信長の天下布武 春 飢男 はる うえおの青春 時空警察編
印文「天下布武」の朱印を信長は使用しはじめている。この印判の「天下」の意味は、日本全国を指すものではなく、五畿内を意味すると考えられており、室町幕府再興の意志を込めたものであった。11月9日には、正親町天皇が信長を「古今無双の名将」と褒めつつ、御料所の回復・誠仁親王の元服費用の拠出を求めたが[注釈 42]、信長は丁重に「まずもって心得存じ候(考えておきます)」と返答している。
一方、すでに述べたとおり、三好氏による襲撃の危険が生じたことから、義昭は近江国を脱出して、越前国の朝倉義景のもとに身を寄せていた。しかし、本願寺との敵対という状況下では義景は上洛できず、永禄11年(1568年)7月には信長は義昭を上洛させるために、和田惟政に村井貞勝や不破光治・島田秀満らを付けて越前国に派遣している。義昭は同月13日に一乗谷を出て美濃国に向かい、25日に岐阜城下の立政寺にて信長と会見した。
春は14才の少年だった。
戦国時代にうまれ信長のそばでそだった春はもてる信長にたいして陰のものであった。
現代でいうチーズ牛丼くってそうなかおのやつというやつである。
取り立て不幸な生い立ちもなく普通にそだった春は信長にあこがれていた。
カリスマがあって決断力も人望も資産もある。
そんな信長のとりまきとしてそだった春のまわりには信長目当ての女ばかり集まっていた。
『ぢぐじょう!!なにがぢがぅっでんだ!!』
青春に飢えていた。
はるうえおは青春に飢えていた。
そんなときだった。
『黒衣衆が帰ってきたぞー』
モノクロの世界にどす黒い、なのに赤に染まった、きれいな華にみえた。
『うげぇぇちのにおいだぁ』
『くっさぁーにげえろぉ』
観衆は黒い衣に血染めの着衣の異臭に畏怖したがこどもたちは、くさいといってはしゃいでいた、そんななか我々を守ってくれてありがとうというこえがきこえた。
沸き立つ歓声。
黄色い悲鳴まで聞こえてアイドルのようになっており、ウツロは内心どこの48なのとおもいながらかけた二名の死者をだしたことをともらいながら凱旋した。
英雄に見えた。
それぞれが黒と赤でかがやいてみえて、白い背景がちゃいろのつちいろにかわっていった。
絵の具が水面に垂れてすいめんをそめあげていくように。
鼓動とともにはやまって、いきづかいがあらくなり視界が狭くなる。
気を失った。
『大丈夫か?小僧』
『あなたはだれ?』
抱き抱えられた少年は春、それをかたひざに上半身をのせているのは深井だった。
『のめ』
『はい....』
こくりと喉仏をとおるポーション。
『すごい!からだが軽い!いろがみえる!!』
ポーションで病気が駆逐されたのだ。自己治癒して正常に戻った組織たちは春に色を与えた。
『よかったな』
『ありがとうござぃます!』
『なはなんともうしますか?』
『深井じゃ。興味があればうちにくればええ、たくましいおのこはわしらのたからじゃ!』
『はい!!!』
ロマンチック忍者の祖先がこの春飢男という一番ひよわで骨格のよかった少年に魔力の素となるポーションを血液に浸透させた瞬間であった。
永禄11年(1568年)9月7日、信長は足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。すでに三好義継や松永久秀らは義昭の上洛に協力し、反義昭勢力の牽制に動いていた一方、義昭・信長に対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の攻撃を受け、12日に本拠地の観音寺城を放棄せざるを得なくなった(観音寺城の戦い)。六角父子は甲賀郡に後退、以降はゲリラ戦を展開した。
永禄11年10月18日、足利義昭は将軍に就任した。信長は、畿内の成敗を終えた後、同月26日、岐阜に戻った。義昭は信長に副将軍か管領を授けようとしたが、足利家の桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り、遠慮したとされる(ただし、朝廷や幕府は、文書や礼式上、信長を管領に準じて扱っていた。また、草津と大津、堺の土地を貰った。




