第25話 耳を塞ぐという選択
雨の気配は、あった。
空は低く、
音はまだ落ちてこないのに、
**来ると分かる重さ**だけが街を覆っていた。
私は、宿の部屋で窓を閉めた。
鍵をかける。
それだけの動作が、
どうしようもなく重い。
「……本当に、聞かないつもり?」
マレナが、背中越しに言った。
責める声じゃない。
確認でもない。
ただの、事実の共有。
「うん」
短く答える。
喉が、少しだけ痛んだ。
雨聴の力は、
**意識しなければ聞こえない**。
でも、完全に遮るには、
自分から閉じる必要がある。
私は、椅子に座り、深く息を吸った。
——聞かない。
——今夜は、聞かない。
胸の奥で、何かが反応する。
それは、痛みじゃない。
**違和感**だ。
今まで、
耳を澄ませば、必ず応えてくれたものが、
遠ざかっていく感覚。
「……逃げてるみたい」
思わず、口に出た。
マレナは、首を振る。
「違うよ」
彼女は、静かに言う。
「これは、
“全部を背負わない”って決めた人の顔」
その言葉に、少しだけ救われる。
外で、雷が鳴った。
近い。
反射的に、身体が強張る。
——聞こえる。
——まだ、聞こえる。
私は、両手で耳を覆った。
子どもみたいな仕草。
でも、必要だった。
その瞬間——
**雨の声が、はっきり形を持った**。
〈来る〉
〈溜まっている〉
〈どこへ〉
頭の奥に、流れ込んでくる。
街。
谷。
人。
土。
選択肢が、同時に浮かぶ。
——今なら、間に合う。
——止められる。
——逸らせる。
胸が、熱くなる。
でも。
私は、目を閉じた。
「……ごめん」
誰に向けた言葉か、分からない。
雨か。
先代か。
それとも、
今までの自分か。
私は、**聞くのをやめた**。
音が、途切れる。
完全な静寂。
代わりに、
胸の奥が、すうっと冷えていく。
「……ユイ」
マレナが、名を呼ぶ。
私は、頷いた。
「大丈夫」
嘘じゃない。
辛いけど、
壊れてはいない。
——これが、代償。
力を使わない代わりに、
**世界との距離が、少しだけ開く**。
その夜。
雨は、降らなかった。
街では、
装置が動いたという話が広がる。
成功だと、皆が言う。
でも。
宿の前の路地に、
小さな跡が残っていた。
猫の足跡。
いつもより、深い。
まるで——
迷ったみたいに。
私は、しゃがみ込んで、それを見つめた。
聞いていないのに、
分かってしまう。
**何かが、ズレた**。
でも、それはまだ、
壊れた音じゃない。
選択は、終わっていない。
私は、立ち上がり、窓を閉めたまま、夜を待った。
聞かないと決めた夜が、
どんな形で返ってくるのか。
それを引き受ける覚悟だけは、
もう、できていた。




