プロローグ「正義の魔法使い」
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『アレンの手記』より
平和な世界で私は、代償を支払い続けている。
誰が悪いわけでもない。それでも強いて罪を選ぶなら私のものだろう。
右腕はだらりと垂れ下がって、もう動くことはない。つながっている感覚はあるのに、指先を動かすことすらできない——これは勇者と呼ばれた彼女の傷。
左目も一年前から、漆黒に包まれている。寝ても覚めても、瞼を開けても閉じても、変わることはない——これは剣聖と呼ばれた彼女の傷。
今では杖がなければ立つこともできない。肺の機能も弱っていて、階段を三段上がるだけで限界が来る——これはもうどの傷なのか思い出せない。
左手も、右目も、時間の問題だろう。それにいちばん大きな代償がまだ残っている。もう長くない。だから、今のうちにこれを残すことにした。
これを読んだ誰かが、同じ過ちを繰り返さないように。
誰かを救うことと、誰かに必要とされることを取り違えないように。
◇ ◇ ◇
正義の魔法使いになりたい。
幼心にそう思った日のことは、今でも覚えている。
絵本に描かれる英雄譚にはいつも魔法使いがいた。勇者のとなりに立ち、爆炎を起こし傷を癒す。それは私の胸を高鳴らせ、母に何度も読み聞かせをねだった。
この世界にも魔王がいるのだと知ったのは五つになったころだった。
村の大人たちは私を見て微笑む。畑を耕し、薪を割り、私の頭を撫でてくれた。けれど誰も未来の話をしなかった。その顔は常になにかにおびえていて、いつも次の朝が来ることを祈り眠るのだ。
幼い私はなおさら強く思った。正義の魔法使いになりたいと。
しかし、現実は英雄譚のようにはいかなかった。
私には爆炎も、巨大な氷柱も、暴風を起こす才もなかった。一度はひざを折りかけた。そのときだ。回復魔法の適性があることを知ったのは。
これは天啓だと思った。回復魔法があれば自分で戦えずとも、戦う誰かの背中を支えることはできる。
私はただひたすら、回復魔法の研鑽を続けた。
勇者に選ばれた少女が私を訪ねてきたのは、16になるころだった。私の噂を聞いてきたらしい。その力で共に戦ってほしいと。
あの英雄譚と同じ光景だ。その場で承諾した。
それはきっと、正義と呼べるはずだった。
勇者が私を頼ってくれた。
剣聖が私を信じてくれた。
賢者が私の魔法を認めてくれた。
聖女が私を史上最高の回復術師だと言ってくれた。
満たされていた。
誰かを救えたからではない。誰かに必要とされたから。誰かの傷を治すたび、少しずつ自分が英雄譚の登場人物になっているような気がしていた。
だからこの力に疑いを持ちつつも、見えないふりをし続けた。人知を越えた『力』を振るうことを。
やっかいなことに私には本当に回復魔法の適性があったのだ。ある程度の傷は力を使うまでもない。
そのことがなおさら霧を濃くさせた。その時点で私はもう、間違えていたのだと思う。
彼女たちの光の抜けた瞳を、私は忘れることはないだろう。ようやく辿り着いたはずの魔王なき平和な世界で、彼女たちにあんな顔をさせてしまった。
なにを言えばいいのか分からなかった。
ただ。
それでも。
それでも私は、正義の魔法使いになりたかった。




