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17 偽りの王子

 建国祭の喧騒が遠のいた王宮の一室。そこには、儀式での張り詰めた空気は微塵もなかった。

 円卓の上には、先ほどまでの「苦難を分かち合う」素朴な晩餐とは打って変わって、贅を尽くした料理が並んでいる。

 じっくりと香草で煮込まれた柔らかな子羊のロースト、冷製のアスパラガスに添えられた黄金のソース、そして大粒の苺が飾られたクリームたっぷりのタルト。

「さあ、アスレイ。好きなだけ召し上がれ」

 三女グウェンドリンが、先程までの完璧な王女の顔をどこかへ捨て去り、慈愛に満ちた手つきでアスレイの皿へ次々と料理を移していく。

「あ、ありがとうございます、グウェン姉様。でも、こんなにたくさん……」

「いいのよ。あなたは今日、王国の歴史をその背に負ったのですもの。それくらいの報酬は当然だわ」

 アスレイが戸惑いながらも、フォークを動かす様子を、四女フレアが身を乗り出して覗き込んだ。彼女は、アスレイの隣で自分の皿を突っつきながら、悪戯っぽく笑う。

「ねえ、アスレイ。あの『野兎の薫製』、すごかったでしょ? 私も食べたけど、あんなにエグみが強くて硬いもの、よくあんなに優雅に食べていられたわね。私なんて喉を通らなくて吐き出すかと思ったわ。本当、よく頑張ったわね!」

 フレアにポンと肩を叩かれ、アスレイは照れくさそうに頬を染めた。

「ライリー夫人が、あの硬さこそが国を建てる苦しみだって教えてくれたから……。皆の前で、恥ずかしい姿は見せられないと思ったんです」

「……健気ね。その生真面目さは誰に似たのかしら」

 次女シレーネが、冷笑を装いながらも、アスレイが食べやすいように小さくカットされた肉の皿をそっと彼の方へ押しやった。

 五女リュシエンヌは、自分の食事には目もくれず、アスレイの服の袖をぎゅっと掴んだまま、その肩にぴったりと頭を預けていた。

「アスレイ……お疲れさま……」

 リュシエンヌの甘えるような囁きと、姉たちの温かな視線。

 アスレイは、口いっぱいに広がった甘いタルトの味と、心を満たす幸福感に、知らず知らずのうちにまどろみ始めていた。



 その頃、サロンの扉一枚を隔てた廊下では、カインが凍りつくような「真実」の濁流に立ち向かっていた。

(……替え玉、だと?)

 バートの告げた、エレーヌによる「アスレイ盾説」。

 カインは、背後の部屋から聞こえる、アスレイの幼い笑い声と姉たちの和やかな声を背中で受けていた。

 もしバートの言葉が真実なら、今、あの中で幸せそうに笑っているあの子は、最愛の母から「死ぬための身代わり」として王宮へ送り込まれたことになる。

「…………」

 カインは、拳を握りしめた。

 爪が手の平に食い込み、血が滲む。

 あのアスレイが、これまでにどれほどの恐怖を押し殺し、どれほど懸命に「王子の型」を身につけてきたか。それを「母の策謀による演技」の一言で片付けられてたまるものか。

(利用されていたというのなら、なおさらだ。私が、この命を賭してでも……あの子を本物の王子にしてやる)

 幸せな甘い香りに包まれたアスレイの夜が、終わりを告げようとしていた。


 建国祭の喧騒が収まり、王宮に静寂が戻りつつある深夜。

 国王エドワードは、執務室のテラスで冷え切った夜風を浴びていた。その表情には、ここ数年見せることのなかった柔らかな満足感が漂っている。

(……アスレイ。臆することないあの眼差し。あれこそが王者の資質だ)

 民衆の熱狂、そして何より、反目し合っていた姉姫たちがアスレイを中心に一つにまとまりつつある光景。それは、エドワードが夢にまで見た「家族」の萌芽だった。

 このままアスレイを第一王子として立て、守り抜く。その決意を固め、愛するエレーヌへの罪悪感を僅かに和らげようとした、その時だった。

「陛下。……この喜ばしい夜に、もう一つの『奇跡』をお届けに参りましたわ」

 夜の静寂を切り裂く、粘りつくような声。

 振り返れば、そこには第三妃サンドラが、勝利を確信した毒婦の笑みを浮かべて立っていた。

「サンドラか。何の真似だ、この夜更けに」

「ふふ、あまりに重大な真実を掴んでしまいましたの。……陛下。貴方が今日、慈しみの眼差しを向けていたあの少年。あれは、『精巧な偽物』に過ぎません」

 エドワードの眉間に、鋭い皺が寄る。だが、サンドラがその背後から一人の少年を招き入れた瞬間、王の言葉は喉の奥で凍りついた。

 現れた少年――ルカは、月光を反射する黄金の髪をなびかせ、ゆっくりと跪いた。

「陛下、この子は母であるエレーヌに『お前の父はこの国の王だ。だが、お前が生きていると知られれば殺される』と教え込まれ、今日まで母に捨てられて生きてきたのです」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、跪いていたルカが、ふらりと力なく立ち上がった。

 彼は信じられないものを見るような、あるいは壊れ物に触れるのを恐れるような足取りで、一歩、また一歩とエドワードへ歩み寄る。

「……あなたが……。本当に、僕の父上なのですか?」

 その声は震え、微かな涙の響きを含んでいた。

 ルカの瞳は、期待と、それ以上に深い「捨てられた子供」の怯えに満ちている。アスレイが見せてきた健気さとはまた違う、あまりに痛々しい孤独の色彩。

 地獄を這ってきたという少年の、そのあまりに純粋な問いかけは、エドワードの王としての理性を、父親としての情愛で容赦なくかき乱した。

「……ルカ、と言ったか」

 エドワードが伸ばしかけた手は、虚空で止まる。

 目の前の少年が放つ圧倒的な「真実味」。そして、もしこの子が本物だとしたら、自分は今日、パレードで「偽物」を隣に乗せ、この「本物」が群衆の中で泥水をすすりながらそれを見上げていたことになる――その想像が、王の心に耐え難い罪悪感を刻み込んだ。

「母様はいつか迎えにきてくださると……でも、僕を迎えに来てくれたのは母様じゃなくて、サンドラ様でした。城には、もう一人の僕がいるとも聞きました」

 ルカは視線を落とし、握りしめた拳を震わせる。

「僕は、お飾りでもいいんです。……ただ、一度だけでいい。……父上と、お呼びしてもいいのですか?」

 この完璧な「被害者」の告白に、サンドラは扇の陰で口角を吊り上げた。

 バートが仕込んだ「演技」か、あるいはルカ自身が生き延びるために身につけた「処世」か。いずれにせよ、その言葉はエドワードの心を完全に捉えた。

「……今夜はもう遅い。サンドラ、この子を客間に」

「承知しました。では王、また明日」

 サンドラはルカを連れて下がっていく。

 そして、その様子を扉の影から、拳を血が滲むほど握りしめて見つめる男がいた。

(……動くな、まだだ。……今は、あの子を信じ抜くための『真実』を掴むまで、私が盾にならねば……地獄から来たと言ったな、少年。ならば、その地獄が本物か、私がこの手で暴いてやる)

 月光に照らされた王宮に、冷たい断絶の朝が近づいていた。


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