9話目
翌日の早朝。
5時頃に目を覚ました下着姿の涼介は靴下を履いてからジャージ上下を着ると、ポケットにスマートフォンを入れてから首にタオルを掛け、部屋を後にした。
未だ5時だと言う事もあり、母親は寝室で寝ている。
そんな母親を起こさぬ様、一切の音を立てる事無く、気取られる事も無く。
ソレこそ、向こうで失敗しないのが当たり前。と、言うレベルとなるまでに数えるのもバカバカしくなる程に行い、練り上げて来た無音殺人の業を用いて玄関まで赴けば、靴を履いて外へと出た。
外は明るいが、未だ薄暗く。肌寒さもあった。
そんな中で涼介は準備運動する事無く駆け出して行く。
黙々と走って住宅地を抜けて開けた主道に出ると、道に沿って走り続ける。
途中の坂道でもペースを一切崩す事無く走ってT字路に出ると、右に曲がって道なりに沿って走る。
そうして黙々と静かに走り続けて駅の近くまで来れば、信号を渡って公園のある並木道へと走り出していく。
それからも道なりを延々と走り続けて小学校が見えて来ると、右折して小学校沿いの道を走っていく。
慣れた近所であるが故に直ぐに先程走り抜けた主道の始まりまで来ると、涼介は先程通った道を再び走った。
そうして再び駅の近くまで走ると、涼介は公園の中へと駆け足で踏み入れる。
それから程なくして広場まで来ると、涼介は火照って汗で濡れた顔を首のタオルで拭いてから筋トレを始めた。
黙々と静かに腕立て伏せをしていると、アリスが尋ねる。
「本当にあの男から持ち掛けられた仕事をするのですか?」
あの男。もとい、塚地が持ち掛けて来た仕事をするのか?
そう問われると、涼介は腕立て伏せをしながら答える。
「したくないがする」
「その理由を聞いても?」
「借りをそのままにするのは気分が悪い。そんだけの事だ」
涼介は塚地に借りを作ってしまった。
自分のせいではないとはいえ、2人の愛した女がヤラかした不始末は指揮官となった己が取るのが筋。
それ故に涼介は塚地が仕事を1つ完了させれば、不始末を"チャラ"にしてくれると言う誘いに乗る事を選んだ。
しかし、アリスはソレを浅慮と異論を挟んだ。
「彼の依頼が何なのか?未だ解らないのに引き受けるのは流石に不味いと思いますが?」
そんなアリスの異論に涼介は腕立て伏せをしながら反論する。
「借りをそのままにするのも不味い。アイツみたいなタイプとの借りは返さずにいると、後々で面倒臭い事になる」
涼介が向こうで過去に見てきた様々な強者。そんな中でも一際厄介な部類の者達と同類と、涼介は塚地の事を見ていた。
それ故にさっさと返せる内に借りを返し、チャラにしないと余計面倒臭い事になる。そう判断したからこそ、涼介は塚地への借りをさっさと返したかった。
そんな思惑を知ると、アリスは一応は納得してくれた。
「そう言う事なら止めません。と、言うか貴方は私の意見を取り入れてはくれますが、基本的に無視するので無駄と判断します」
「悪いな」
「私は困りません。寧ろ、貴方が酷い目に遭うのをポップコーンとジュース片手に愉しむ事にします」
AIの癖に感情豊かに返すアリスに涼介は「アガるな」そう返すと、腕立て伏せを続けた。
その後、腕立て伏せを200回終わらせた涼介がプランクを始めると、アリスから報告が来る。
「貴方に面倒を押し付けるお友達が来ましたよ」
遠回しに塚地が来た事をアリスが告げると、その言葉の通り、塚地が暢気に歩いてやって来た。
プランクをする涼介の前に立つと、塚地は呆れ混じりに言う。
「朝から10キロ近く走って、その後に腕立て伏せ200回とか凄いな。陸自の気合入った陸曹かよ?」
まるで監視をしていたかの様に塚地が言えば、涼介は気にする事無く尋ねる。
「お前こそ自宅から態々此処まで来て、何の用だよ?」
「そりゃ勿論、仕事の話の為さ」
そう告げると、塚地は手にしていたアウトドア用の小さな椅子を広げて座り、涼介のプランクを眺めながら申し訳無さそうに告げる。
「正直言うと、お前に押し付ける羽目になって申し訳無く思ってる。本当なら、死んでも構わない腕の良い外部のプロを招聘する予定だったんだが、そのプロは仕事の真っ最中で連絡が付かないんだ」
「どう言う奴なんだ?」
プランクを続けながら涼介が問うと、塚地は答える。
「え?元CIA工作員な凄腕さんで、カネ次第でタイラー・レイクの真似事もしてくれる優秀なヴェテランのクソ野郎」
塚地が当初雇う予定であった人物の事を簡単に告げれば、涼介は嫌味たらしく返した。
「俺をそんな凄腕さんと同じレベルと見てくれて嬉しいね」
そんな涼介に塚地は忖度無しに告げる。
「暴力面は同レベルだろうけど、他の技術は確実にその人の方が上だけどな……」
塚地の嘘偽り無い言葉に涼介は当然の様に返した。
「そりゃ、そうだろ。俺は銃をブッ放すぐらいしか能が無い」
涼介は銃をブッ放すぐらいしか自分に取り柄は無い。と、本心から思っていた。
だが、傍らで控える長年の相棒であったドゥマは隣に立つオルガへ呆れ混じりに「コイツ、相変わらず嘘つきよ」そう漏らせば、オルガはさも当然の如く「知ってる」と、返した。
そんな2人の遣り取りを塚地が知る事は無い。が、塚地は涼介のその言葉を嘘と断じる。
「嘘つけ。銃をブッ放すしか能が無い奴が30年も暴力の世界で生き残れる程、甘くねぇだろうがよ……」
「で、俺に頼みたい仕事って具体的に何だ?」
呆れる塚地に涼介がプランクを辞めて問えば、塚地は仕事内容を切り出して来た。
「それなんだけどな……俺は知らないんだ」
困った様子でそう答えると、涼介は呆れてしまう。
「持ちかけて来た張本人であるお前が知らないって、どう言う事だよ?」
「正直言うと、面倒な取引先からの要求でな、腕の良いプロを寄越せって言われてるだけなんだよ」
塚地は正直に答えると、涼介は益々呆れてしまう。
「お前、それなのに俺に仕事させようってのか?」
「悪いとは思ってるよ。だが、お前にメリットが無い訳じゃない」
塚地がメリットがある。
そう告げると、涼介は沈黙を以て続きを促した。
「その取引先はオカルトやファンタジー絡みの事にメッチャ詳しい人物でな、俺もオカルトやファンタジー絡みの面倒が起きた時に助力を頼んでる」
オカルトやファンタジー絡みの事に詳しい。
そう聞かされると、涼介は気にするのを辞めた。
「良いだろう。そう言う事なら、引き受ける」
「そう言って貰えると助かる。あ、仕事内容を聞いた後で断っても良いからな?ソレに備えて人材捜しとくから」
塚地が申し訳無さそうに断っても良い。そう告げると、涼介はさも当然の如く問う。
「捜す必要は無い。それより、報酬は幾らだ?」
「カネ取るのかよ?」
「当たり前だ。良い仕事をした奴にはソレに見合った対価が支払われるべきだろ?ソレが資本主義社会って奴なんだからよ……」
涼介がガメつく報酬を寄越せ。と、要求すれば、塚地は仕方無いと言わんばかりに自分が支払う金額を提示した。
「そうだな、前金として借りはチャラにする。で、後金つうか成功報酬で300万払う……円だからな?ドルじゃねぇからな」
「ソレなら文句無しだ。けど、武器弾薬は無償つうかソッチ持ちで頼むぞ……ピストル一丁で片付かない問題押し付けられそうな気配するから」
「ソレは喜んで提供させて貰うさ……だからと言って、核弾頭とか要求すんなよ?宛が無い訳じゃないが、日本国内でピカドンはマジで洒落にならんから」
「マジ?核弾頭の調達の宛あるの?」
「核は流石に冗談だ」
笑って冗談だと返す塚地であったが、何故か目は笑ってなかった。
そんな塚地は思い出した様に言う。
「おっと、忘れる所だった。お前に仕事頼んだ後……お前がくれた土産の件でお前の祖父さんと話をしたんだけどな」
「ソレが?」
「お前の祖父さん、お前がしたって事を既に知ってた。で、その件も交えて簡単に話をしたから、多分だけどお前に接触を図ろうとして来ると思うぞ」
「なら、お前の仕事は芦屋との件が片付いた後で良いか?流石に面倒を同時に抱えては出来ねぇわ」
「俺の方で先方に話は通しておくから、お前の面倒が片付いたら言ってくれ」
そうして用が済めば、塚地は椅子を片付けて涼介の元から去った。
独り残された涼介は気分が乗らなかったのだろう。
予定してた他の筋トレをする事無く駆け出し、家路につくのであった。
「ただいまー」
暢気な声と共に帰宅すると、リビングから母親の「おかえりー」の声が返って来た。
涼介は汗だくのまま自分の部屋に赴くと、クローゼットからパンツとシャツを出して部屋を後にし、バスルームへと赴く。
程なくしてバスルームに来れば、汗だくのジャージ上下を脱いで洗濯機に放り込んでから靴下と下着上下を脱いでいく。
そうして一糸纏わぬ姿になると、鍛えられた四肢と共に両の上腕と左胸。それに背中が彫り物で彩られた肉体が露となる。
涼介は洗面台の鏡を介して自分の入れた彫り物を見詰め始めた。
向こうで独裁者に喧嘩売って、ブタ箱にブチ込まれた時に入れた彫り物……
左胸の鉄格子に囲われた髑髏は終身刑。
左腕の犬の首を掲げる悪魔は、独裁者の手下を殺したゲリラ。
右腕の稲妻は俺よりも速いガンマンは居ない。って、イキって入れたっけな……
前から見える彫り物は俗に言う監獄タトゥーであった。
向こうに居た頃、独裁者に抵抗するゲリラに雇われ、ゲリラの一員として独裁者の軍を相手にドンパチ。で、ミスって捕まり、終身刑の判決と共に監獄に送られた。
そんな懐かしい記憶を思い出すと、涼介は鏡に背を向けて振り向き、背に入れた彫り物……剣を携えて天秤を掲げる女神と己のモットーを見詰める。
コレは完全にイキってた頃のだ。元の世界に帰れないって諦めも込めて入れた。
目隠しと天秤の女神は裁きを司る。
俺は俺自身に訪れるだろう裁きや報いを抵抗の末に受け入れる覚悟を……
モットーは日本語に訳せば『役立たず共に変わって仕事をしてやる』今改めて見ても、マジでイキってたな……
自身が背中に入れた彫り物を自嘲交じりに見返すと、涼介はバスルームの中へ入ってシャワーを浴び始めた。
汗を熱い湯で洗い流し、頭をトニックシャンプーで入念に洗ってからボディーソープを垂らして泡立てたボディータオルで身体をゴシゴシと洗えば、泡を洗い流していく。
そして、髭を剃って顔を洗い終えれば、バスルームを後にした。
バスタオルで身体の雫を入念に拭ってパンツを履くと、涼介はシャツを手にリビングへと赴いていく。
朝食の支度をしていた母親が涼介の彫り物を昨日の朝振りに目の当たりにすると、母親はゲンナリとしてしまう。
「昨日も聞いたけどさ、アンタなんで刺青なんて入れたのよ?しかも、どー見ても真っ当なデザインじゃないし……」
「入れた時は元の世界に帰れるとは思ってなかったし、向こうで死ぬもんだと思ってたんだって……まぁ、死んだのに帰れたけどさ」
実際、当時の涼介は元の世界に帰れるとは思ってなかった。
無論、帰る気も無くなってたし、向こうで死ぬとすら思ってた。
そんな息子にゲンナリとしながらも、母親は「さっさと朝ごはん食べなさい」そう告げれば、涼介はシャツを着て朝ごはんを食べ始める。
涼介が焼かれたバターを塗り終えた2枚の食パンにサラダと2枚のハムと1枚のチーズ。それにオムレツを挟んでサンドイッチにすると、母親は告げる。
「今日、お祖父ちゃんが来るわ。芦屋の件と貴方が殺した幻夜の件でね」
母親の口から祖父が来訪する事を告げられると、涼介は初めて知った様に返す。
「祖父ちゃんと会うなんて冬休み以来だなぁ……」
すっとぼけた様子で宣う涼介に母親は「何でお祖父ちゃんが今日来るのを知ってるのよ?」その言葉と共に訝しんでしまうが、涼介は気にする事無くサンドイッチを頬張っていく。
そんな涼介に母親は吐露する様に想いをぶつけて来た。
「私は貴方に実家の家業と関わって欲しくない。ソレは今でも思ってる。だけど、同時に見えない所でコソコソと悪行をされるよりは実家の管理下にあるべきではないか?そうも思い始めてもいる」
母親である彼女からすれば、今の涼介は危険極まりない存在にしか見えなかった。
実際、涼介な素手でも人を容易く殺せる。そればかりか、人を殺しても平然と涼しい顔で居られもする。
そんな母親に涼介は食べ終えてから告げる。
「1つだけ仕事をする。ソレが済めば、俺は平和に生きるよ」
その言葉に嘘は一応は無い。
塚地の仕事を完了させた後は当面の間。と、言うよりは事情や情勢が許される限りは平和に生きるつもりであった。
だが、そう返した涼介の瞳が憎悪と怒りを滾らせ、同時に何かを待ってる様な期待に満ちている事に気付いた母親は指摘する様に問う。
「そう言う割には、"誰か"を殺したくてウズウズしている様にしか見えないわよ?」
その問いに涼介が答える事は無かった。
涼介は「ごちそうさま」の言葉と共に席を立つと、部屋へと歩みを進めて行く。
自室へ赴いた涼介は靴下を履いてから白のワイシャツと制服の下衣を履くと、ズボンの腰にGLOCK17を差し、左右の尻ポケットに弾倉を2本入れた。
そんな銃と弾倉を隠す様にして制服の上衣を羽織ると、ボタンを留めて教科書を始めとした勉強道具の詰まったリュックサックを背負って家を後にするのであった。




