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余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました

「短編版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました

作者: 夢見叶
掲載日:2026/04/28

※こちらは短編になります。長編は下記リンクか作者ページ、シリーズから。


https://ncode.syosetu.com/n1682md/

「すまない、ヴェルティナ。やはり今夜も、クラウディアの容態が芳しくなくてね」


 すでに馬車に乗り込んでいた婚約者が、車窓越しに告げた。


 これは、王家主催の春の夜会。


 私――伯爵令嬢ヴェルティナ・フォーリュアのドレスは、クラウディア男爵令嬢の主治医が「あと半年」と告げたあの日から数えて、4度目の出番を不発で終えようとしていた。


「行ってらっしゃいませ」


 静かに頭を下げる。


 婚約者ジェフリー・ル・グレイス侯爵令息は安堵したように馬車の扉を閉め、彼女の屋敷へと走り去った。


「お嬢様、よろしいのですか」


 侍女のリオンが心配そうに声をかける。


「構わないわ。あの方の幼馴染は、お命が長くないのですもの」


 そう答えながら屋敷へ戻った。


 化粧を落とし、ドレスを脱ぎ、寝間着に着替える間も、心は不思議と凪いでいた。


 凪いでいた、というのは、もちろん嘘である。


 私は鏡台の引き出しから1通の手紙を取り出す。


 差出人は、兄の友人――王立医師団の主席を務めるセバスチャン・ド・カランデール公爵令息だった。


『先日ご相談いただいた件、慎重に調査を進めております。クラウディア嬢の主治医ベルナール医師は、当家の医師団からは外れた者です。同医師の診断書に記された病名は、現在の医学では確認しがたいものでした』


 2日前に届いたこの手紙を、私は何度も読み返していた。


「やはり、ですわね」


 呟く声に、自分でも驚くほど熱がない。


 クラウディアが「不治の病、余命半年」と診断されたのは、半年と少し前のこと。それ以来、ジェフリーは私との約束を9度反故にしている。


 9度。


 指折り数えるまでもなく覚えている。なぜなら私は、その9度すべての夜会で、壁際の椅子に座っていたからだ。1人で。


 最初の2回までは、社交界の方々も同情してくださった。


 3回目からは、憐れみを含んだ目で見られるようになった。


 5回目を超えた頃から、誰も私に近づかなくなった。


 そして9回目――今夜。


 ジェフリーは、馬車に乗り込んでいた私を見て、こう言ったのだ。


「すまない、今夜も」と。


「お嬢様、お父様がお呼びです」


 ふいに、扉の向こうから侍従の声がした。


「すぐに参ります、と伝えてちょうだい」


 私は静かに立ち上がった。


 父と兄は、執務室で私を待っていた。彼らもまた、もう半年もこの茶番を見続けている。


 そして今夜、私は1つの決意とともに、彼らの前に立つ。


「お父様、お兄様――」


 息を吸う。


「ジェフリー様との婚約、解消させていただきたく存じます」


 執務室の壁時計が、こちん、と夜の10時を打った。


 父は深い椅子の背に身を預けたまま、長い溜息を吐いた。


「ようやくか、ヴェルティナ」


「ようやく、と仰いますと」


「半年前から、こちらでも準備は進めておった」


 父はそう言うと、机の上の革張りの書類入れを私に差し出した。


 中身を見て、私は息を呑んだ。


 クラウディア・ド・モルニー男爵令嬢の主治医ベルナール医師の経歴調査書、診断書の写し、薬剤師ギルドへの問い合わせ記録、そして――ジェフリー侯爵家の財務状況。


「セバスチャン君と、つい先日まで詰めておったのだ。お前が口にせずとも、家として婚約を維持できぬ段階に入っておった」


 兄のリュカが口を開いた。


「妹よ、よく耐えた。だが、もう1度だけ、お前の口から終わらせてやれ」


「私の口から、ですか」


「お前が言わねば、あの男はまだお前を都合よく扱う。1度きりの儀式だ。次の夜会で、笑顔で告げてやれ」


 兄の目には、私の見たことのない冷たさがあった。


 私は静かに頷いた。


「承知いたしました」


 その夜、寝室の窓辺で、私は庭を見下ろしていた。


 春になったばかりの庭園には、まだ夜霜が降りていた。


 白く凍った薔薇の蕾が、月明かりの下で輝いている。


『冷たいね、君は』


 ふいに、いつかのジェフリーの声が耳に蘇った。あれは、彼が初めてクラウディアの見舞いに行った夜だった。


「冷たい、ね……」


 私は呟き、窓の硝子に指先を当てた。


 凍りついていたのは、果たして庭の薔薇だっただろうか。


 それとも――


 考えるのをやめた。


 明日からの1週間で、9度すべての夜の代金を、利息ごと回収する。


 それだけだ。


 ◆


 翌週の夜会。


 王宮の大広間で、私はジェフリーと並んで立っていた。


 久しぶりに、ジェフリーは私と共に夜会へ出席した。


 クラウディアの容態が「奇跡的に小康状態」だというのが、表向きの理由である。


「ヴェルティナ、君にずっと言わねばならないことがあるんだ」


 ワインの杯を傾けながら、ジェフリーは目を伏せて語り出した。


「クラウディアの寿命は、もう本当に残り少ないらしい。彼女は、最後に1度でいいから、好きな人と添い遂げたいと言っているんだ」


「まあ。お気の毒に」


「それが――その――」


「あなた様、ですわね」


 私は微笑んだ。


 ジェフリーは顔を上げ、安堵の色を浮かべた。


「分かってくれるか、ヴェルティナ。すまない、君には本当に申し訳ない。だが彼女には残された時間がない。私は、彼女の最期を看取ってやりたい。だから――」


「婚約解消、ですわね」


「すまない、君は冷たいようでいて、本当は優しい人だと知っていた」


 ジェフリーは私の手を取ろうとした。


 私はそれを、微笑みのまま、半歩後ろに引いて避けた。


「承知いたしました」


「ヴェルティナ……ありがとう」


「ところで、ジェフリー様」


「うん?」


「クラウディア様の余命は、あと何か月ほどでしょう?」


「えっ?」


「お加減によっては、ご結婚式のご準備にも段取りがございますでしょう。私、伯爵家の名でお花を贈らせていただきたく」


「いや、その――」


「具体的に、何か月ですの? 3か月? 2か月? それとも、もう1か月もないのかしら」


 私は穏やかに、けれど1歩も引かずに尋ねた。


 ジェフリーの額に、微かな汗が浮いた。


「……2か月、と聞いている」


「まあ、それは。お早めにご婚姻の儀をなされませ」


 私は深く頭を下げた。


「では、私はお先に失礼いたします。今宵のお話、確かに承りました。お父様にもお伝えしておきます」


「あ、ああ。すまない、本当に……」


「ご幼馴染様に、どうぞお大事に、とお伝えくださいませ」


 笑顔のまま、私は彼に背を向けた。


 2か月、と彼は言った。


 私はそれを聞き出すために、わざと曖昧な質問を重ねたのだ。


 具体的な数字を口にさせれば、後でそれは公の言質となる。


 社交界の口は速い。


 明朝にはもう、王都中の人間が知ることになるだろう。


「クラウディア・ド・モルニー嬢の余命は、ジェフリー様ご本人によれば2か月」と。


 その間に、彼女が「奇跡の快復」を遂げれば――


 あとは、王立医師団の領分である。


 ◆


 会場を出ると、待合室の柱の陰に、長身の青年が立っていた。


「お話は、終わったようですね」


「セバスチャン様」


「お疲れ様でした、ヴェルティナ嬢」


 王立医師団主席・セバスチャン・ド・カランデール公爵令息は、片手に銀のステッキを持ち、淡い灰色の眼で私を見下ろした。


 兄リュカの友人にして、現在の医師団における最年少主席。


 毒物検出における新技術を発明し、10年前にはダルメル熱の特効薬を完成させた人物である。


 そして――10年前、私が高熱で生死の境を彷徨った夜、薬を届けてくれた青年でもあった。


「お久しぶりです、と申し上げるべきでしょうか」


「いいえ。あなた様にずっと感謝しておりましたから、私の中ではお久しぶりではありませんわ」


「そう。私もです」


 セバスチャンは、その整った顔に表情らしい表情を見せぬまま、淡々と続けた。


「ベルナール医師の診断書は本物の文書です。しかし内容は、医学的に成立しません。彼の名で発行された処方箋を42通解析しましたが、薬効として、診断書の病名を治療する目的のものは1つもありません」


「それは、つまり――」


「クラウディア嬢は、病ではないのです。少なくとも、命に関わる病ではない」


「では、ベルナール医師は」


「クラウディア嬢の母君の従兄弟にあたります」


「……まあ」


 私は、思わず口元に手を当てた。


 そこに、ようやく1つの感情が動いた。


 呆れ、ではない。


 軽蔑、でもない。


 ひどく、冷たい――納得だった。


「ご気分はいかがですか」


 セバスチャンが私を覗き込んだ。


「お加減が悪ければ、私が屋敷までお送りします」


「いえ、結構ですわ。私、こう見えて、思っているより冷たい女ですから」


「それは違います」


 セバスチャンは、初めて表情を動かした。


 ほんの少し、眉を寄せただけだったが。


「冷たい人は、9度の夜会を耐えません。冷たい人は、家族に相談する前に、自分で全てを終わらせます。あなたは、お父上とお兄上を信じて、半年待った。それは、温かい人の所業です」


「……」


「ヴェルティナ嬢」


「はい」


「結婚する気はありますか」


「えっ?」


「ジェフリー殿との婚約を解消されたのち、です」


「あの、その――」


「失礼。父上には、こう言うべきだと教えられたのですが、私はそういう機微を扱うのが下手で。婚姻届の提出は、午前中の方が窓口が空いております」


「あの、セバスチャン様」


「はい」


「順番が、少々」


「順番」


 セバスチャンは、自分の発言を空中で確認するように、視線を上に向けた。


「あなたを、愛している、と先に申し上げるべきだそうです、と父上が」


「ぷっ」


 私は、半年ぶりに笑った。


 声を出して、肩を揺らして、笑った。


 セバスチャンは無表情のまま、しかし耳の縁だけがほんのり朱に染まった。


「お疲れだ。今夜はこの話はやめましょう。送ります」


「いいえ、続けてくださいませ」


 私は涙の滲んだ眼で彼を見上げた。


「私のお返事は、今夜いただきました『愛している』に対して、差し上げます。続けてくださいませ」


 セバスチャンは、深く息を吐いた。


 そして膝をつき、ステッキを傍らに置き、私の手を取った。


「ヴェルティナ・フォーリュア嬢。あなたを、愛しております。10年前のあの夜、薬を運んだ私のことを覚えていてくださって、嬉しかった。今夜の夜会で、あなたが微笑みのままあの男を切り離すのを見て、ますます愛おしくなりました」


「セバスチャン様」


「私と、結婚してください」


「お受けいたします」


 私の指先は、まだ夜霜のように冷えていた。


 けれど、彼の手のひらは、確かに温かかった。


 凍っていた何かが、ほんのわずかに、解け始めた。


 ◆


 それから1か月。


 社交界に、奇妙な噂が流れ始めた。


「クラウディア・ド・モルニー嬢の容態が、好転しているらしい」


 最初は囁きだった。


 それが2週目には公然たる話題になり、3週目には噂話の中心となった。


 4週目――王宮で開かれた小さな茶会で、クラウディア本人が現れた。


 健やかな顔色で、ほっそりとした腰には、ジェフリーの母君から贈られたという豪奢な帯飾り。


「皆さま、奇跡が起こりましたの」


 クラウディアは涙ぐみながら語った。


「神様が私の祈りを聞き届けてくださって、お薬が、お薬がついに効いたのです。私、ジェフリー様と、結婚できますの」


 会場は、表向きの拍手に包まれた。


 しかし、私の隣で扇を広げていた兄の婚約者・カトリーヌ侯爵令嬢が、扇の陰で囁いた。


「ヴェルティナ様、おめでとう」


「カトリーヌ様、何のことでしょう?」


「もちろん、あなたの新しい婚約のことよ。それと――遠からず控えている、別の方々の没落のことを」


 私は、扇の陰でだけ、わずかに笑った。


「はて、何のお話でございましょう」


 その夜のうちに、王立医師団主席セバスチャン・ド・カランデール公爵令息より、王家へ正式な書簡が提出された。


『男爵令嬢クラウディア・ド・モルニーの病状経過に、医学的不審あり。第三者医師団による緊急再診を進言する』


 王家はこれを受理した。


 クラウディアの「奇跡」の翌週、王立医師団は彼女を王宮医療所へと召喚した。


 彼女は最初、笑顔で応じた。


 そこに何の罪も疑われていないと信じていたからだ。


 そして3日後――


「男爵令嬢クラウディア・ド・モルニー、ならびに男爵令嬢の主治医ベルナール、当該病状の捏造にて、詐欺罪の容疑により王立警邏隊へ引き渡し」


 布告は、その朝、王都中の街角に貼り出された。


 ◆


 ジェフリーが私の屋敷に駆け込んできたのは、布告の3日後である。


「ヴェルティナ! 君に話がある!」


 応接間に通された彼は、1週間で随分と痩せていた。


 髪は乱れ、上着の袖口にはワインの染み。


 私と父は、向かいの長椅子で並んで座り、紅茶を傾けていた。


「あら、ジェフリー様。ご機嫌よう」


「機嫌よう、ではない! 君は、君は知っていたのか!」


「何のことでございましょう?」


「クラウディアが! 病ではなかったことを!」


 ジェフリーの肩は、激しく震えていた。


「君は、知っていて私を欺いたのか! 私を、私を彼女と引き合わせるために!」


 私は微笑んだ。


「ジェフリー様」


「何だ!」


「あなた様が私との婚約を解消なさったのは、ご自身のご意思でございますわね?」


「それは……それは、君が承知してくれたからだ!」


「承知いたしましたわ。あなた様のご幼馴染様には、2か月の余命しかないと、あなた様ご自身が私に仰ったから」


「それは!」


「お忘れでしょうか。あの夜、あなた様は王宮の大広間で、確かに『2か月』と仰いました。その場には、給仕の方も、楽団の方も、王家のご親族も、たくさんの方がいらっしゃいましたのよ」


 ジェフリーは口を開け、何かを言いかけ、そして閉じた。


 私は紅茶のカップを置き、まっすぐに彼を見た。


「私は、伯爵家の人間として、ご婚約者様のご幼馴染様のご病気を、心からお気の毒に思っておりました。だから、お別れを承りました。それが、私の――冷たい女の判断ですわ」


「ヴェルティナ……君は……」


「あなた様は、私との婚約を解消なさるにあたって、書面で正式に手続きをお済ませでございますわね? あなた様のお父上のご署名もございましたでしょう?」


「あ、ああ……」


「では、もう私とあなた様は、何のご縁もございません」


 私は静かに立ち上がった。


「お引き取りくださいませ」


「待ってくれ! 私は、私はクラウディアに騙されたんだ! 君の元へ戻りたい! 君となら、私は!」


 ジェフリーは、泣き崩れていた。


 私は、その姿を見下ろしていた。


 不思議と、もう何も感じなかった。


 哀れだとも、可哀想だとも、思わなかった。


 見ていたのは、9度の夜会で壁際に座っていた、半年前の私自身だった。


「ジェフリー様」


「何だ!」


「私は、再来月、セバスチャン・ド・カランデール公爵令息と婚姻いたします」


 ジェフリーの顔から、血の気が引いた。


「セ、セバ……公爵家の……」


「あなた様には、もう手の届かないところへ参りますの。どうか、ご自分のご家族をお大事になさってくださいませ」


 父が、初めて口を開いた。


「ジェフリー殿」


「は、はい、伯爵閣下」


「貴公の家は、我が家との婚姻で繋がっておった信用を、すでに失った。貴公のお父上は、昨日の取引でかなりの損害を出されたと聞く」


「父上が、ですか?」


「貴公がクラウディア嬢のためにル・グレイス家の名で発行した借用書、覚えがあるかな?」


 ジェフリーは、青ざめた。


「あれは、クラウディア嬢の医療費としてベルナール医師に渡されたものだ。今、その書類は、王立警邏隊の証拠物件となっておる。詐欺の片棒を担いだ家として、貴家の名前は明日の朝刊に載るだろう」


「そん、な……」


「お引き取りを」


 ジェフリーは、よろよろと立ち上がった。


 そして応接間を出る間際、彼は振り返った。


「ヴェルティナ……君は、本当に、冷たい女だな」


 私は、微笑んで答えた。


「ええ。あなた様が最初から、そう仰ってましたでしょう?」


 扉が閉まった。


 父が、深く息を吐いた。


「ようやく、終わったな」


「ええ、お父様」


「セバスチャン君に、感謝せねばならんな」


「いえ、お父様」


 私は、窓の外に目をやった。


 庭の芝生の上で、霜は完全に解けていた。


「私が、感謝するのですわ」


 ◆


 その夜、私は屋敷の庭に出た。


 春の遅い月が、薔薇の蕾を照らしていた。


 霜の降りていた朝の薔薇は、今は白く、健やかに咲き始めていた。


「冷えますね」


 背後から声がした。


 セバスチャンが、上着を私の肩にかけてくれた。


「ありがとうございます」


「ジェフリー殿が、お父上に廃嫡の願い出をされたそうです」


「まあ」


「ル・グレイス家の名は、もう商会の信用調査でも要注意札がついた。彼自身も、今後どこの夜会にも招待されないでしょう」


「そうですか」


「クラウディア嬢は、ベルナール医師と共に、北の修道院送りが決まりました。公の場には、もう永久に出てこられません」


「左様でございますか」


「あなたは、何も思わないのですか」


 セバスチャンは、私の横顔を覗き込んだ。


 私は少し考え、それから答えた。


「思っておりますわ」


「何を」


「もう、彼らのお名前を、覚えておく必要がない、と」


 セバスチャンは静かに息を呑み、それから微かに笑った。


 ほんの少しだけ。


「あなたは、本当に」


「冷たい女、ですか?」


「いいえ」


 彼は、私の指先を握った。


 冷えた指先が、彼の手の中で、ゆっくりと温まっていった。


「人を、温める手のひらを持っている人だ」


 私は彼を見上げ、少しだけ目を細めた。


「あなた様の手のひらの中だけ、ですわ」


 夜風が、庭の薔薇を揺らした。


 霜は、もうどこにも降りていなかった。


 凍っていた何もかもが、ようやく溶けていた。


 ◆


 翌朝、王都の朝刊の3面に、小さな囲み記事が出た。


『侯爵家ル・グレイス、家督相続に関する変更を発表。次期当主は次男ロベール殿に。長男ジェフリー殿は王都を離れ、領地での静養を希望』


 その下に、もう1つの記事。


『公爵家カランデール、長男セバスチャン殿のご婚約発表。お相手は伯爵令嬢ヴェルティナ・フォーリュア殿』


 私は朝食の席で、その新聞をたたみ、紅茶を一口飲んだ。


 兄が、向かいで笑っていた。


「ヴェルティナ、どうだ。気分は」


「お兄様」


「うん」


「私、今朝の紅茶、随分と温かく感じますわ」


 兄は、肩を震わせて笑った。


 父が新聞越しに片眉を上げ、それから微かに目尻を下げた。


 私は、もう一口、紅茶を飲んだ。


 冷たくない、温かな紅茶を。


 9度の夜会で壁際に置かれた、ぬるくなったシャンパンとは、違う紅茶を。


 ――そして、私は、新しい一日を始めた。

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