第65話: これは、まだ人間の戦争なのか
はじめまして、または再びこんにちは。今回もお付き合いいただきありがとうございます。
カリマンタン。
夜はまだ完全には訪れていなかったが、空はすでに黒い雲に覆われ、広大な森の上に低く垂れ込めていた。
数時間前から降り続いている雨によって、道路は泥に覆われている。
その道路の中央を、インドネシア軍の装甲車両部隊がゆっくりと進んでいた。
重いエンジン音が、静まり返った森の中に響き渡る。
先頭車両の内部では、数人の兵士が戦術ディスプレイを見つめ、周囲の状況を確認していた。
大規模な敵の動きは確認されていない。
彼らの目に映るのは、広大な森林と、前方へ延々と続く一本の道路だけだった。
「……静かすぎるな。」
一人の兵士が小さく呟いた。
指揮官は画面から目を離さずに答える。
「静かなほうがいいだろ。」
「ですが……」
兵士は再び窓の外へ視線を向けた。
「ここは敵の占領地域ですよ。」
指揮官は数秒間、黙った。
彼らは、以前PANDEMONIUMによって占領された地域へ向かっている。
しかし、この地域へ入ってからというもの、彼らはほとんど抵抗を受けていなかった。
航空攻撃もない。
地上部隊も見えない。
敵の装甲車両すら確認できない。
偵察用ドローンからも、目立った異常は報告されていなかった。
「……情報では、この先に敵の防衛線があるはずだ。」
「はい。」
指揮官は背もたれに身体を預ける。
「なら、こちらの装備を見せてやろう。」
車外では、一台の最新型戦車が他の車両を率いるように進んでいた。
その姿は、これまでのインドネシア軍戦車とは大きく異なっている。
最新世代の装甲。
高度なセンサー。
自動化された戦闘システム。
そして、未来の戦場を想定して開発された防御機構。
インドネシア軍には、自分たちの戦力に自信を持つ理由があった。
「この戦力なら、PANDEMONIUMの地上部隊にも簡単には負けない。」
「そうですね。」
別の兵士が笑った。
「ガルーダ義勇軍は、ここまで強くなったんです。」
「今度は、俺たちが奴らを追い返す番だ。」
車内に小さな笑い声が広がった。
ほんの少しだけ。
彼らは、本気で勝利を信じていた。
しかし――
「……止まれ。」
突然、指揮官が命令した。
後続の車両も次々と速度を落としていく。
「どうしました?」
指揮官は答えなかった。
ただ、前方の道路をじっと見つめていた。
道路の様子が変わっていた。
左右には長い溝が掘られている。
その一部は、金属製の補強材によって強化されていた。
「防衛線……?」
兵士が呟く。
指揮官は小さく頷いた。
「おそらくな。」
しかし、そこには兵士の姿がない。
武器も見えない。
監視塔すら存在しない。
その代わり――
道路の両側には、奇妙な金属製の柱が立っていた。
一本。
そして、また一本。
さらにその先にも。
進めば進むほど、その数は増えていった。
「……あれは?」
一人の兵士が窓の外を指差した。
「何だ?」
「鉄の柱……ですよね?」
指揮官は車両のカメラを拡大する。
柱は数メートルほどの高さがあり、黒い表面は雨に濡れていた。
旗もない。
文字もない。
一見しただけでは、兵器にも見えない。
ただ、そこに静かに立っている。
「敵の監視装置か?」
「反応はありません。」
「センサーにも?」
「はい。」
指揮官は眉をひそめた。
「……妙だな。」
車両は再び動き始めた。
一つ目の柱を通過する。
何も起こらない。
二つ目。
やはり何もない。
三つ目。
それでも何も起きない。
「……何も起きませんね。」
「だから言っただろ。考えすぎだ。」
兵士は苦笑した。
だが、その直後――
遠くから、何かが聞こえた。
「……誰か、いる?」
全員が黙り込んだ。
雨音に混じって、かすかな人の声が聞こえた。
「今の……何だ?」
「分かりません。」
指揮官は手を上げる。
全部隊が停止した。
「前方を確認する。」
偵察車両がゆっくりと前へ進んでいく。
ヘッドライトが霧を切り裂く。
しかし、何も見えない。
「……」
しばらくして、無線から声が入った。
『……隊長。』
「何だ?」
返事がない。
数秒後、ようやく声が戻ってきた。
『……来てください。』
その声には、明らかな動揺が混じっていた。
指揮官は数人の兵士を連れて車両を降りる。
雨が彼らの制服を濡らしていく。
「何を見つけた?」
誰も答えない。
ただ、一人の兵士が前方を指差した。
そこには、いくつかの軍用車両が残されていた。
インドネシア軍の車両だった。
しかし、その状態は通常の戦闘で破壊された車両とは明らかに違っていた。
PANDEMONIUMは、捕らえた兵士たちと車両の部品を利用し、異様な見せしめを作っていた。
その光景を見た兵士たちは、言葉を失った。
「……これは……」
誰も、その先を口にすることができなかった。
周囲では大量の虫が飛び交っている。
「ブゥゥゥ……」
雨は降り続いている。
そして――
遠くから、再び人の声が聞こえた。
「……助けて……」
一人の兵士が反射的に走り出そうとした。
「まだ生存者がいる!」
しかし、指揮官がすぐに彼の腕を掴んだ。
「待て!」
「でも、まだ声が!」
「待てと言った!」
兵士は足を止めた。
指揮官は声のする方向を見つめる。
そして、ようやく気づいた。
その声が聞こえてくる場所。
そこには、先ほどの金属製の柱が何本も並んでいた。
「……全員、止まれ。」
誰も動かなかった。
指揮官は左を見る。
そして右を見る。
塹壕。
金属製の柱。
放置された軍用車両。
霧。
そして、どこまでも続く一本の道路。
先ほどまで普通に見えていた景色が、突然まったく違うものに見え始めた。
これは単なる防衛線ではない。
まるで、何かへ誘導するために作られた道のようだった。
「……まさか。」
指揮官が戦術ディスプレイを見る。
その瞬間――
「ピッ。」
画面が一瞬だけ暗くなった。
「何だ!?」
「通信が一瞬切れました!」
「復旧しろ!」
画面が再び点灯する。
しかし、そこには見慣れた紋章が表示されていた。
PANDEMONIUMの紋章。
「……」
誰も言葉を発しなかった。
その直後――
「ウゥゥゥゥン……」
遠くから機械音が響いた。
一本の金属製の柱が光る。
そして二本目。
三本目。
四本目。
一つ。
また一つ。
道路の両側に並んだ無数の柱が、次々と起動していく。
「……何だ、あれ。」
兵士が呟く。
誰も答えられない。
その瞬間、森から虫の音すら消えた。
そして――
「ドォォォン!」
突然、後方から爆発音が響いた。
全員が振り返る。
「何だ!?」
「後方です!」
「ドォォォン!」
二度目の爆発。
さらに三度目。
道路の一部から巨大な障害物がせり上がり、部隊の退路を塞いだ。
「……退路が……」
一人の兵士が呟いた。
指揮官は前方を見る。
そして、後方を見る。
そこでようやく、彼は理解した。
彼らはPANDEMONIUMの防衛線を探していたのではない。
最初から、その中にいたのだ。
戦術ディスプレイが赤く染まっていく。
「敵影、多数!」
「数を出せ!」
「……多すぎます!」
丘の向こう。
森の奥。
道路の先。
いたるところから敵の反応が現れ始めていた。
ほんの数分前まで、何もいなかったはずなのに。
「……」
兵士たちは黙って画面を見つめる。
ついさっきまで、彼らは自分たちの最新兵器を信じていた。
この戦力なら、PANDEMONIUMにも負けない。
そう思っていた。
しかし今は違う。
自分たちがどこにいるのかすら分からない。
そして――
無線に突然、別の声が割り込んだ。
『……ようこそ。』
全員が凍りついた。
『ガルーダ。』
その声は静かだった。
まるで、本当に客人を迎えているかのように。
『お前たちは、ここまで来てくれた。』
指揮官が無線機を強く握る。
「誰だ……?」
返事の代わりに、小さな笑い声が返ってきた。
『フフフ……』
そして、通信が切れた。
「……全車両、戦闘準備。」
指揮官の声には、もう先ほどまでの余裕はなかった。
周囲の兵士たちも同じだった。
彼らは、ようやく理解した。
自分たちは敵を探していたのではない。
最初から、敵に待たれていたのだ。
暗いカリマンタンの森の中で、無数の金属製の柱が光り続けている。
まるで、この場所そのものが巨大な檻であるかのように。
一人の兵士が小さく呟いた。
「……俺たち、罠に入ったんじゃないか?」
誰も、その言葉を否定できなかった。
森の奥から、複数の機械音が響き始める。
「ゴォォォォ……!」
そして、インドネシア軍の兵士たちは初めて理解した。
この先に待っているのは、普通の戦闘ではない。
PANDEMONIUMは、ただ彼らを倒そうとしているのではない。
恐怖させるために、待っていた。
――これは、まだ人間の戦争なのか。
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