山の先へ行こう
前回までのあらすじ:友達へ贈るペンをドワーフに作ってもらった。
外界の暑さも寒さも、遷ろう日々の色鮮やかさも。
季節を彩る花々の香りも、賑わう人々の喧騒も。
この純白の石堂からは排斥されている。
そこは、衆生にありとある苦楽の一切から隔てられた──或いは、“そうである”とされるものを模した──聖域。
そしてここは、その聖堂の最奥にある一室。
その室内は、床、壁、柱、天井に至るまで、まるで世界を裏返したかのように光沢の無い黒。
天頂にただ一つ在る水晶窓から円い光が静かに差すのみの暗中に目を凝らせば、無数に散りばめられた芥子粒ほどの魔石の砂が幽かに瞬いている。
地に這う弱き者が、届かずともなお遠き空を想う。時間と空間が曖昧に融けあった常夜の天球だ。
それは、信奉するものの象徴。
手の届きえぬ、果て無き広がりの模倣。
遍く時と空、始元と終末を超越する概念の偶像。
永劫、久遠、──〝無限〟。
「天眼にて観えし禍の時は来たり……」
力強いとは言えない、か細い吐息のようなその声は、しかし他に口を開く者の居ない静謐の中では思いの外くまなく響いた。
他の誰もが息一つ立てず、この場で最も尊き者の言葉に傾注する。
そして、その禍の畏ろしさを真に経験として知る者は、最早この場にその一人だけだった。
「清浄なる修験の地に、破滅の化生……古き羅刹が再び顕れる」
同じくそれを身をもって知っていた、かつては居た偉大なる先達や同胞達は、一人として戻っていない。
「今や遥か古。老いも若きも、強きも弱きも、数多の修験者が幾度と挑み、されど誰一人として彼奴を滅する事も破る事も叶わず──」
幾星霜と時を、世を、器を経るほどに。
遅々としながらも己の功を積み上げていくほどに。
あの時の“アレ”が、如何に常軌を逸したモノであったのかが垣間見え、そうして解っていく都度に恐怖した。
そしてその恐怖を嘲笑うように、己の徳の積み重ねを証明するように。
未来を見通す眼は、アレが再来する光景を鮮明なものとしていく。
それでも彼は、安心させるように、諭すように、励ますように──目を背け、忘れるように。
揺るがぬ『真理』を説く。
「かの邪鬼を退けしは、唯だ只管に真なる法を説き続ける、不屈の貴き信心のみと心得よ」
◇
父さんや合流したアカーラ師匠と一緒にドワーフの里を出た後、またエルフさんの木のカゴ、えーと、確か「ヴェンパランキーン」って言ったっけ。今度は無人の自動運転だったそれに乗って、俺達は山をどんどん下った。
もうかなり山からは離れたみたい。
って言っても、カゴから見える外の景色はずっと森だったから、父さんと師匠がそう言ってたから多分そうってだけで、俺にはよく分からなかったんだけどね。
それでその木がね、すごい勢いで通り過ぎてくんだよ。むしろ木の方がよけてるように見える。
音も、ふゅーーーーんっていう、あんまり聞いたことない不思議な感じ……こう、「ひゅーん」じゃなくて、「ふゅーん」なんだ。
父さんが使う『踏破』の魔法に似てるねって言ったら、やり方は全然違うけど起こってることはほんとに似てるんだって。
ニルギリからドワーフの里までの時はこんなすごいスピードじゃなかったと思うんだけど……ニルギリの方の森はエルフさんの力を濃くしてない、とかなのかな。
「ハァー……」
「ディー、どうかしたの?」
どうにもできないモヤモヤをそのまま吐いたみたいなため息をついたディーの見た目は、父さんの魔法でドワーフの里の時とはまた少し変わってる。もちろん俺もだけど。
「べつに……あー、アレだよ。
師匠も親父も、時間をのばしたりちぢめたりすっから、どんだけ経ってんのか分かんなくなるときあるなって」
「ええーっと、セイロニアから船で出て……確か1か月くらいかな?
ドワーフの里のステディアさんの工房は、行きと帰りで1日しか経ってなかったし」
カレンダーはときどき見かけてたけど、場所によって月の名前とか数え方が微妙に違うから、セイロニアの……ディーの故郷を出発して何日経ったのか、ちゃんとは分からない。
それに、父さんも師匠も時間の速さをすごく変えられるから、外の時間よりもディーとはもうずっと長く一緒にいるんだよね。
ドワーフの里は、駅の所の串焼き屋のコボルトさんに「おっ? 昨日のボウズじゃねぇの。また買ってくかい?」って呼びかけられたから、1日しか経ってなかったって分かったんだ。
久々の串焼き、おいしかったなあ。
「そっか。ってことはやっぱあの工房の中じゃめっちゃ時間のばしてたんだな」
「うん、そうだと思う。俺達も父さんも食事なくていいし、ドワーフの里じゃ太陽も見えないから正確なところは分かんないけど、あれはさすがに1日じゃなかったから」
俺と話しながら、ディーは新しくもらった短剣を見つめて、その柄をにぎにぎしてた。
父さんに作ってもらった俺の短剣とよく似てる。色味は違うけど、形は瓜二つ。
スヴェンさんが練習で真似て作ったものなんだから似てて当然なんだけどね。
父さんは何にも言ってないけど、師匠は「及第点と言ったとこかの。精進するが良かろ」って言ってた。
実際、本当に軽い一当てだったのかも知れないけど、師匠の剣を初めてまともに受け止められてたんだから相当すごい。
そしたら記念だって言って、スヴェンさんはその短剣を俺達にくれたんだ。
ちなみに同じように作ってた大人サイズの片手剣もあったけど、「どれ、些か剣気を乗せ一撫でしようかの」って言った師匠があっさり真っ二つに斬っちゃった……。
「2週間ぐらいか? もっとかもしれねえけど、その間ずっと剣作ってたスヴェンのおっさんも、師匠とやりあってたワツガのにーさんもたいがいだけどな」
「そうだね」
そういえば師匠が「父さんより弱い」って最初に言ってたワツガさんだけど、師匠相手に何度もあの剣を受けてたんだから十分すごい剣士……サムライ?さんだと思う。
剣ってあんな音出るんだね。なんかブザーみたいだったよ。
ちなみにそのワツガさんは、スヴェンさんのお手伝いのために工房に残ったんだ。
師匠を殺せる武器って……壮大な話だよなあ。
「……」
「……」
いや、ほんとは分かってる。ディーが言いたいこと。
ずっと師匠から目を逸らしてるもんね。
「カイ、ディー。そろそろだよ」
「だとサ。支度しなガキ共」
……全然違う見た目と声と口調になってるけど、今のは父さんと師匠だ。
俺とディーも、父さんの魔法で違う見た目に変わってる。
俺は黒っぽいくせっ毛で肌も日焼けしてる。セイロニア大陸にいた頃にちょっと似てるけど、もっと肌色が濃い感じだ。
ディーは黒・茶色・白の模様の毛に、オレンジと緑が混ざったみたいな瞳がすごくきれいだった。
思わずじっと覗き込んでたらディーに「ンなジロジロ見んな」って言われて顔逸らされちゃったけど。
あと名前の方は、俺が「カイ」……再会した父さんと初めて出かけた時と同じだ……なんだかすっかり昔のことみたいな気がする。
ディーはまた「ディー」のままだけど、書類上は「ディム」なんだって。
父さんは「グルドー」って名前で、暗い茶色の髪の毛がもっさりたくさん生えてる上に、ディーと同じ狼の耳や尻尾がついてる、明るいハキハキした声の狼人のお兄さん。
ニルギリの時のお姉さんな姿の衝撃がすごすぎて、特になんとも思わなかったけど普通に別人だよ。
狼人ってこと以外はなぜかどこにでもいそうに感じる、印象に残りにくい……何ていうか平凡な雰囲気。
まぁ……師匠が濃すぎるってのもあるんだけどね。
父さんいわく、わざと、らしいんだけど……。
……ええっと……その、師匠は……「カーリー」って名前で……その……。
それに全身の筋肉がものすごい……お姉さん……?
たぶんお姉さん、になってる。
体がすんごく大きくなってて、父さんよりも頭2つくらい大きい。
初めて会ったときの師匠と比べると6倍くらいは体積がありそう。大っきい……。縦も横も厚みも全部の方向に大きい。
……肌は俺よりもずっとまっ黒くて、いつの間にか曲刀って言うのかな、刃がぐいんって曲がった片手剣を腰につけてる。
髪の毛もうねうねした長い癖っ毛を無造作に縛ってまとめてて、元のままだなって思ったのは真っ赤な目だけかな?
服もなんだかいっぱい肌が出てるんだけど、色気ってよりも覇気がすごい。
なんか今までの戦利品で作ったみたいなドクロのネックレスとか腰に骨の飾り?たくさんつけてるし、そのくせ絶対動くとカラカラ鳴りそうなのに物音一つしないし。
それでも何もかも解決できそうな筋肉が、おかしいとか似合ってるかとかより「私はこれが自然で当然で正しい姿」みたいな説得力を持ってて……なんか納得させられちゃうんだ。
………。
俺達、“冒険者のパーティ”って設定なんだけど……これ、変じゃないのかな?
うーん……周りからどう見えてるんだろ……。
◇
「でっか……」
「わぁーー……近くで見ると、ほんと大っきいね。真っ白いし、なんか遠近感おかしくなっちゃったみたい」
『緑風の駕籠』から降りた息子達の目にまず留まったのは、巨大な2本の白い柱のようだ。
俺は柱を見上げるカイとディーを目で耳で五臓六腑で堪能しながら、視界と思考の極僅かな切れ端で機械的かつ魔術的にその他諸々の情報を捉えていた。
周囲に高い木々や身を隠せるような岩はなく、視界を遮るものが殆ど無い。射線が通っているとも言える。地質も固めで、魔法無しでは塹壕を作るのも苦労しそうだ。
そんな背の低い草となだらかな地面から突如そびえる2本の白亜の巨柱と、その向こうに広がる都市の光景は、あまりに異様だった。
柱の向こうには、馬車3台が並べるほどの同じく白い石畳が延び、多少白さにばらつきのある石造の家屋や施設が建ち並ぶ。
柱は単純な円柱ではなく緩やかにカーブを描いている。
地上に見えている部分以外に、全体の1/4ほどが地中に埋まっていて、高さは埋設部も含め39.8カイル(カイルが40人肩車すれば上端に手が届いたと振り返って至上の微笑みを俺へと投げ掛けるだろう)、周は27.3ディル(ディーが27人で抱きついてやや足りず不服な顔をするだろう)だ。
その全体の形状と白色の質感を加味すると、スケール的に真っ当な生物ではあり得ないが、どことなく牙を思わせた。
もちろん真っ当でない存在ならその限りではないが、これにはその手の素材特有の“圧”が殆ど無い。
石で作ったレプリカ、というのが一番しっくりくる。
その代わりに、地中の牙の先端にあたる部分から都市部へ魔力路……規模的に小径と言うより地脈が適切か、魔術的な繋がりが仕込まれているな。
「ええっと、この柱の間からしか中に入れないんだっけ?」
カイルの問い掛けに対し、俺はグルドーとして自然な口調で答える。
「そうだよカイ。ここ以外にもこういう出入り口はいくつかあるらしいけど、こういう決まった場所からしか町の中、というか寺院には入れないようになってるんだ。関所の代わりってところかな」
眼前の石柱は都市の出入り口であると同時に、“寺院”の出入り口でもある。
“寺院都市クノッソス”。
寺院を中心とした、というよりも、寺院の拡張とともにその内部にできあがったとされる都市国家のような共同体だ。つまり〝クノッソス〟は都市の名前であり、この大寺院の名前でもある。
「ふぅん……かべとかそういうの、まじで無いんだな」
ディーのきょろきょろと辺りを見回している様子が微笑ましい。その言葉通り、都市との境界は石畳の有無程度で、目視可能な周囲には内外を隔てる堀も塀も、柵の類いすら見当たらない。
にも関わらずクノッソスへの出入りは、この石柱のように決められた場所からしかできない。
「確か、向きが“反転”しちゃうんだっけ。跳ね返すのとは違うの?」
「そうだよ。反射っていうより半回転に近いね。矢を射ると鏃が射手向きになってそのまま返ってくるんだ」
「ハッ、井の中の坊主サマは低俗な輩がニガテだからなァ。
無作法なヤツは入って来んなと回れ右させてんのサァ」
これは、特別秘匿されているわけでもない有名な話のようで、事前に収集した情報にもあった。
ニルギリのそれとは全く異なる体系に基づいているのの、これが空間を区切る『結界』と総称される類いの魔法なのは間違いない。とは言え、都市国家を丸々覆うほどの大規模なものは珍しい。
「てか、いい加減入ンぞ。野宿好きの田舎クセェガキなら置いてくぜ?」
「あっはは。2人共、見て回るにしても、まずは宿を取ってからだよ」
「はーい」
「……」
どうしたカーリー、口に砂でも入ったか?