表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/52

トロイメライの虜囚



アルフォンソは夢を見ていた。

それは、アルフォンソが少年と言える年齢のころの話だ。

背が低く、体の細い自分の姿を見つめる。どこかぼんやりとした風景を眺めながら、アルフォンソは、小さなその背を追いかけ始める。

少年は父に連れられて初めて登城したようだ。

父が何を思って連れてきたのかは、分からない。父の主君に挨拶に行くわけでもなく、誰かに紹介されるわけでもなく、仕事を見せるわけでもなかったからだ。父は、仕事に向かうと息子に邪魔だから適当に時間をつぶせと言って、外に出した。

どこになにがあるかも分からない状態で、迷子になれとでもいうように外に出されて、息子は困惑しつつも歩き出した。父のそういった所業はいつものことだったからだ。

回廊は白く磨かれた石造りで、春うららかな日でも、体が底冷えする。そこかしこに配備された騎士たちは、少年の様子を窺いつつ、じっと気配を消したように立っていた。

腰にある剣は少年の右手よりもずっと大きく、たくましい。その剣を自由自在に振れる日が来るとは到底思えなくて、ため息をついた。

少年は剣術が好きではなかった。身長は伸び始める前で、体型は恵まれているとは言えない。毎日、毎日、剣の稽古をつけられるのが苦痛でたまらなかった。

少年は庭に出た。庭と呼ぶには花はなく、芝生と大きな木の足元には石でできたベンチが置かれていた。そこには、少女が一人、そして幼い娘がその少女の周りをはしゃぎまわっていた。

栗色の髪、緑の瞳の少女は、大人びた表情で、幼い娘を見つめる。

驚くほど神々しい幼女の金の髪がきらきらと光り、目を見張るほど美しかった。

思わず、少年は息をのんだ。これほど、美しい人を見たことがないと思った。少女は、そんな娘を見つめて、微笑んだ。膝に広げられた本をきゅっと握る手は白い。


「ローズベル、こちらにいらっしゃい。」


柔らかな声が、響いて少年はそちらを向いた。美しい幼女を呼んだのは、姿絵で見たことのある王妃陛下だ。少年は、思わずすくみ上って、柱の陰に隠れた。

走り寄ってきた幼女を抱き上げたのは、父親の顔をした陛下だ。両陛下とその娘は、なんとも美しい家族の理想の形のようで、少年は憧れ、羨望を抱いた。

ああ、なんと美しいのだろうか。この国を統べる人たちは。

少年は純粋にそう思った。父親に抱き上げられた美しい娘が、手を振るのを見るまでは。

その娘が振った手は、とても小さな無垢なものだった。

その先にいたのは、先ほど目の端でとらえた少女だ。茶色の髪、緑の瞳の娘は、一拍おいてから微笑んで手を振り返した。

美しい家族が過ぎ去るまで振っていた手は力なく膝に落ち、表情はすとんと落っこちた。

どうして、そんな顔をする。美しいあの娘に手を振られていたくせに、なぜ幸福な顔をしない。そう憤りに似た感情を覚えたが、それは一瞬で飛んで行った。

表情を失った少女は、静かに涙をこぼした。

こぶしに力が入る。

どうして、泣いている。どうして、そんなに静かに泣く。

どうして、子どもらしく泣かない。どうして、押し殺すように泣く。


「あの方は、」


両肩に力が込められて、少年は体をこわばらせた。振り返らずとも自分を追い出した父だと分かった。


「リコリス様だ。両陛下の長子にして、さっきの美しい娘の姉姫だよ。」

「……リコリス様。どうして、一緒に行かなかったの?」

「両陛下はお気づきになられなかったのだろう。」

「気づかなかった?」


あんなそばに居て、先ほどまで二人でいたのに、気づかないなんてことあるわけない。

理知的な瞳は泣いたことにやっと気づいたのか、瞬きを幾度か繰り返す。

美しい娘と、姉妹だと聞いても、ピンと来なかった。あの家族の一員と言われても嘘だと思った。似ていないからではなく、彼女だけ、違うもののように扱われているから。

少女は、ふっと微笑んだ。

泣いた自分を恥じ、そして、嘲笑するような微笑みだったけれど、諦めた瞬間の少女の瞳は何にも侵されない強さがあった。


「きれい、」

「あの方は、美しいだろう。誰よりも、何よりも。」

「はい。」


心からそう思った。見目の麗しさではなく、魂の美しさがある。少年は思った。


「騎士になりたいか。」

「はい。」

「お前なら、そう言うと思ったよ。」


その日から、少年は懸命に鍛錬に励んだ。自分に厳しくあるように、鍛錬に励んだ。誰よりも強くなって、認められれば姫の騎士にもなれる。そう思って、誰よりも、長く厳しい鍛錬をした。

両陛下から声がかかったとき、天にも昇る気持ちだった。そして、それは一瞬で打ち砕かれた。

そう、自分はリコリスのために騎士を目指したのだ。あの方が、泣いていたら涙をぬぐえるように。あの方が、涙を流さないように。

だが、いつからか、そんな無垢な思いは、あの方を我が物にしたいという気持ちに塗りつぶされていった。そのことに後悔はない。

あの方の背を懸命に追ううちに、愛するようになった。その愛は深く、大きくなり、いつしかその愛を返してほしいと願うようになった。

その思いを抱いてしまったことに、後悔はない。

ああ、あの方を抱きしめたい。鍛錬をする小さな背を横目に眺めて、騎士として完成した体のアルフォンソはそんなことを思った。

小さな背をしたこの時の自分は、まだ知らない。あの方の強さも、儚さも、抱きしめたときの柔らかさも小ささも。

そのすべてを、もう一度享受したい。

アルフォンソは、その手を取れるのならば、何を捨てても構わないと、思った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ