下げた。
「お嬢様……どうか、ご無事で」
その言葉に、私はちいさく頷いた。無事で、と。死地へ送り出される者へ向けるには、あまりに虚ろな言葉だった。
馬車が、ゆっくりと動き出す。
窓の外を、生まれ育った屋敷が流れ、遠ざかっていく。胸に湧いたのは、悲しみではなかった。それは、もっと冷たく、もっと静かな、決意にも似た何かだった。
北へ。霧の彼方へ。
死神公爵が、いったいどのような男なのか、私はまだ知らない。けれど、ひとつだけ決めていることがあった。
——簡単には、死んでやらない。
毒に愛されたこの体で、私は、あの城で何が起きているのかを、この目で確かめてやる。
馬車は霧の中へと吸い込まれ、生まれ育った土地は、やがて完全に視界から消えた。




