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番外編: まゆげスワン ~ 妖精の男の子 の裏側で

「ピロアギ?」

「ヒ・ロ・ア・キ だよ」

「ピロアキ?」

「ピじゃなくてヒだよ」

ジンギスカンを食べ終わると、裕章は4歳になったばかりの

姪っ子の美雪に名前を正しく言わせようと苦戦していた。

ビールを飲んだ少し赤くなった顔で大真面目に教えている。

うまく言えなくて不満そうな美雪に私はこう教えてあげた。

「お兄ちゃんは『ピロたん』でいいよ。」

「分かった!」

美雪の顔はパッと明るくなり、

裕章は私の方を向いて「おいおい」と目を剥いた。

「じゃあピロたん、お人形で遊ぼう。

ピロたんがお父さんだよ。」

裕章は困り顔で姪っ子から熊のぬいぐるみを受け取っていた。

「よかったね、ピロたん。若い子にモテモテだね。」

笑いをこらえきれなかった。


「今度の彼、いい人じゃないか。」

兄がこっそりつぶやいた。

「最初にしっかり挨拶してくれたんで安心したよ。

気難しいかと思ったけど話してみたらそうでもないし、

子供たちとも遊んでくれる。

お付き合いしてどれくらいなんだ?」

「お付き合いって、まだ知り合ったばかりだよ。」

ここに来る直前に出会ったばかりだとは言えなかった。


「また来てね、ピロたん」

翌日、帰る頃には美雪はすっかり裕章になついていた。

みんなと賑やかに別れると急に静かになった。


「本当にありがとう。

子供たちの面倒大変だったでしょ?」

「大したことないさ。」

「美雪が身内以外の人に懐くの初めて見たわ。

あなた子供好きには見えないのにね。」

「かわいい子なら大好きだよ。」

と笑った。


ほんの軽い気持ちで聞いてみた。

「涼音とはどれくらい付き合ってたの?」

裕章の唇を噛み締め、黙り込んだ。

「ごめんなさい。まだ別れたばかりで

気持ちの整理出来てないよね。

涼音があの旦那様以外の人と付き合うなんて

信じられなくて。つい聞いちゃったの。

本当にごめんなさい。」

私は頭を下げた。

「いや、構わないよ。」

裕章は一呼吸おいた。

「付き合いは一年。去年の秋からは一緒に住んでた。

プロポーズしてOKももらった。

でも昨日、あの家に戻るって振られた。

まぁそんなとこさ。」


タイヤの転がる音が急に大きくなった気がした。

『旦那様とケンカした。』と涼音から聞いていた。

でも森野さん以外の人と結婚しようとしていたなんて考えもしなかった。

「そうだったんだ。」と答えるのが精一杯だった。

気まずい沈黙が続いた。


やがて裕章は前を向いたまま口を開いた。

「この後、ちょっと寄りたい場所があるんだ。

一緒に行ってもらえるかな?

その後、国分寺まで送るからさ。」

「うん。」

どういう顔をしたらいいのか分からなかった。


裕章は吉祥寺のガード下に車を停めると何も言わずに歩き始めた。

井の頭公園に入り、池の周りを歩き、ボート乗り場で止まった。

「一緒にボートに乗ろう。」

驚いている私の返事を待たずに、裕章は私の手を取りボートに乗り込んだ。

そして黙々とボートを漕ぎ始めた。

それは何かの修行のようだった。

ボートはものすごいスピードで何度も池を往復した。

他のボートは私たちのボートが通るコースを避けていた。

岸から見ている人もいるくらいだった。

10分経ち、20分を過ぎても、裕章は止めなかった。

30分後、裕章は漕ぐのを止めた。いや漕げなくなった。

汗だくになり、ゼェゼェと肩で息をしている。

「代わって。私が漕いであげる。」

はじめは渋っていた裕章も3回目には交代してくれた。

「どういうつもり?

あんなに必死でボートを漕ぐ人初めて見たわ。」

裕章は答えなかった。

「知ってる?このボートに恋人で乗ると別れるっていう噂。」

「あぁ」裕章は短く答えた。まだ息が切れている。

「だから乗りたかった。」

私は吹き出した。

「私たち付き合ってないでしょ。」

裕章はニコリともせず、こうつぶやいた。

「君のこと好きになった。」

その言葉にドキっとした。

「最低だろ?婚約者と別れた直後に、その親友を好きになるなんて。」

最後に吐きすてるようにつぶやいた。

「これ以上、好きになる前に別れなきゃ。」

私は話す言葉を見つけられなかった。

そのまま黙ったまま時間までボートに乗り、

何も話さないまま、国分寺の駅で別れた。


モヤモヤしたまま3日間が過ぎた。

木曜日の朝、私は兄がもらった名刺のアドレスにメールした。

「今度の土曜日、私とボートに乗ってくれない?

午後1時に乗り場で待ってる。」

返事は来なかった。

期待していなかったのに裕章は困った顔で時間通り現れた。

「もう会わないほうがいい。」

「別れたいんでしょ?

だったら、もう一回乗って念押ししてもいいじゃない。」

私の言葉に裕章は短くため息をつきながらた無言でうなづいた。


その日は私が先に漕ぎ始めた。

「真理恵はなんでボートに乗りたいの?」

「あなたのせいじゃない。先週、変なこと言うから、

親友の元彼が気になって困ってるの。」

裕章は微妙な顔をした。


「森野さんとは、どんな関係なの?」

「親友の恋人よ。なんで?」

「この前のパン、腑に落ちないんだ。

涼音には連絡してないだろ?

森野さんと二人で食べるつもりだったんじゃないの?」

ボートを漕ぐ手を止めた。

すぐには答えられなかった。

波に揺れてオールがギーギーと音を立てた。

「バレたか。一度、二人だけで話してみたかったんだ。」

「好きだったの?」

「憧れかな。あんな風に優しくて信頼出来る彼がいいなって。

涼音がうらやましかった。ケンカしたって話から大分経ったから、

どうなってるか気になったし。」

「ふーん 。」


「裕章はなんであの時、涼音を追いかけなかったの?」

「実のところ来る前から覚悟してたんだ。

それまでいろいろやったけど、涼音はずっと

森野さんしか見ていなかった。

だから『あの家に帰る』っていわれたら、

涼音の背中を押しかなかった。」

「あなたいい人ね。」

私は軽く笑った。

「涼音と森野さんの結び付きは特別だからね。

結局、飛び出した涼音が帰るのが遅くなっただけ

じゃないのかな。」

「俺が邪魔してたってこと?」

「涼音が迷うくらい魅力的ってことじゃない。」

「褒められてるんだか、貶されてるんだか。」

「裕章は本当に素敵だよ。」

「何言ってんの。」

そう言って顔を背けた。


「俺たち付き合ったらダメかな?」

「あなたはいいかもしれないけど。

私、涼音や森野さんに会わせる顔がないよ。」

「そうだよな。」

「そうだよ。」

「やっぱり、そうだよな。」

裕章は下を向いた。その顔がやけに寂しそうだった。

「そうだ。裕章が名前変えればいいんだよ。

『僕、マツダピロアギ。よろぴくね』って。」

「バカなこと言うなよ。」

顔がほころんだ。

「うん、裕章は笑ったほうがいいよ。

かわいい顔してるんだから。」

「なんだよ、それ。」

少し怒ったように言った。

「ほら、そういうとこ。ちょっとガキっぽいとこあるんだよね。

ねぇ、ピロたん。」

「ピロたんは止めろよ。」

「あはは」私は笑った。

「からかうとムキになるところが余計にかわいいんだよね。」


そんなふうに話してるうちに1時間、経っていた。

ボートを降りたところで、別れたくなかった。

「ねぇ、晩御飯、ウチで食べてかない?

実家からイクラとかホッケとか沢山届いたんだけど、

一人じゃ食べきれないんだ。」

「止めとくよ。別れようとしてるんだぜ。」

「いいじゃん、どうせすぐに別れるんだから。」

裕章はしばらく考えていた。

「じゃあ、ちょっとだけ。

真理恵にはいつも何か食べさせられてるな。」

「おいしいもの食べといて文句言わないの。

素直じゃないな。」


私の部屋についたのは午後4時。

まだ少し早いからとポテチでビールを飲み始めた。

「ピロたん。はい、ビール。」

「ありがと。でもピロたんはやめろよ。」

「涼音に『裕章』って呼ばれてたんでしょ?

同じ呼び方はやだよ。」

「じゃあ真理恵は『まりっぺ』だ。」

「何それ。田舎者って感じでやだな。

ねぇフェアリーなんてどう?」

「フェアリー?」

「涼音が森野さんだけに許している呼び方。」

「涼音には合ってるけど真理恵は違うな。

同じ妖精でもイタズラ好きの『ピクシー』だろ?」

「『ピクシー』?なんか言いにくくない?」

「じゃあ、ピク。」

「なによ、この口の悪いピロは。」

「なんだよ、この生意気なピクは。」

二人で顔を見合わせて大笑いした。


それから裕章がボートでインターハイに行ったとか、

私がバスケやってたとか、高校時代の話をしているうちに、

いつの間にか時間がたってビールもおつまみもなくなった。

晩御飯の用意が面倒になり、コンビニで

ビールとおつまみとおにぎりを買ってきて、

酒屋でウイスキーを追加した。

好きな映画とか、音楽とか、小さいころの遊びとか、

話が尽きなかった。何度も大笑いした。

気が付くと目の前に裕章の顔があった。

二人で見つめ合った。軽いキスをした。

「これくらいいいよね、すぐ別れるんだから。」

「これ以上はしないよ。すぐ別れるんだから。」

抱き合ったまま互いにそう言い合った。


気がついたら二人とも毛布に包まったまま朝になっていた。

コーヒーメーカーを仕掛けて散らかった缶やゴミを片付けていたら、

裕章がゴソゴソ起きだした。

「おはよう、ピロたん。」とあいさつすると、

「おはよう、ピク。」アクビしながら応えた。

「きれいに片付いてるね。」

「かわいい妖精が片付けたんだよ。」

「そうか。」周りを見渡し神妙な顔になった。

「ありがとうな、ピク。」

起きたばかりはわりと素直らしい。


寝不足と軽い二日酔いでボーっとしながらコーヒーを

飲んでいると裕章が「もう一度、井の頭公園に行こう。」と言い出した。

「もう手漕ぎボートはいやだよ。スワンならいいけど。」

私が言っても、裕章は真面目な顔のまま返事をしなかった。


井の頭公園につくと裕章はいつも違う方向に向かった。

辿り着いたのは弁天様だった。

裕章は私を横に並ばせ100円玉を賽銭箱に投げ込むと

声を出して祈り始めた。

「俺はこの子と付き合おうと思います。

彼女は俺が結婚しようとした女性の親友です。

だから別れようとボートに乗りました。

でも彼女のことを好きにならずにはいられません。

別れようとしていたのに勝手だと思いますが、

嫉妬しないで見守ってもらえませんか?

お願いします。」

そして私の方に向いた。

「涼音や森野さんとは気まずいと思うけど、

付き合ってもらえないかな?

必要な時は俺が説明するからさ。」

そう言って、私を真っ直ぐ見つめた。

「必要な時っていつよ?」

私は笑って応えた。

財布の中を見ると1円玉と500円玉しかなかった。

少し迷ったけれど思い切って500円玉を取り出して

賽銭箱に投げ入れた。

「私も彼のことが好きなんです。

親友に合わせる顔がありません。

でも止められないんです。

お願いですから邪魔しないでください。」

ここで一旦、頭を下げた。

「あと、いつもより多めにお賽銭いれました。

できれば許したっていう証拠を見せてください。

お願いします。」

そう言ってもう一回、お辞儀した。

頭を上げると裕章が笑っていた。

「神様に追加サービスを要求する奴、初めて見たよ。」


そこから二人でボート乗り場へ向かった。

初めて手をつないで歩いた。

乗ろうとしたスワンボートを見て私の足が止まった。

「どうした?」

涙があふれそうになっている私を見て、

裕章が心配そうな声を出した。

「500円出したご利益はあったみたいだよ。」

私たちの前には井の頭公園の何十隻ある

スワンボートのうち1隻しかない

マユゲの描かれたスワンが停まっていた。

「弁天様、私たちを祝福してくれるって。

もう別れようとしても弁天様が許さないね。」

私は裕章に腕に抱きついた。裕章も微笑んだ。

「よかった。これでまた美雪ちゃんに会えるな。」

「もぉホント素直じゃないね、このピロたんは。」

私は裕章の脇腹にパンチした。

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